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zoom RSS 黒島伝治、農民とと反戦、根底にあるリアリズム、醤油文学

<<   作成日時 : 2018/08/04 12:46   >>

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実際、黒島伝治は今となってあまり語られることもない、またお世辞にもあまり
読まれているとは思えない作家であるがその残した作品は素晴らしいと思う。
日本文学の下手な著名大物作家など足元にも寄れない、というと大げさでも
、それほど端倪すべからざる作家であると思える。プロレタリア作家と簡単に
カテゴリーに組み入れるやり方もどうかとは思うが、プロレタリア文学の、広義
のプロレタリア文学の到達点ともいべき作品群である。その意味で葉山嘉樹と
双璧であろう。

 黒島伝治の作品群は農民もの、反戦(シベリアもの)、またもう一つの要素とし
ての醤油、その文学的スタンスの根底にリアリズム、写実主義が存在すること
が特徴と思われる。その評伝的な内容は、まとめたものでは「日本近代文学
事典」を読んでいただければよいが、トルストイ、チェーホフ、また志賀直哉に
非常に傾倒していたことからか、その文章表現自体は冷徹なリアリズムの趣で
あり、写実に寄って真実を浮かび上がらせるという手法が文学上の深みを与え
ている。

  
 まず黒島伝治じ自身が語った言葉  『文芸戦線』1929年10月号掲載

 「材料について」という標題である。労働争議、ストライキを作品の題材として
、その中で闘争する労働者や農民、尖鋭的なイデオロギー、プロレタリア的な
願望を書くことは容易であるが、それだけでは全くだめ、無意味であるという。
労働争議、小作争議などを書くことは悪くないが、そレは労働者や農民にとって
は生活の一部でしかない、と述べる。「一部分の一部分にすぎない」、

 「争議をやるまでには、長い間の隠忍や、苦痛や、悲惨や、その他いろいろの
ことがそこに存在している。そして現在、吾々の日常生活に於いても、必ず労使
の対立や闘争が、何らかの形でそこに影を投じている筈である。それを見逃して
はならない」

 現実から遊離したイデオロギーなどに踊らされず、あくまでも生活に根付き、ま
た密着する現実の生活そのものこそが重要である、それを見るべきである、とお。

 黒島伝治が優れた現実そのものの写実描写で名作を書き続けたこと、それは
作家の姿勢としてっ志賀直哉に学んだ、というべきかどうかは分からない。しか
しそれゆえに黒島文学はプロレタリア文学を超えた普遍的価値を持っているので
はないか。

 黒島伝治は1898年、香川県の小豆島に生まれた。小豆島の文学といえば「二
十四の瞳」、壺井栄、また壺井繁治だが繁治より一歳、黒島伝治は年少である。

 黒島伝治の作品を反戦(シベリア)もの、農民ものに分けるにせよ、さらなる視点
で文学的モチーフでもないにせよ、舞台、題材になっている醤油、その文学的スタ
ンスの写実的表現、リアリズムという本質めいた指摘も出来る。

 家庭は半農半漁で生計を立てていた。1911年、内海実業補習学校に入校、1914
年卒業後、醤油会社の醸造工として働いたが一年ほどでやめ、1917年ころ上京。
三河島の建設会社に働きながら小説作法を学ぶ。翌年、牛込神楽坂の芸術倶楽部
で開かれていた早稲田文学社主催の文学講座を聞き、早稲田文学部高等予科の
学生であった壺井繁治癒に出会い、急速に親しくなる。

 上京して小説、文学への傾倒をますます深めた黒島伝治である。ここで醤油であ
る。小豆島は伝統的地場産業として醤油製造がある。現在はマルキン醤油に代表
される。黒島のデビュー作である「電報」(1925年七月号『潮流』)には早くも醤油への
こだわりがあり、「醤油屋や地主は、別に骨の折れる仕事をせず・たくさんの金を儲け
て立派な暮らしを立てている」、「彼と同年輩、または若いもので、学校へ行っていた
時分は、彼よりよほど出来が悪かった者が、少し余計に勉強をして、読み書きが達者
になった為に、今では醤油会社の支配人となり、醤油屋の番頭になり」という記述が
ある。

 これは「電報」の作中の父、源作の学歴のなさの不利を描き出すものであった。「
電報」では村会議員の圧力で息子が県立中学に合格していたのに、結果として進学
させられなかった、「息子は今、醤油屋の小僧にやらされている」で終わっている。


 合格しながら県立中学に進学できない、当の息子の感情は一切描かれていない。そ
レが絶望感を増幅させている。貧困と前近代的な社会をリアリズムで告発してもいる。

 黒島文学を一面、「醤油文学」と称される?のは多くの作品に頻繁に「醤油屋」、「醤
油会社」という言葉が出てくる。そこで働く労働者が描かれ、プロレタリア文学の性格を
帯びる。そのような作品として「砂糖泥棒」、「まかないの棒」、「田園挽歌」、「ある娘の
記」、「神と仏」、「豚群」、「彼等の一生」、「その手」、「脚の傷」、「崖下の家」、「海の
第十一工場」、「秋の洪水」、「飯と農村」などpがある、「醤油工場」というそのものの
題名の作品もある。

 「醤油」への異常なまでの関心は上京後の遭遇した野田醤油、現在のキッッコーマン
醤油の労働争議への関心ともなって現れた。1917年に会社組織となった野田醤油は
1921年末に労組が出来た。翌年から労使の紛争が生じ、泥沼的な争いとなった。1927
年4月、待遇改善が入れられなかった労組はストライキを決行。労働者は直接雇用で
はなく手配師の斡旋であった。物の本では「町民の大半は会社に依存し、万事におい
て頭が上がらなかった、お辞儀ばかりしえたるくため帽子をかぶって歩くものはいない
といわれた。異種の資本家のお殿様で、野田貴族との評判もあり、文字通り町に君臨
していた」

 1927年4月からの大ストライキは賃上げなどを要求したが、会社は最新鋭の非組合員
だけでなる工場を稼働させていた。会社は遂に暴力団まで使った。

 この野田醤油の争議に関心を持った黒島伝治は新聞記事を切り抜き、集めていた。
スト継続中の1928年、『文芸戦線』に鶴田知也との連名で「野田争議の実情」を発表
。「労働者諸君、如何なる会社の奸計にもたぶらかされることなく諸君は諸君の重大
なる部署を厳かに守ってくれ!」

 だが野田醤油の争議も労働者の敗北に終わった。1929年、黒島は「野田争議の
敗戦まで」を『文芸戦線』に寄稿。

 ともあれ「醤油」は黒島伝治の文学の重要な題材である。

 だが黒島伝治画素の名を残すのは「渦巻ける烏の群れ」反戦、シベリアものである。
シベリア出兵に駆り出されての戦争の余りの悲惨さ、理不尽さ、無意味さを骨の髄ま
で味わった黒島伝治がそのリアリズム手法で表現しきった名作である。まさしく写実
的で完結な手法は私淑していた志賀直哉に十分通じている・

 シベリアでの軍隊生活を題材とし、その軍隊内の非人間性、無謀な侵略的戦争の
告発が淡々としたリアリズムに徹した表現でなされている。雪に閉じ込められた兵営
生活、白系ロシア人との生活、大隊長の横暴、一中隊が雪原で全滅して翌年晴に
その死体に群がる烏の描写、惨劇の発端から進行、終末に至る過程は緊密な構成
と完結な描写で描かれている、プロレタリア文学、反戦文学の極北であり、またリアリ
ズム手法の文学の到達点でもある。

 

  

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