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zoom RSS 明治天皇すり替え、ここから虚構と嘘の日本近代史が始まった

<<   作成日時 : 2018/07/04 23:36   >>

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表題のとおり、明治天皇は決して孝明天皇の子供の睦仁ではあり得ない、それは
田布施の南朝の血を継ぐとされた武士の大室寅之祐である、ことは既に証明されて
いるといってなんら過言ではない。少なくとも明治天皇は睦仁では絶対にあり得ない
ことは1000%確かである。だが明治新政府は何より軍国主義の国家であり、京都の
お公家にその器量がないことも間違いないことであり、明治天皇を演じぬけることが
出来る人物を田布施の大室寅之祐とした。三条実美、岩倉具視、伊藤博文などが関
わっていた。

 端的に云えば明治政府の万世一系、天孫降臨などの国家原理化は明治天皇すり
替えを隠蔽し、全てを学問的対象から除くき、自分達が孝明天皇、その子の睦仁を
殺害し、明治天皇、つまり明治政府国家という絶対主義軍国国家の架空の天皇とし
ての実力があると認めた大室寅之祐への天皇すり替えを隠蔽し、みずからの犯罪を
も隠蔽するための虚構の国家原理化であったと分かれば日本近代史の本質がここ
にあったといやでも思い知らされるであろう。

 「国家神道」などと題する学者達のものものしい本は数多いが、最も重要な論点で
あるべき「明治天皇のすり替え」にはほとんど、というか全く学者達は論考しようともし
ないばかりか完全に見ざる聞かざる言わざるである。明治天皇すり替えに目をつぶっ
た「国家神道」など明治以降の歴史書など、全く無意味であろう。

 戦前、明治天皇の写真は一般には出回っていかった、あの西郷隆盛を描いたイタ
リア人画家のものだけが表向き「ご真影」として配布された。初期にいくばくか一般に
存在した実物の写真は早期に警察が回収を行った。「現人神」だから写真などない、
ではなく「すり替え」が露見し、自らの策謀、犯罪の露見を恐怖しての完全神格化で
あった、全ては隠蔽の為である。

 すでの「明治天皇すり替え」について述べている本は何冊もある、だが正統的な
学者はいまなお黙殺している。だがこの事実に目をつぶってはなにものをも理解で
きないはずである。

 「南朝革命」とはいう、万世一系などといって南北朝時代、北朝と南朝に天皇が
並立し、北朝がその後、天皇として代を重ね、孝明天皇にいたって、明治新政府に
なって北朝の為に戦った足利尊氏は逆賊、南朝徹底擁護は露骨であった。皇居
の前には代々北朝が天皇を出してきたのだから足利尊氏の像が建って当然だろう
が現実は楠正成である。南朝崩壊以降の天皇家の歴史を完全に否定して、なお
万世一系である。

 ともかく鹿島f氏による「裏切られた三人の天皇」(新国民社)を読んでいただけれ
ばいいが、全ての方が購入というには古本も存在しない。

鹿島氏が調査の上で「明治天皇は南朝の子孫であり、孝明天皇の子ではない
」という証言を数多く得た。

 東京では中川宮の孫に当たる梨本宮守正殿下の孫の元伯爵家の広瀬興光氏


 「今どきそんなことをよく知っている人がよくいたんだなぁ、明治天皇が南朝の
子孫だということは私も聞いている。幕末の混乱だったから秘密裏に北朝から
南朝への交替が可能だったんだな、これはある人たちの間ではよく知られた
事実ですよ」

 京都では倉田地久氏が

 「明治天皇が孝明天皇の子ではないことを死の直前、近衛文麿が西郷隆英に
語ったと聞いている。幕末までお公家様でいた者が、明治になったら途端に
筋骨隆々の大男になって乗馬も平気でこなし、号令もかけ、自分で相撲をとって
体当たりまでして、絶対に右ききに修正される公家が左利き、カイゼルみたいな
まねをするなんて、考えたらおかしいじゃないか、って」

 「鹿島君、この真相は活字にして公開してもらっていいよ、真実の上にしか日本
の国体は築けないんだから」

 そのあとがきにおいて山口県の郷土史家の松重正氏はこう書かれている、

 「このように考察すると天皇家と石城山は古代から深い因縁で結ばれていたことが
よく理解できるので、束荷(つがり)村の林利助(伊藤博文)が麻郷村の大室寅之祐を
連れてこの山に登り、奇兵隊の練兵場で乗馬や角力の鍛錬をして、来るべき日に備
えていったのも、あるいは大いなる神の意思であったかも知れない。

 さて、鹿島f氏は日本人のアイデンティティの問題に正面から取り組み、数多くの
労作によって、その真相を明らかにするため長文を書き、熱心に説き、かつこれを
世に広めようとする、おそらく経営的には痛みを伴う事であろうが、先生には止むに
止まれぬ志のようなものがあるのであろう。

 明治維新のおかげで天皇になった大室寅之祐の生家が私の住む柳井市の隣町
の田布施町にある関係で、大室近祐翁のことはずいぶん早くから知っていたが、近
祐翁の話だけではいろいろ訳の分からないことが多く、正直、閉口した。

  そこへ色々な人が尋ねてこられるようになり、最後に鹿島士が来訪されて、その
結果すべての歴史が明らかにされた。

 ・・・・・・・・

  これがパンター・レイ(万物流転)の歴史の法則といわれるものであろうか。」

 明治維新以降が日本近代史である、大日本帝国憲法、教育勅語かずかずの
祝祭日制度、日の丸、君が代、創設された多くの宮廷祭祀、そのあらたな国家神道
のアイテムが万世一系という全くの虚構の盲信の強制の上に成り立ったという事実
。大日本帝国憲法の事実上の作成者は伊藤博文である。全ての現実から隔絶された
荒唐無稽な神格化、それが偶然ではないこと、孝明天皇、睦人の殺害、伊藤が将来
を託した大室寅之祐への明治天皇即位、南朝革命といいながら、多くの南朝擁護ア
イテムを明治以降は創設しつつそれまでの北朝天皇の否定自体は行われなかった。
何か言えば「不敬罪」である。

 確かに見ざる聞かざる言わざる、思考停止、虚構の盲信が政党は歴史学者を含め
、日本近代史への情けないアプローチであった。乗馬するはずもない、又相撲をする
はずもない睦仁が乗馬しての閲兵、無類の相撲好き、・・・

 京都の天皇家の伝統は政治に直接介入しない、戦に関わらない、だが明治天皇は
最初かっら戦争指揮にたけていた、全てが伝統に反していた。もちろん明治天皇は
睦仁ではない、大室寅之祐である。だからこそ写真を決して流布させなかった、実物
とかけはなれた絵画をご真影とした。逸れは現人神だから、うそである、素性がばれる
からであった。

 歴史が実は時の最高権力者たちによるでっち上げでしかないのは明らかである。
日本近代史も到底その例外ではない、御用学者の群れ、御用でなくても正統派でも
なんら真実を明かそうとしない。

 明治新政府はそれからの絶対主義軍国日本のカリスマとして京都の公家がおよそ
不適格だといやでも見抜いた、ならば同時に南朝革命をも実行しようとしたのである
が、すり替え隠蔽のための万世一系に自己矛盾が潜んでいたのは皮肉であろう。

 日本人は明治以降の日本の歴史の出発点が孝明天皇、睦仁の殺害、田布施の
大室寅之祐へのすり替えで始まったという事実、最後まで明治天皇を演じきった、
新政府の軍国国家推進のためのカリスマの役割を果たしきったかのような大室では
あるが、真の目的であった南朝天皇を名乗るということは果たせなかった。万世一系
の抱える荒唐無稽な矛盾に逆に災いされた、あるいは大きな失意に没したのではな
いかと私は考える。他方、国民は際限もない虚構盲信の思考停止を近代教育制度で
叩き込まれ続けた。

  当初は南朝革命をドサクサで実現したかのようだが、その隠蔽のため、また伝統
に反する天皇が政治、軍事の現実のトップとなるという暴走は国家に極度の歪みを
生じさせ、ついには戦争自体を目的とする究極の軍国となって焦土化を招いてしまっ
た。

  鹿島氏の力説は、「真実の隠蔽からは真の歴史は語れず、国家の歪んだ方向が
それによって規定されてしまう」という点に尽きる。

 本書において鹿島氏はこう述べている

 「そもそもロシア、中国の共産化は日本が勝った勝ったと大喜びした日清日露の戦争
、(さらには昭和の裕仁時代の日中戦争)のためであるといって過言ではない。歴史に
『もし』はないが、もし孝明天皇が生きておられたら、この二つの大戦もそれに続く戦争も
なかったはずだ。共産国はこの世に登場していないのである。

 天皇家の暗殺と天皇すり替えをひたすら隠蔽し、白村江からの天皇家の歴史を無視
して、ウチに弾圧、外には侵略戦争の国家を招いたことは明治天皇、元老たちの致命的
な失敗であった。南朝革命と言ってそれを隠したのでは何の理念もないではないか」

 明治天皇の本当の写真は珍しい、大室寅之祐と明治天皇の同一性は明らかである。

 
   
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