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zoom RSS 『八甲田山 消された真実』(山と渓谷社)小説と映画の虚偽を痛撃

<<   作成日時 : 2018/05/21 11:43   >>

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1971年の新田次郎作「八甲田山 死の彷徨」とそれに続く映画『八甲田山』高倉健
主演、基本的に八甲田山の雪中行軍による五連隊の遭難とかろうじて生き延びた
三十一連隊の比較で議論は行われ、三十一連隊の福島大尉の英雄的行為とまでは
いかなくてもその判断がギリギリで兵士の命を救った、という内容である。・・・・・これが
果たして正しいのか?というのが自衛隊出身の著者、粟野仁雄氏の執筆動機である。
二人の指導者の認識と判断が兵士の生死を分けた、・・・・・・そう単純に考えていいの
か、である。

 「八甲田山雪中行軍遭難」の概略は以下の通りである。
 
 明治35年、1902年1月25日午前3時過ぎ、第8師団第5連隊の雪中行軍の指揮官、神
成文吉は吹きすさぶ雪の嵐の中、「もうダメだ、俺も死ぬから、全員枕を並べて死のう」と
悲痛に叫んだ。もはた雪中行軍など不可能であった。青森市の第5連隊と弘前市の第31
連隊が雪中行軍を計画したのは、対ロシアの戦争を想定してでああった。ロシア艦隊に
よる海上封鎖も考えられる状況のため、八甲田山、1585mを超えて青森平野と八戸地区
を結ぶ連絡路の確保が必要とされた。また戦場となると予想された満州やシベリでの冬の
戦いに備える意味もあった。

 神成大尉以下の第5連隊は、青森市から田代平までの約50キロを一泊二日で往復す
る計画を立てた。総勢は210名に及び、装備は膨らんだ。精米一石二斗六升、牛肉缶詰
130キロ、225キロにおよぶ薪、10本の小型ショベル、など莫大な装備を14台のソリに
載せて一台を四名で引いた、

 第31連隊は弘前市から十和田湖沿岸を進み、八甲田山を超えて青森市経由で弘前市
に戻る計画であった。全長は234キロに及んだ。これを12日かかって踏破する長期戦で
あったが、宿泊は民家として装備は可能な限り少なくした。

 第31連隊はひと足早く出発、三日後の1月23日午前7時、第5連隊は青森市の屯営
を出発した。前夜から雪は降り続き、零下6度、冬の青森にしては穏やかであった。
およそ30分後、部隊は幸畑村に到着、ここで判断ミスが出た。村民は「案内人をつけ
ないと此処から先は危険だ」という進言を兵士は「軍隊の行軍に村民の案内などいら
ん!案内の駄賃欲しさで云うとるのか!」

 だが冬の八甲田山がいかに危険であるかは村民が一番良く知っている。魔の山で
ある。土地勘があっても入り込む場所ではない。他方、第31連隊は行く先々で地元の
案内人を雇い入れていた。案内人もないまま第5連隊は冬の八甲田山に足を踏み入
れたのである。

 だが同日午後から天候は急変した。気温は零下20度に迫った。携帯の飯は氷のよ
うに固くなった。積雪は胸より深くなった。もはや雪の中を泳ぐ状態、反りは立ち往生
。兵士が荷物を背負って進んだ。だが吹雪は猛烈さをました。神成大尉はここで露営
を命じた。しかし翌日1月24日になっても猛吹雪は止む気配がない。猛烈な大寒波が
日本を列島をおおっていた。零下25度に達し、磁石さえ凍てついて動かない。兵士は
凍傷、疲労でバタバタ倒れた。210人いた兵士も24日には170名、25日夜には40名ほ
どに減少した。川に飛び込んで氷地蔵となるもの、枯れ木を見て「救援隊が来た」と
叫ぶもの、もはや崩壊であった。

 第ご連隊本部も異常に気づき捜索隊を派遣したが、吹雪で容易に進めなかった。
27日になって遭難兵士を発見した。後藤房之助伍長は直立の姿勢で雪に埋もれ、
凍結していた。公立遺体体は発見されていき、神成大尉の遺体も発見された。

 第31連隊も吹雪と悪戦苦闘していた。進路w見失いそうになったが案内人により
、行軍を続けた、19日に青森市に近い田茂木野に到着、そこで第5連隊の遭難を知
った。第5連隊は210名中199名が死亡、第31連隊は凍傷をおった兵士もいたが犠牲
者はでなかった。

 ここから甘く見た第5連隊の指揮官と十分に認識し、準備を持って行軍した第31連隊
の指揮官の差を論じるのが定説ではある。

 では『八甲田山 消された真実』粟野仁雄は何を訴えたのか?

 著者は自衛隊に1977年入隊した。その年、映画「八甲田山」が封切られた。「映画や
小説のイメージが先行している、真実はどうだったのか」と長年調査をした。

 第ご連隊はまったくの準備不足と甘く見たつけで極寒に兵士は次々と倒れた。

 新田次郎作品で美化された、また映画でも主人公的に美化された人物も容赦なく
批判していることである。

 映画では高倉健が演じた第31連隊の福島泰蔵大尉も「天皇上奏と嘘で恫喝して
役場に協力させた」とする。

 美化はされないが第5連隊の津川連隊長を「捜索より転出将校の送別会を重視し
た」、「偽りに満ちた大臣報告書」と真実の隠蔽の張本人とみなす。

 「1人ノメンツのために199人が命を落とし、8人が手足を切断した」

 新田作品に配属への遠慮があった。

 映画小説では責任をとって自殺したとされる山口少佐も著者は「自殺でなく心臓
麻痺」と断定している。自殺説は昭和になってからのものであり、右翼には好都合で
あった。

 何が真実か、流されない厳しい目が必要というわけである。


  
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