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zoom RSS 「ルイズ その旅立ち」藤原智子監督、伊藤ルイの生きざま

<<   作成日時 : 2018/08/10 11:29   >>

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1997年くキネマ旬報文化映画部門で第一位に輝いた藤原智子監督による
、その前年亡くなった伊藤ルイさんの生きざまを描いた映画。伊藤ルイさんは
大杉栄、伊藤野枝の間の四女である。Movie Walkerからその概略を引用させ
ていただきます

 大正時代の思想家・大杉栄と伊藤野枝の四女として生まれ、志なかばに倒れた両親の思想と情熱を受け継いで体現した市民運動家・伊藤ルイさんの生涯を、多角的に見つめた長編ドキュメンタリー。「思想に自由あれ、行為に自由あれ、さらに動機にも自由あれ」と唱えた大杉栄と、敢然と社会の風圧に立ち向かった伊藤野枝は、1923年9月16日、軍部によって虐殺された。ふたりには1歳で夭逝した男児のほかに4人の娘があったが、彼女たちは養女に出された次女を除いて、それぞれ困難な環境に育った。両親が殺された時に1歳3カ月だった四女の伊藤ルイさんは、野枝の実家で祖父母に育てられ、周囲の冷たい視線を浴びて成長した。1976年に公表された両親の虐殺の鑑定書を見たルイさんは、記憶にない両親に対して肉親としての口惜しさを実感し、若くして生命を奪われた父母の志を自分なりに受け継いで、個人の自由と尊厳を守るために、草の根を紡ぐような市民活動を続けた。74歳を迎える直前に癌の宣告を受け、手術も延命措置もせずに自然死を選んだルイさんの人生を中心に、ゆかりの人々の証言や資料、写真などを織り混ぜながら、彼女の父母の思想の今日性を描き出していく。監督は「杉の子たちの50年 学童疎開から明日へのメッセージ」の藤原智子。97年度キネマ旬報文化映画ベスト・テン第1位。


  伊藤ルイを語るには伊藤野枝を語らないといけない。末裔に日本会議の
超幹部で右翼論客の長谷川某という女性をうんだくらいの作家の野上弥生子
は、野枝は大杉の可愛い妻に過ぎないと放言し「あの人の社会主義かぶれなど
、私の信じるところ間違ってなければ、百姓の妻が夫については竹に出る程度・・・


 なるほど、これを読めば格の違いを感じざるを得ない。伊藤野枝の方あ野上
弥生子より遥かに思想的に次元が高い。先進的である。単に社会主義でなく
アナーキズムなのである。

 作家の水田ふう氏は大道寺将司、益永利明の獄中獄外の交通軒問題を争っ
た「Tシャツ裁判」の共同原告だったが、そこに伊藤ルイさんも加わっていた。

 その時、水田ふう氏はルイさんからこういう話を聞いたという。

 「野枝ってね、日雇いのお母さんが仕事で夜遅く帰ってくるのに、自分だけで
ご飯まで先に食べてしまう人だった」

 ルイさんは祖母に育てられているからおばあさん子だったんだろう。

 水田ふう氏が1980年、奈良かどっか、大杉栄の家の女中をしていたという人
を入院先に訪ねたら

 「大杉さんより野枝さんのほうがずっと大物でした」

 晩年、ルイさんは好き嫌いをはっきり表に出すようになった。水田さんが
「私もそれでたしなめられてます」と言ったら、ルイさんは、

 「あら、女が好き嫌いが激しいのは当然よ、だって女は選ぶ側の性ですよ」

 ルイさんは50歳位まではホドンド好き嫌いを表に出さなかったというが、野枝
の生き方を知って考えが変わったみたいだ、という。

 1975年ころルイさんは水田ふう氏に、「私には大杉とか野枝という人はいても
、親という実感はないわ」

 でも、「大杉栄、伊藤野枝の死体検案書」が発表された時はルイさんは大きな
ショックを覚えたという。

 ネルストを産んで一ヶ月も経たない野枝の膣内部の発赤が記入されていた。

 ルイさんはそれを読んで思わず「お母さん!」という言葉がついて出たという。
初めて「お母さん」と呼んだのである。それからだろうか、「親の仇を打つ」という
思いからかルイさんの活動、言動にすごみが出てきたというのである。

  『ルイズ  その旅立ち』を作って        藤原智子

私の手許に藍染の手織りの布で拵えた、伊藤ルイさん手作りの小さな小銭入れ
がある。『ルイズ その旅立ち』という長編のドキュメンタリー映画を作っていながら
、実は一度もルイさんにお目にかかったことのない私がこれを持っているのは、ル
イさんの市民運動仲間の梅田順子さんから、、形見分けのおすそ分けをしてもらっ
たからである。私はこれをアクセサリー入れとして大切に使わせてもらっているが、
大部分が手縫いで作られた手織りの感触がいかにも暖かく、お会いしたことのない
ルイさんのぬくもりが伝わってくるようである。

 これをくださった梅田さんの話によると、ルイさんはこうした小銭入れや袋物を
こまめに沢山手作りしておき、それに自分の着るものの殆どが、各地方から贈ら
れた古着などの自分で洋服に仕立て直したものだという。だが、野枝もまた自ら
刺した華麗な日本刺繍の袖なし羽織を祖母に贈ったり、大杉の妹の許に養女に
出した次女のエマ、幸子さんにも刺繍を施した写真立てを贈っている。毎年のよう
に子供を産み、原稿を書き、大杉を助けた野枝に、いつ刺繍をする暇などあった
のだろうか。大杉のもとに集まる多くの若い仲間たちが子守役だったというが、そ
れにしてもルイさんの手まめさにはこのDNAを感じてしまう。成長期まで母親と一
緒だったなら、環境ということもあり得るが、なにしろルイさんは一歳三ヶ月で母と
死別しているのである。

 私達、映画スタッフはルイさんが亡くなられた直後から福岡で取材を始めたの
であるが、住んでおられた団地の花壇に、ルイさんが育てた草花が咲き乱れて
いた。娘さんたちが映画の中で話していたように、あれだけ草の根運動で全国を
飛び回っていたというのに、どうしてあれほど草花の世話ができたのか、驚くほど
小まめ。驚くほど多種多様な花を咲かせていた。

 ルイズさんの環境問題への取り組みは昨日今日ではない。映画の中でも、これ
らの草花を背景としてルイズさんが

 「私達が、なぜ花とか鳥とか雲とか夕焼けとか虹とかをきれいと思うか、ということ
を考えますと、猿から人間が別れてくる時、私達は、いまの人間の精神的な頽廃、
こういうものを人間は予感したのではないかと思います。山を壊し、海を埋め、自然
を破壊するようなことになる。でもそれでは人間は生き続けることは出来ない。やは
り人間は自然を美しいと見なければならない、というのが私達が身につけてきた天
然の感性ではないのかなぁ、と思ったりします」

 どこかの集会でルイさんが語ったこの言葉はその凛とした美しい声とともに、観客
の目を見開かせる一つの場面となったようである。

 ある地方としてこの映画を上演したとき、「あの言葉がすごい、この感動をどうして
も監督さんに伝えたくて」と、楽屋に訪ねてきた若い男性がいた。

  映画を作っている時には見えなかったものが、反響の中で私を開眼させてくれる
ケースが数多くあった。その一つに「映画に出てくる人たちの顔がいい、あの人達の
表情を見ていると日本も捨てたものじゃないという気にさせてくれる」というものがあ
った。この指摘によって私は、それは多分、証言者の人達が、建前でなく本音で語
っているからだということに気づいたのである。松下竜一氏の言葉によれば「指令
一下というのはないわけで、そもそも指令することがあってはならない。あくまでも
したい者たちが自分たちの発想で自由に集まってやろうじゃないか」という市民運動
に根ざすものであろう。映画の登場者たちは必ずしもルイさんの仲間じゃなが、類は
友を呼んでそういう顔が集まったのである。

 ルイさんは生前、大杉や野枝との血縁のつながりを意識的に排除し、自分の活動
と血縁を厳しく峻別してきたので、子どもたちもメディアの目に晒されることもなかった
。この映画の制作を決断したのはルイさんが亡くなられた跡だったので、家族の承諾
も欠かせないし、ぜひ登場も願いたいとお願いした。その承諾を得るため、長女の恵
子さんに電話をしたときの意外感は忘れられない。どんな闘士かと恐る恐る電話した
ら、消え入りそうなソフトで優しい声であった。以後取材で福岡を訪れた際も、妖精の
ような恵子さんは「私はグズで母みたいに手際よく出来ませんが」と言い訳しながら、
ゆっくりとマイペースでご馳走を食卓に並べてくれた。

 以後、周囲の者が手出しできないほど完璧にルイさんを看取った、大杉栄に生き写
しの長男の容典さん、この方が実は姉では、と思いそうなしっかり者の次女の朋子さん
、大杉と野枝と橘少年の墓石が立つ小高い丘に車で案内してくれた。寡黙だが誠実そ
のものの次男の達彦さんにあい、この方々から受けた印象は何よりも人品の良さ、優
しさ、そのDNAを強く感じた。四人に共通はかっこよさと美貌である。映画では登場人
物のかっこよさも重要である。彼等の存在が大杉と野枝から三代目、静かに市井に生
きるこの家族との出会いは、今だにスタッフの懐かしい思い出となっている。


 


 

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