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zoom RSS 真に積極的な健康法を考える、自己と非自己を超えて

<<   作成日時 : 2018/07/12 12:01   >>

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 私は早い段階で大病をしたおかげというべきか、健康の大切さを日々痛感して
生きたわけである。如何にしたら健康でいられるか、これは人間永遠の願いでは
なかろうか。現代は分析的西洋医学の支配でその資格があれば漢方も認めると
いうくらいのスタンスであろう、国家的な医療政策は、だが個人個人の健康の追
求はそんなものとは関係はない。

 かっての日本では日常生活、宗教的生活に至るまで、身体の有り様は極めて
重視された。今の医療保険で大騒ぎしている時代とはまた異次元での身体の重
視であろう。座禅でも茶道でも、身体はそのまま心の有り様でもあった。それは人
間そのもといえた。

 『莊子』の「養生主編」に、包丁の名人という人物が「天理に従って牛を割けば、
牛刀は長年使っていようとも研ぎすませたような切れ味を持つ」といったことを、
文恵はそれをそのまま「それこそが養生である」と理解したという逸話。これは
一身の風姿にすべてを込めた日本人の健康感、身体感に通じるものであろう。

 養生をさらに積極的に考えて、生命を持つ我が身は内なる生命場のエネルギ
ーである。電磁場とか重力場という物理的概念があるが、さらに根源で生命に
直結する真実在のエネルギー的な物理場が存在して、生命場を形作るとも考え
られるであろう。

 日常の生活でその内在する生命場のエネルギーを高め続け、死ぬ日をその
最高に持っていくという考え、その勢いで死後の世界に到達するという。死は
生命の終わりではないという悠久の考えでもある。ただ死は無である、虚空で
あると投げやりになるといけない。

 ベンジャミン・フランクリンの言葉で「自然は病気を治し、医者は金を取る」
実際、今も昔もこれに変わりはない。自然治癒力、生命力のないところでいくら
医学を投入しようが無駄である。ナチュラルにして積極的な養生法である。

 自然治癒力を西洋流の分析医学で説明せよといえばもったいぶった理屈が
出てくるだろうが、現実、その本質は詳らかではない。だが手におった傷も時間
とともに元に戻る、この偉大なる自然治癒力を内なる生命のエネルギーのほとば
知りだとして何の間違いもない。自然治癒力の根源が生命自体を維持するその
っ生命現象それ自体でもある。

 とこrで最近、「免疫療法」なるものが、たとえばガン治療などで取り上げられる

理屈で言えば「生体が疾病、感染症において抵抗力を獲得する現象。自己と
非自己を識別して非自己から自己を守る機構・・・・・・」

 だが自己と非自己のしきべつがほんしつである。がん細胞でも所詮は自らの
細胞であり、決して「非自己」ではない。根本的な困難さがつきまとう。

 私が子供時代、多少成長しても「花粉症」なんて効いたことも見たこともなかっ
た。今と同じ以上に花粉は飛び交っていた。だが現在の惨憺たる状況はどうだろ
うか。免疫科外来などという、しかめっつらの診療科に患者が押し寄せる。もう
人間ばかりではない、猿や犬にも花粉症だ。花粉がなにか凶悪化した、はずは
ない。

 今に比べりゃ遊ぶものなんかなかった、と言われそうだが違う。学校から帰ると
カバンを放り投げ外に、野山に友達と遊びに出た、そこには自然が溢れていた。
遊ぶものはいくらでもあった。当然、日が暮れるまで花粉の中を遊び回っていた。
遅くなったら親が呼びに来ていたくらいだ。花粉はその頃は立派な自己であった。

 だが今は自然が日々の生活から失われてしまった。いつの間にか花粉は憎む
べき非自己に成り果てた。自然からかけはなれた結果が猫も杓子も花粉症だ。

  ガン治療の免疫療法も本来は自己として取り入れるべきものを非自己に追い
遣った免疫機構の狂い、生命場の狂いこそが病根であり、免疫は屁理屈でなく
まさに大所高所からこそ論じられるべきである。

 非自己と自己を識別して自己を非自己から守る。それはそれでよかろう。今ま
で困っていた一部の疾病もこれで治ることもある。だがしょせん、其れだけである
。そこから自己の殻に閉じこもってしまうと、まさに引きこもりである。良き健康で
はない。

 人間は地球上、いや宇宙の中の、虚空の中の全存在とのつながりにおいて
のみ生きていられるのである。非自己といえども必ずどこかで自分とつながって
いる。限りない相互関係のネットワークの編みの中で生きている、その網の目
極限まで小さくしたのが生命の場である。非自己も自己の仲間なのだ。

 その生命の場はよき場でなければならない。食べ物の養生となると、これはもう
旬である。旬の食べ物こそが自然のエネルギを持っているのである。で、酒?これ
は飲み方であるが、旬の旨さも酒があればこそ、である。

 そして精神、心である。心の養生こそ健康の根源である、不平不満で人の不孝
を願うような輩に健康はない。折に触れてのときめきの心、悲しいこと、辛いことば
仮の人生みたいだ、でも人生を涙の谷としてもおろに触れてのときめき、である。
人間は寂しい存在、悲しい存在、だからこそ悲しみをこの大地に希望を撒いて生き
る。

 私は最近バラに凝っている、最初は栽培方法を心得ず、昔買ったアンネのバラを
枯らしてしまった。その反省で栽培法の本を買い込んで日々、世話をしている。
葉を展開し、やがて芽が出て花を咲かせる。この自然の力は微妙で偉大である。
さりげない愛らしい花に込められた自然の力である。

  
画像


 生命とは宇宙と通じた内なる生命場のエネルギーの発露、孤立した生命場はな
い、全ては非自己とのネットワークである。

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