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zoom RSS 立原道造「風立ちぬ」論を読む

<<   作成日時 : 2013/08/04 00:09   >>

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立原道造と堀辰雄は師弟関係にあったとはよく言われる。

 東京下町育ち、府立三中(現両国高校)、一高、東京帝大というコースも
共通である。それを言えば芥川も全く同じルートであって、・・・・・

 萩原朔太郎が立原と出会った時、立原を見て萩原は「これは芥川の子
か」と隣の知人に尋ねたくらいであって、眉目秀麗な雰囲気は芥川とも
共通点はあった。ただ芥川に比べ、立原は遥かにマイルドではあった。
がそれにしてもよく似ていることは確かである。

 芥川の晩年と堀は短期間でも関わりを持っている。芥川の晩年の文章に
かすかに堀辰雄もことが書かれている。
 

 そこで堀辰雄は東京帝大文学部の卒論で前年、自殺した「芥川龍之介」論
を書いた。
 ここで堀辰雄はある意味、芥川を斬って捨てた。

 「芥川は真の自己のオリジナルなものを持ち得なかった。芥川の全ての作
品には過去の他の作品が必ず影を投げかけている」

 まさにそれと同様に立原道造も堀辰雄の作品の「風立ちぬ」論を書いている。

 「風立ちぬ」論は昭和13年(1938年)、6月に「四季」の第37号に掲載されて
いる。
 この年、立原は田中克己への手紙に「何者にも拒まれない魂の獲得、自由
精神の誕生、そこに一切を思います」と書いていている。

 したがって立原の「風立ちぬ」論は、まさしく「何者にも拒まれない魂の獲得
、自由精神の誕生」のために、・・・・・

 体質も似通っていて立原のよき理解者である堀辰雄を評しているかに見え
て、実は堀辰雄を借りて、立原自身の自己批判の論文であって新しい生への
決意であった。

 最初は確かに立原道造は堀辰雄と師弟関係らしきものはあったにせよ、
実際は室生犀星にぞっこんであった。建築事務所への出勤も室生宅に住み込
んで、そこから通っていたくらいである。

 「室生犀星とリルケだ」とは立原の決意であった。ここにおいて堀辰雄は過去
の立原の否定とともにやはり否定されるべき存在となった。その結果が「風立
ちぬ」論となって現れたのである。

 内容は堀の「風立ちぬ」を語り、その創作姿勢へ仮借ない批判を浴びせるこ
とで、堀辰雄への訣別宣言、立原自身のそれまでの生き方への訣別宣言で
もあった。

 立原のこの論文は実はハイデッガーの「詩の本質」、「ヘルダーリン」を参考
にして書かれたという。

 しかしドイツの哲学者のいかめしい論理的な論文とは異なり、いかにも立原
流の宙を舞うがごとき浪漫先精神、表現にあふれ、論理性を欠いているとの
批評は当たっている。

 堀辰雄との訣別宣言といっても悪しざまに批判しているわけでなく、最初は
堀辰雄の何か理解と同情を示している。
 立原は堀を「よい風景画家であった」とする。

 しかし「よい風景画家であった」堀辰雄は「その絵は人生を発見できていな
い」と断じて、堀が描く現実とは「夢のようなものであって現実ではない」とする。

 だがこの批判は立原自身にむしろ当たっている。だからこそ堀辰雄を借りて
の自己批判となったのだろうが、・・・・・。

 では立原道造による堀辰雄論を抄で掲載して見て読み解くと、・・・・

 ◆  「風立ちぬ」論     立原道造


 僕らのまえに、詩人は今ひとつの本を投げ出した、「風立ちぬ」としるして。

 僕らは、しばらくこの一冊のうすい本によって詩人が僕らに試みようとする
対話に参加しようと思う。

 
              T

 
  詩人はどのような日にこれらの作品を僕らのまえに示したか、堀辰雄の植物
に類似する魂の生育にあってこれらがどのような意味を持つのか。

 かって、この詩人にあって、営みは全て土曜日に近く、音楽のなかでのみ、或
いは美しい村と物語の世界でのみ、ひとりつつましく営まれた。
 今、僕らの眼のまえにあるこの一冊の本もまたそのようなものとして受け取られ
るべきものであろうか。

 僕らはひとつの対話をはじめるまえに、先ずこの問題について考えよう。
 
 人はしばしばきいたであろう。この詩人が過去に多くの賞賛を得たとき、それが
風景画としての極端な美しさに就いてであったことを。
 或いはまたその美しい風景画を仕上げるために、彼がいかによい風景画家で
あったかということを。

 ここに彼の最も初期に属する作品のひとつをあげよう。

    
    硝子の破れている窓

    僕の蝕歯よ

    夜になるとお前のなかに

    洋燈がともり

    ぢっと聞いていると

    皿やナイフの音がしてくる

 
  ここで彼は自分の生理を一枚の風景画としてとりあつかっている。そしてその
手法はアンリ・ルソウやマリイ・ロオランサンやラウル・デュフィの持つそれと故郷
をおなじくしている。

 詩とは、彼にとって「描くべきもの」として生まれた。では、彼の場合、「描く」と
は何か。絵の具が何よりも先に与えられたことである。そそて、そのあと、彼は
何を「描こう」とかんがえたことである。

 あらゆる人生の経験より先に、何かしら淡々しいものを甘美なもの、そして暖
かいもの、しかしたそがれのものが与えられていたのである。彼の「描く」営み
は、この与えられた絵の具によって一枚の絵をつくってゆくことにあった。

 したがってその絵は人生の発見、研断ではなく、ひとつの純粋な絵をつくり出
すためのみにあった。このとき、「描く」とは、夢のようなものであって現実では
なく、戯れであって真剣な行為ではない。何物にも拘束せられずに、うっとりと
してそこにある。あらゆる営みのうちでいちばん罪のないものである。

 だが、彼はしづかに書く、「僕には何処から何処までが、夢であり、そして現実
であるのか区別することが出来ない」(眠っている男、S73)と。・・・・
 
  僕らは今、アポリエルの「水彩画家」という詩をよもう。

 、・・・・・イヴォンヌは今日は絵が描きたいんです。そして彼女は考えます。

  七歳の画家にどんなものが描けるかしら?

  肖像を描こうかしら?でも、それではあんまり時間がかかりそうだし

  それにうまく似せて描くのはなかなか難しそうだ。

  何かもっと動かないものを描く方がよくはないかしら?・・・・・・


 堀辰雄もまた、どんなものが描けるかしら、と迷った。彼に与えられた絵具は
命じた。、心理を恋愛をあたかも動かないもののようにしてえらび出せ、と。

 だが、彼はそれを、静物画のように理解しただろうか。彼は、それをひとつの
風景に感じたのである。あたかも、イヴォンヌが「子供の思いつきそうないろん
な動かないものの中から美しい家を選んだ」ように。

 詩人はここにいて、次々に描いたのである。そしてそれらは自然の成り行き
として美しい風景画となっていった。、・・・

 中略

 こころみに彼の出発の日の作品集、「不器用な天使」の目次に眼を投げたま
え。そこには容易に快活であり、ファンタスティック気分に浸れる、用事のような
彼がいる。

 
 以上が「風立ちぬ」論のTである。

 「堀辰雄作品のなかの堀辰雄の完全な不在を知った」とある堀を立原に置き
換えても一向に構わないのではないか、。


     
            「風立ちぬ」論   [

 「私はきょうもまた山や森で午後を過ごした」(S126)という美しい日には風景
のなかででの風景への誘惑と信頼があった。僕はなぜここにいるのだろうか。
ここにいていいのだろうか。このまま過ぎて行ってしまうのではないか。

 だが、「お前のすべてを絶えず支配しているものに素直に身を任せ切って
いるのではないだろうか?」(S16)しづかにつめたいよいにおいのする風が僕
の髪をかきみだしてゆく。堀辰雄はあちらの方にいる。

 ひとつの額縁の中で、微笑や仕事や病気の背景の上に。僕らは今、別れを
告げようとする。この対話のここが行き止まりだというところに来てしまったから。

 中略

 僕たちの明日は異質なものを越えてゆかねばならない。そうしてのみ無限
の高まりゆく方向を僕らは持つ。今、「風立ちぬ」 とは、やめらいなしに発音
されない。「しかし人生というものは、お前がいつもそうしているように、何も
かもそれに任せ切って置いた方がいいのだ」(S45)

 ながれの岸のほとりに立ってながれる水のあとを眼で辿るかわりに水の
上に浮かぶがいい、とおしえる知恵だろうか。

 それとも水の中にとどまることの意思を捨てて、ながれるままに身を任せよ
、という諦念だろうか。そしてそれは焔のなかに飛び入ってみづから焼け死ぬ
蛾の美しい高まりとも結びつき得る諦念だろうか。

 僕らの別離の瞬間に不思議に対話は言葉の上にためらっている。この言葉
に否を架けるか、諾を架けるか、このあれかこれかの答を堀辰雄は僕らに要
求する。僕らは覚めていなければならない。

 この恵まれた誘惑の詩人のなし得たことを僕は果たし得るだろうか。第一
の否がここに告白される。しかし、−なぜ?−拒絶と意思とが、踏切れと命じ
たゆえに。
 戦いに急げと、ひとつの声が叫ぶゆえに。蛇の口から光を奪え。・・・・
次々に架けられる「否」は、やがて明日をみたさねばならない。僕らにゆるし
あった肯定とは、こうして何であったか。

 堀辰雄はあちらの方にいる。そこには陽射しがあたたかく花が咲いていて
、風景はアジアの様式を完成させる。しかし、そのあちらなのだ。

 堀辰雄が古代日本の音楽にみちた空気になかに人間像の完全な全円を
描きあげているのは。
 僕が肯定の別離なくして、否と拒絶するならば、それは単なる破壊であり、
いっそうあわれな惨落である。否定の地盤である肯定はでなくてはならなか
った。

 この「風立ちぬ」の停止するこの瞬間に僕は美しい晩秋の最高のアダジオ
を経験する。ひとつの陽ざしが凋落を明るく彩る。風景の完成する紐帯を隔
てて、堀辰雄と僕と、ふたたび唇にのぼせる、−風立ちぬ、いざ生きめやも
と。

 大きな響きが空に鳴りわたる、出発のように。何のために?聞くがいい。
・・・・・僕らは今はじめて新しく一歩を踏み出す。「風立ちぬ」としるしした
ひとつの道を脱け出して。

 どこへ?しかし、なぜ?光にみちた美しい午前に。


 以上が最終章の[である。

 なお未定稿の「風立ちぬ」論も遺されている。その最後の部分。

 
   未定稿   「風立ちぬ」論


 僕らの告白した「否」は、ついに「風立ちぬ」と僕らの間にひとつの溝を
つくる。

 あれはついに美しい風景の氾濫にすぎない、と。この溝を埋め得るもの
は何か?僕らの新しい反発。

 かって僕らは共感から対話の通路を持ち、或る程度の可能を見た。
しかし、いま反発が通路をひらく。僕らの対話はいかなる形で可能である
か、と。そして、対話が、いつかは合唱と呼ばれ得るか、それはいつから
なのか、と。

 「私はきょうもまた山や森で午後を過ごした」(S.120) 「きょうもまた」と
いう言葉、この本のいたるところの美しい風景の上でばかり美しく発音
される。

 僕らはこの「きょうもまた」と発音するときなど、なにかイロニイを感じるだ
ろう。「くりかえし」のひとつ。そして「行き止まりだろ信じていたところから
始まっているような、特殊な」(S.61)もののひとつ。

 この上に、完全なひとつの人間像の全円を描き得たか、否か、を僕らは、
これからあと反発をもって詩人堀辰雄に問いだたそうと思う。

 そして、この風景の牧歌的な不毛の美しさのあちらに、果たして堀辰雄
は、いかなる姿勢で、今日の詩人として、僕らのまえにいるのかと、むし
ろ残酷な期待に胸をときめかせながら、このエッセイの最終部分がはじ
まってくるだろう。

 そしてそれらが僕らの今日が明日にうつりゆく日となるのだろう。


 未定稿で未発表のものだけに生々しく堀辰雄への批判が述べられて
いる。

 この「風立ちぬ」論はただ論というにはあまりに論理を欠いていて、むし
ろ立原の詩の言葉の世界に舞っている感がある、・・・があまりに似た体
質の堀辰雄への嫌悪の感情は隠しようもない。

 つまり堀辰雄を批判することで、それと似た体質の今までの立原道造
の在り方を仮借なく批判している、・・・否定の先の新しい出発を模索して
いるのである。

 しかし過去の(堀辰雄に似た)立原自身の否定を行っても、ではどこへ
いく?
 「僕らは今はじめて新しく一歩を踏み出す」とあるがそれは皆目分から
ない。

 あげく

 「ここはもうおわりだ。これから先は惨落だというところから始まる(中略)
そして出発した僕らの前進は危険な方向に向けられる」

 とあって「アジア様式完成」などとくれば、あの立原をもってしても軍国
、戦争へ暴走する日本の空気から免れることは出来なかった、・・・・と思
える。

 この「風立ちぬ」論に及ぶ戦争の影は実は深く立原の心を侵食していた
ことを示している。

 繰り返し言えば、過去の立原道造、−堀辰雄の弟子のような存在、非常
に似た体質、・・・・への自己否定の結果である。しかし行き先は見えない。
見えるのは戦争の影なのである。



 


 
 

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