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zoom RSS 女人禁制は「先人の教え」という程の価値はない、・・・大相撲

<<   作成日時 : 2018/06/03 13:06   >>

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 それはしょせんは迷信であるが、「神道の神事」に関連した女性を穢れたものとみなす
価値観を八角理事長のいう「先人の教え」と聞いて納得できるかどうか、宝塚で土俵上で
男性が昏倒したとき、周囲にいた女性看護師が土俵に上がって救急措置を行った。こ
こで行司レベルの関係者がマイクで「女性は土俵に上がるな」と繰り返して、・・・・・そのあ
まりの融通のなさに批判が生まれ、相撲協会が謝罪と看護師への感謝を述べた、・・・・・ま
では良かった、がその後は逆に「女人禁制」に日本相撲協会が目覚めたかのごとく、子供
相撲でも女児が土俵に上がることに反対、ある種の反動化が舞い踊っている。

 これは例えば宇佐八幡神宮や富岡八幡宮での女性宮司就任に日本会議の中心団体で
ある神社本庁が執拗に、徹底して妨害、反対していたことと実は対応している。では神道
において女性宮司が認められないのか、となると明治以降の近代ファシズムの中枢となっ
た国家神道に、せいぜいよるものとしかいえない。大相撲に至っては、日本の相撲が神事
にのっとって発展した歴史がある、・・・・・から女人禁制は絶対普遍の「伝統」で、不適切な
表現だが八角によれば「先人の教え」となるらしい。

 それ自体が絶対的な伝統でもなく、古来の風習でもない、伝統だから現在も維持すべき
かは又別問題である。おおくの「伝統」が悪しき古色蒼然の迷信であることが大半である
からだ。相撲のあり方も多様であり、何も現代の大相撲に引き継がれる相撲が相撲のすべ
てでも何でもない。滑稽なまでの女人禁制を自らのアイデンティティといわんばかりの「伝統
」の大相撲だが、・・・・・・あの宝塚以降をみても日本会議の影響が強く感じられる。

 差別的な排除思想を明治以降の近代天皇教国家は一層拡大させてきた。本来はおおらか
な日本の風土、伝統が、ガチガチの陰湿で差別的なものを亢進させ、絶対化してきた。明治
以降の日本ほど日本の歴史で陰湿で差別的思想を日常に蔓延させた時代はない。それが
「過去の風習」、それが神道の伝統出来習わしという体面を持てばもう絶対墨守の対象と
なるわけだ。

 元佐田の山の市川晋松が日本会議の幹部であったように日本相撲協会は国家神道と
いう近代天皇教に従うことを自らの責務、アイデンティティーとみなしているのは間違いな
い。明治以降の本来の伝統に反する硬直した差別的思想もその自らのアイデンティティー
なのである。

 さだまさしは國學院だ、いつかコンサートを見に行ったら、声帯を痛めているせいか、も
う話しばかり。

 みなさん、相撲の土俵の下には何が入っているか知ってますか」

   
画像


 まあ、神事のお供えである。それがいかにも信じの習わしに従っているようであり、それ
が明治以降の国家神道の諸アイテム、概念に盲従する体質を生んでいるのは否めない。
それはそれでいいが、社会常識である、最低限な見識もないのである。だから女人禁制
を神道に従う自らの絶対的な愛d年ティティーと思い込んでの諸行動であろう。

 それ自体、全くの迷信である以上、バカバカしいだけでは論破しにくいものである。端的
にいえば明治以降に確立の風習に過ぎない、であるが。それとて聞く耳はないだろう。

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