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zoom RSS ケーディス大佐と鳥尾鶴代の燃え上がった恋

<<   作成日時 : 2018/02/14 12:05   >>

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  日本の保守派とされる人たち、安倍晋三首相はその代表だが、日本国憲法は
「押し付けられた」、「押しつけ憲法」と同時に戦後の日本を規定する最たるもので
ある日米同盟、日米地位協定、日米合同委員会などは絶対的な信奉の対象、こ
れはおかしい。日本国憲法否定こそが戦後保守派のお題目となっていることだけ
は事実である。・・・・・・その日本国憲法の原案をさくせしたのがGHQ内のG(民政
局)次長のチャールズ・ルイス・ケーディス大佐である。ソノケーディス大佐は日本
人女性との不倫関係にはまり、それをネタに更迭されたとも言える。

 日本国憲法の原案的なものはマッカーサー草案とよばれるもだが、マッカーサー
にそのようなものを作る能力はない、ひとえにハーバード出身のケーディス大佐に
よるものである。

 あて、1946年、昭和21年1月、子爵夫人、鳥尾敬光夫人である鳥尾鶴代は楢橋
渡の開催したパ−ティーでGHQ(連合国総司令部)の中のGS(民政局)次長の
チャールズ・ルイス・ケーディス大佐(39歳)とはじめって出会った。まさにこの日か
ら鳥尾鶴代は「占領下鹿鳴館」の女王とよばれたのである。

 それからの事情は鳥尾鶴代の著書「私の足音が聞こえるーマダム鳥尾の回想」
に詳しい。

 この当時、内閣書記官長の楢橋は頻繁にGSのメンバーを招いてパーティーを
開催していた。占領政策の推移と方向性をどうしても掴んでおきたかった、という
事情がある。とりわけ新憲法における天皇の位置づけ、戦争犯罪人に加えられる
かどうか、が目前の課題となっており、占領下の行政を担当するGSの動向はまさ
に喉から手が出るほど知りたかったのである。そのためには鳥尾子爵夫人など
をGS幹部に接近させる事が必要と思われた。

 そのパーティーでケーディス大佐はダンスに鳥尾鶴代を誘った。

 鶴代とケーディスはその後、密会を重ねるたびに親密の度をました。2月になると
ケーディスは世田谷の深沢の鳥尾邸似通ってき始めた。ちょうど、このころ、ケー
ディスはマッカーサーから「六日間で」、「憲法試案」を仕上げるようにと命令されて
いた。その憲法試案づくりには午前7時から午後11時位までかかったが、ケーディ
スは深夜であろうと遠慮なく、ジープを飛ばして鳥尾邸に鶴代に逢うためにやって
来た。

 といって鳥尾家には鶴代の亭主で当主の敬光もいた。ケーディスが来ると、敬
光は鶴代と同席していてもそそくさと自室に退いた。男女の関係はわかるはずで
ある。もう夫婦の間は冷え切っていたのである。

 ケーディス大佐と鶴代の燃え上がる不倫の恋は世間に知れ渡ることになった。
だがいたって奔放な鶴代はもう人目をはばかることもない二人は鳥尾家の別荘が
ある軽井沢で週末を過ごしたり、富士山麓でデートを楽しんだりと、どうにもとまら
ないという状態になった。

 j鳥尾の自著にはこうある

 『彼は主人の持っていないものを全部持っていました。決断力、抱擁力、女子供
へのいたわり、養う力、・・・・・・私は主人との仲は肉体的、精神的にすかkり離れ
ていて、その分だけ反比例して私とケーディスの仲は深まった。精神的にも物質
的にも・・・・・』

 ケーディスの当時の辣腕ぶりはすさまじく、絶頂期にあった。彼は人権の保障、
民主主義、社会保障、また経済復興を牽引するニューディーラーとして自分の理
想を戦後の日本に植え付けようとした。憲法草案に於いて中心的役割をにない
、つづいて農地改革、財閥解体、戦争協力者の追放などに深く関わった。

 だがここからGHQは日本の旧勢力と結びつく右旋回を始めた。独におけるナチ
勢力の徹底追放、断罪は日本では逆に戦前の右翼勢力を手を結ぶことになった。
GHQは内部の勢力もGS(民政局)よりGS2(参謀第二部)の力が増した。それまで
GHQを引っ張った民主政力としてのGSはアカ勢力ならぬ桃色勢力として排斥され
始めた。それを象徴したのが昭和電工事件、芦田均内閣を総辞職に追い込んだ。
単なる贈収賄ではなくGS2部長のウィロビー少将とGSのケーディス大佐との対立
、吉田茂による芦田均追い落としなどがからんでいた。

 GS2のウィロビー少将のケーディス排撃はツルよとの桃色スキャンダルを暴くた
めに周到に準備を重ねた。警視庁の刑事部が二人を尾行し、泥酔した鶴代をケー
ディスがだいて家に入る姿の撮影に成功した。

 1948年、昭和23年12月7日、攻撃に晒されたケーディスは軍籍から離れた。引き
つづき陸軍省極東部代表として文官として東京にとどまったが帰国は迫っていた。
別れが目前となったトキ、鶴代は三井家の豪邸の離れを借りた。ケーディス、鶴代
は三日間もここにこもって「キチガイのように愛し合った」という。
 
ケーディスは新憲法の施行二周年の日、1949年5月3日正式に退役した。

 鳥尾鶴代は1991年に79歳でなくなった。


鳥尾鶴代(中央)と右がケーディス大佐

 
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