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zoom RSS 田布施王朝(現天皇家)の武士天皇、明治天皇と明治の虚構と現代

<<   作成日時 : 2018/07/22 17:44   >>

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噂としては長く底流で語られ続け、出版された本もある明治天皇が孝明天皇の
皇子ではない、孝明天皇は皇子もろとも抹殺されたは歴史学者の間である意味、
常識化していたが表面上は、例えば宮内庁がそれを認めるはずもない。だが考え
てほしい、武士と京都の公家の行動様式は何から何まで徹底的に異なる。明治天
皇は最初からあまりに徹頭徹尾、武士的でありすぎた。あの当時の京都の公家が
どのような人間であったかを考えると絶対にあり得ない話である。

 もちろん、一つの考えとして、孝明天皇は何らかの形で暗殺され、その皇子、睦
仁も抹殺された、は事実でも今さら言うべきことではないという考えである。

 しかし半ば女性化し、お化粧までしていた京都の公家、天皇、皇子が、まして虚弱
で知られた睦仁が明治4年、1871年、20歳で誰が教えたはずもない、天皇家は決して
乗馬はやらないのに大元帥として大声で号令をかけ、乗馬は巧み、乗馬のお供の
土方久元の馬が暴れたのを明治天皇が苦もなく取り押さえたその腕前、すでに20貫
をゆうにこえる体格、異常な相撲好きで侍従に取り立てられた山岡鉄太郎に相撲を
挑み、山岡が辞退したら不意に体当たりを食らわし、山岡はとっさにねじ伏せたが、
「これは公家ではない」と悟られてしまった。この第二奇兵隊を訓練を観察していた
大室寅之祐にしたら相撲は重要な教練科目であり、この相撲好きは昭和天皇にまで
引き継がれた。孝明天皇までの天皇で相撲好きなど一人もいなかった。単に相撲好き
を通り越して、隙きを不意に体当たりなどいかにも武士であり、奇兵隊の訓練をつぶさ
に見ていた大室寅之祐らしい。また最初から明治天皇が酒豪であったのも公家ではま
ず考えられない。『明治天皇紀』明治10年、1877の冬に「天皇は元田永孚を陪席させて
観菊の宴を張り、午後四時から午後十一時まで延々七時間酒を飲んだ』そんな公家も
いたかもしれない、は説得力はない。

 要は明治新政府に求められた天皇は倒幕に賛同などに限らず、何より武士天皇で
なければならなかった。ちょうど第一次大戦を起こしたドイツ帝国のヴィルヘルム二世
のような軍国の君主であらねばならなかった。孝明天皇、その皇子では全く役に立たな
かった。この武士天皇の伝統は軍国の君主である必要があり、明治天皇、昭和天皇は
存分にその戦争推進に最も重要な役割を果たした。あらゆる暗闘をくぐり抜け、伊藤博
文が明治の元老となったのは、いわば子飼いが明治天皇になったからである。あらゆ
る政敵をほふり、明治政府に君臨した。その伊藤博文が中心となった大日本国帝国憲法、

 北朝系で軍国に邁進の明治政府には全く無用の孝明天皇父子を葬り、南朝系の大義
もあるにはあるが大室寅之祐を明治天皇に仕立てて、「万世一系」、「神聖にしておかす
へからす」である。矛盾も甚だしいが、これが現実である。大室の祖父母でさえ、明確では
ないのに万世一系とはよく言えたとは思われるが。

 「万世一系」、「神聖にしておかすへからす」は孝明天皇抹殺のコインの裏と表でしかな
いのである。

 そこから軍国化した日本は戦争、内では血の弾圧である、内外で死屍累々である。武士
天皇でなければ軍国日本の君主足り得なかったにせよ、孝明天皇が生きておられたらこの
ような犠牲を強いる日本にはならなかったことは確かである。

 北朝系抹殺、皇子すりかわりのコインの裏と表で出来上がった近代国家はなんと古代神
話を聖典とし、、いささかも疑念をさしはさんではいけない天皇神政国家であった。神道の
諸事項を換骨奪胎の挙げ句、数知れない「近代天皇制アイテム」であった。この諸アイテム
こそが今に至る右翼の狂信の対象となっているのである。

 さして存在感もなかった神社は明治、昭和の数多くの戦争でその勢力を増した、神社にとっ
ては戦争こそが自らの立場を強める最大の要素であった。これが戦後そのまま続き、神社は
神道政治連盟などを通じて軍国復帰、また不敬罪復活などのファッショ回帰を画策して日本
会議とその主張は共通である。

 長く天皇は戦争にかかわらない、形式的に征夷大将軍を任命するだけの平和的な存在で
あり続けたが明治は軍国にかじを切った、君主は軍国に資するものでなければならない、そ
こで「軍人勅諭」の捏造で戦争と天皇が不可分であったと述べている。

 現代の日本会議などの右翼勢力も軍国回帰、軍国的天皇をてこにして民主主義の否定が
その究極の目的である。すべては明治維新の暗闘、書き上げれば切りもない、その暗闘から
北朝系の平和的天皇は抹殺し、南朝系を軍国に適した君主にすり替えに成功はした。北朝に
ついた武将、足利尊氏は逆賊とされた、そりゃ、孝明天皇を暗殺するくらいだから当然だろう、
二重橋前には楠木正成の銅像まで、明治天皇も最後近くに南朝こそ正統とはいった、が孝明
天皇抹殺、明治天皇が田布施の武士、大室寅之祐であることは最後まで、公的には今の今
まで秘密にしようとしてきた。

  全くの矛盾だが、すべては軍国邁進の要請の帰結である。

 だが武士天皇の明治天皇に始まる田布施王朝も平和的天皇が輩出されている。田布施王朝
の公家化である。だが国内の右翼は明治以降の軍国日本、うちに弾圧の非民主的国家への回
帰でありつづける。何の歴史の進歩も思想の進歩も見られない。

 北朝系天皇の暗殺、皇子抹殺、田布施の武士が明治天皇に、まさしく武士天皇、軍国天皇と
なり得た。この明治の誤りが今に尾を引いている。

 もうたとえ事実でも、そのままに隠蔽しておけば穏当ではないかという意見もあるだろう、だが
真実から目を背けたら、右翼的な立場に立っても真の国体はあり得ない。「子供が書きなぐった
ような」大日本帝国憲法を、絶対化し、これに回帰して民主主義を実質否定しようとする勢力が
拡大を重ねるご時世である、過去の隠蔽から決して目を背けてはならない。

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