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zoom RSS 知られざる文豪・夏目漱石の一面、ただ怖いだけ

<<   作成日時 : 2018/04/16 21:17   >>

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 知られざるとはいって夏目伸六さんが「父・夏目漱石」などでかなり詳述して
いるから、現実は知られている家庭における夏目漱石、伸六さんが、結局、何の
愛情も持てない父親、激昂する怖い父親、まさしく人生の敗北者というべき父親
を語り尽くしている、とはいえる。ただもうお一人、長男の夏目純一さんの回顧は
あまり執筆されなかった方だけに、もうひとつの貴重な証言となり得る。

 生前の夏目漱石を知った最後の方は長男の純一さんである。1999年2月に92
歳で亡くなられった。父親の漱石が大正5年1916年12月9日に亡くなったときは
9歳であった。

 その晩年、純一氏の長男の房之介さんの仲介で純一さんを何度もインタビュ
ーされた出版ジャーナリストの塩澤実信氏がその思い出話を聞いている。

 「親父はとにかく怖かった」というのが純一さんの偽らざる言葉である。

 実際、次男の伸六さんの著書では

 「物心がついてからの父については、不幸にして、唯恐ろしかったと云う記憶
のみが鮮明である。私ばかりでなく他の兄弟達も、当時の思い出はいずれ私と
大差ないと思う。唯、私達兄弟の中で、たった一人、少しも父を怖がらなかった
子どもが居る。すぐ上の愛子と云う姉で、父の胸には、外の子どもに比較して、
自分を少しも恐れぬ此子供の気持ちが、特に敏感に映じたのではないか。兎に
角、父は此姉を一番可愛がって居た様である」

  愛子は病弱で、漱石の死後、岩波茂雄の配慮で、斉藤茂吉を通じて入院
先を斡旋してもらった。

 純一さんはそのときの模様を

 「・・・・・・入院をを伝えに家に来たときは、岩波茂雄さんは寝ている愛子の
頭を優しく撫でて、『愛子ちゃん、良い病院に入れてあげるからね、・・・・・・すぐ
良くなるから』って・・・・・・」

 と語り、そこまで語って、感極まって号泣された。既に80歳を超えていた純一
さんだったが、岩波茂雄さんの優しさを思って泣かれたのである。伸六さんも
その著書に「岩波茂雄さんについて」を書かれておられる。

 塩澤氏が純一さんにあったのは、最後にあったのは1997年の夏であった。
90歳を越えようとして声も弱弱しくなっていた。だが以前として漱石の恐ろしい
記憶は鮮明であった。

 純一、伸六兄弟は、漱石の意向で暁星学園に学んだ。ここは小学校から
フランス語があった。漱石は純一さんが小学校から帰ると、フランス語の勉強
を見てやると、机に向かわせ、その肩越しに復習を見守った。がフランス語の
音読はたどたどしい。

 「だんだん親父の息遣いが荒くなってね、突如『バカ!』と一喝したんです。僕
が怯えて泣きじゃくったら母が駆けつけてきて『フランス語を教えてあげるんじゃ
なかったんですか』トイウト『教えるも何も、わしはバカは嫌いだ』と怒鳴ってね」

 その世の尊敬を一身に集めた文豪のあまりいただけない家庭での態度を苦笑
混じりに話されたという。

 


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