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zoom RSS 上村松園、・・・近代美人画を創造した偉大なる女性日本画家

<<   作成日時 : 2017/09/30 14:44   >>

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  近代日本美人画の極北、最高峰と称されたいだいなる女性日本画家
、上村松園は1948年、昭和23年、女性として初の文化勲章を受賞した。文
化勲章は近衛文麿の創設である。この時、上村松園73歳、15歳から58年に
及ぶ、その美人画を中心とする日本画家としての功績が認められたのであ
る。とこロが松園はそれから昭和24年8月27日、肺がんでこの世を去った。
その美人画はまさしく近代美人画の最高峰であり、あまりの優美さと風雅さ
は筆舌に尽くせないものがある。
 
 上村松園は本名を津穪(つね)というい、1875年、明治8年4月22日、京都
に生まれた。葉茶屋「ちきり屋」の次女であった。父親は彼女が生まれる二
ケ月前に急死し、しっかり者の母の手で育てられた。後年、松園はその著書
の中で「私の母は私だけでなくわたしの芸術も産んでくれた」と述べているほ
どである。母の仲は幼い頃から絵が大好きでこのんでいつも絵を描く娘の唯
一の理解者であった。時代は女性が思う存分に絵を描くなど許容するもので
はなかったのである。

 1887年、明治20年、京都府画学校に入学した彼女は学校からの帰り道に
、京都画壇における泰斗であった鈴木松年の画塾にも通い、勉強に明け暮れ
たのである。1890年、明治23年の第三回内国勧業博覧会に彼女は「四季美人
図」を出展、これが第一等の栄誉に輝き、これを見て感動したイギリスのコンノ
ート殿下がお買上げとなった。この時、彼女はまだ15歳、あまりに鮮烈なデビュ
ーであった。以後、彼女は人物画に心血を注ぎ、女性、美人画にすべてを賭け
た。明治33年、出世作ともいうべき「花ざかり」で第九回日本絵画協会・日本美
述院連合共進会に出展し、下村観山、菱田春草、横山大観らについで銀牌三
席に入選を果たした。

 ところで松園は私生活については謎多き女性であった。例えば瀬戸内寂聴
もそれを「見事な沈黙ぶり」と評していたが、明治35年、非婚で息子・信太郎を
出産、生涯遂にその父の名を明かすことはなかった。

 三十代以降は松園はますますその芸術的個性を磨き上げ、後年、「最も凄
惨な作品」とまで評された「焔」を発表、こののち長い低迷期に、スランプに陥
った。1934年、昭和9年、母の死を契機として低迷期を脱出した。1936年、昭和
11年、「序の舞」でその芸術的理想、その描かんとする女性の優美さの極北
に達した。

  焔

 
画像


 

   

 それ以降、彼女は画風はやや淡白ともなり、「夕暮れ」などの清冽な作品を
発表し続けた。1945年、昭和20年、奈良県生駒の別荘を住居とし、この地で
没した。

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