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zoom RSS 山路閑古(古川柳家、化学者)の戦災記

<<   作成日時 : 2018/06/07 11:07   >>

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  もう終戦直後の出版昭和21年12月25日、福岡市の出版社、本人の住所は戦災
にあっての疎開先、南多摩郡油木村鑓水、となにかドサクサを思わせるもの、表紙
はバラ(だろうか)の花束を抱えた天使が日本列島に花を落としているかのような絵
ガラ、B29の空襲の皮肉のようだ。

 
画像



  山路 閑古(やまじ かんこ、1900年10月13日 - 1977年4月10日)は、化学者、古川柳研究家。

静岡県鷹匠町(現・静岡市葵区)出身。本名は萩原時夫。1925年[1]、東京帝国大学理学部化学科卒。川柳を阪井久良伎に、俳句を高浜虚子に、連句を根津芦丈に学び、古川柳を紹介した。1962年大磯鴫立庵19代庵主。東京高等商船学校教授、共立女子大学教授(化学)、1971年定年。[2][3]


 
  其の表紙画は杉浦非水による。挿絵も描いている。それを「荘厳」という言葉で
形容している。「しょうごん」と読んで仏像、仏堂の飾りを指す言葉らしい。

 「斯の如き荘厳数多持ち寄られたる杉浦非水画伯の美しき友情に深謝す。」

 ともかくも山路閑古は戦災、B29の空襲に東京で遭遇した、また関東大震災にも。

 B29作戦は最初の高高度からの精密爆撃から、効果が上がらないのに業を煮やし
て低空からの焼夷弾による無差別爆撃に変更され、日本は焦土化された。東京は繰り
かえしの焼夷弾無差別爆撃を浴びた。

 山路閑古にすれば家々は焼かれ、人は死んで蔵書も焼かれて灰に、戦災の記録は
ただもう「荘厳」という祈りに似た言葉でしか象徴できなかったのだろう。

 山路閑古の空襲による罹災は昭和20年5月26日午前零時、「山の手大空襲」である。
投下焼夷弾は3月10日の下町への東京大空襲の2倍に及んだ。この日時は覚えやす
いからに過ぎず、空襲は5月24日から続き、多くの著名建築物も焼失した。死者は3600
人ほど。

 山路閑古は化学者にして古川柳家、俳句、短歌も嗜んだ文学者である。岩波書店か
ら出てる『古川柳』1965年刊は読めば非常に面白い。一種の気さくさにあふれて、押し
附けがましくない、独りよがりになっていない。

 冒頭、「古川柳」は「こせんりゅう」と読む、「ふるかわやなぎ」ではない。次に持ち出す
のが15字を基本料金とした電報文、其の例で毛sd策としているのが「ダンナハイケナイ
ワタシハテキズ」

 「ご承知の通り、電報の仮名は濁音は二文字に数えられるから、この例示も残念なが
ら15時から外れるが、文章としてみればまさしく15音字であり、15字詩というべき詩格を
備えている」「ダンナハイケナ」は何やら木魚で叩き出すような念仏風なリズムがある。
「このような或る内容を持つ短い文章が、リズムに乗って繰り出される時、其の文章は
実用を越えて、深い感銘を与える」

 戦災記は特段のリズムはないようだ、「新釈方丈記」では関東大震災の話。

 この罹災で山路の体を温めたものはアメリカから贈られた毛布、今度はアメリカから
の焼夷弾の洗礼ですべてを焼かれつくされ失うという悲運。天災から人災へ。

 関東大震災、銭湯の番台に座る娘を見初めたという若き日の高物語。

 ー仮にもをつとなら、あたい、相対でなくちゃいやだ、と彼女はい云う。戦闘で一方的
に裸を見せられるけど、それじゃ帳尻が合わない、今度はあなたが私の裸を見る番で
しょ、と迫られた。震災はこの恋愛のさなかに起きた、番台の彼女は「居ながらにして
火葬になってしまったのである」

 オレンジ色の意味深の表紙が戦災を感じさせてくれる。

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