つぶやき館

アクセスカウンタ

zoom RSS むのたけじ氏と黒岩比佐子さんの出会い(1997年)

<<   作成日時 : 2018/05/28 19:15   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 
画像
ある人との出会いが人生を変える時がある。もちろん精神的に有意義な出会い
でなければ意味はない。人生の転機となり、その後の新たな発展の足がかりと
なったら、そのようなある意味、稀有な出会いに「むのたけじ氏」と黒岩比佐子さ
んの出会いを挙げることができる、リベラルの強固なスタンスで歴史の探求を行
いつづけて2010年11月52歳で惜しくも亡くなられた黒岩さんだが、その生きた軌跡
、光芒は消え去ることはない。その黒岩比佐子さんが「むのたけじ氏」との出会い、
それが人生の転機となったことを述べられた文章がある。2008年11月の発表、死
の二年前である。教師的態度を取る人間に教えられるものは実はないに等しい。
もし教えられるものがあるならその人の生活自体、生き方自体に起因するものに
インスパイアされた場合である。むのたけじ氏との出会いはまさしくそうであった。

  十一年前の出会い        黒岩比佐子

 私より43歳年上のその人は現在93歳である。

 しかし口から迸り出る熱い言葉、柔軟な思考、瑞々しい感受性はまるで二十代
のようだ。その人とは、二日間、語り通したこともある。小柄な体に似合わない大
声と、机を叩き割らんばかりの大迫力に、たじたじとなったこともあった。

 そう、私の「人生の師」ともいうべき人は、ジャーナリストの「むのたけじ」氏(武野
武治)である。1915年、大正4年1月生まれのむのさんは、ニ・ニ六事件が起こった
1936年、昭和11年に報知新聞の記者となり、日中戦争勃発後、中国に派遣され
、朝日新聞に移ってからは、インドネシアに従軍して戦争を体験している。1945年
8月15日、、むのさんは一人のジャーナリストとして「本当の戦争を伝えなかった」
ことへの責任をとって、新聞社を辞職した。

 その後、1948から秋田県横手市でタブロイド版の週刊新聞「たいまつ」を創刊し、
三十年間発行する。また『たいまつ十六年』をはじめとして『雪と足と』、『踏まれ石
の返書』、『ボロを旗として』、『日本の教師にうったえる』、『詞集たいまつ』、など
、様々な著作や講演活動などによって、60年代から70年代の青年たち、とくに、い
まの団塊の世代より上の人達に、影響を与えてきたといえるであろう。

 正直に言えば、それは全部あとになって知ったことである。現在、私より若い人で
むのさんの名前を知っている人は少ない。私も11年前のある機関誌のインタビュー
の仕事でお会いするまでは、むのさんのことは知らなかった。横手市に行く前に著
作を読んで驚いた。どうして、いままでこの人のことを一度も耳にせず、読む機会も
なかったのか、と。

 実際にお話を伺ってみてさらに驚嘆した。むのさんは、その時82歳私は39歳だっ
た。ところは話しているうちに、年齢のことなどすっかり忘れてしまった。なぜか、強
く、心に感じるものがあった。帰宅後、お礼の葉書を出すと、むのさんから返事をい
ただき、それからずっと文通が続くことになった。

 今思えば運命的な出会いだった。20代後半からフリーランスのライターとして活動
していた私は、30代後半になって、本当に書きたいものは何か、何を書くべきかと、
暗中模索を続けていた。むのさんに出会ったのは、ちょうど私がある人物の評伝を
書こうと決意して、さりとて出版できるあてもなく、取材をはじめていた時だった。

 手紙で相談すると、むのさんはそのたびに、長い人生経験から、直感から、日本
の社会状況から、いろいろなアドバイスをしてくださった。便箋十数枚もの厚い手紙
が届くこともあった。その重みがうれしかった。何をしてもうまくいかず、意気消沈して
いるようなときでさえ、それを読むと不思議に勇気が湧いてきた。会社にも組織にも
所属していないライターである私は、むのさんの手紙にどれほど励まされたことか。

 それから現在まで七冊の本を出すことができた。最初の著作も含めてそのうち三冊
が評伝だが、人の見方やものの見方について、むのさんには多くのことを教えていた
だいた。秋田と東京で離れているため、お会いしたのは六回にとどまるが、むのさんに
よれば、私が書いた手紙は百通以上になるという。目が悪くなったため、むのさんから
は電話が多くなったが、これまで七十通近い手紙をいただいている。私の大事な宝物
だ。

 むのさんからのメッセージには、忘れられない強烈なものがある。たとえば、物書きと
して忘れてはいけないことの一つに「死に物狂いの努力と、その貫徹。

 なかなかその境地に達することはできないが、怠け心が出そうになると、私はこのフ
レーズをつぶやいて自分を戒めている。そして、今年50歳になった私に、93歳になった
むのさんが贈ってくださった言葉は「人生は六十歳からが本番」。もう50歳かと落ち込み
かけていたときに、まだこれから10年間は勉強期間であり、60歳でようやく本当の力を
発揮できる。人生はそこからが本番だ、と言われてかなり気持ちが楽になった。

 今年の七月、むのさんのお話を私が聞き手としてまとめた『戦争絶滅へ、人間復活へ
、ー93歳・ジャーナリストの発言』を岩波新書で出すことができた。11年前、まさかこの
ような日が来るとは思いもよらなかった。感慨深い。うれしいことにさまざまな反響があ
って、版を重ねている。

 私はこれまで、尊敬する先輩から教えを受けることしか考えていなかった。もちろん、
それは自分が余りに未熟だからである。だが、それだけではなく、これから同じ道を志
す若い人たちにも私が先輩から学んだことを伝えていくことを考えなければならない。
「生きる」とは、そうやって次の世代にバトンを渡していくことでもある。

 おそらく、むのさんはそのことを私に気づかせたかっただろう。自己中心的に生きて
きたことをこれほど反省させられたことはなかった。若い人たちのために何が出来るか
、少しづつ考えていこうと思っている。


 以上が黒岩比佐子さんが2008年11月に雑誌に発表された、むのたけじ氏との交流
についての文章、「60歳からが人生本番」とむのさんから諭されて力づけられたと感じ
た黒岩さんだがその願いはなわず2010年、52歳の若さで逝去された。ご無念であっ
たと思う。

 


 

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
むのたけじ氏と黒岩比佐子さんの出会い(1997年) つぶやき館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる