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zoom RSS 人生で一番印象の残ること(還暦を過ぎて)

<<   作成日時 : 2017/04/02 22:12   >>

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 「人生で一番印象に残ること」という言葉で検索ですると、結局、就職試験
の面接で「学生時代、一番印象に残ったこと」などという内容のものがゾロ
ゾロ出て来る。まだ15歳くらいだったか、日本の少女が五輪水泳で金メダル
を取ったとき、「今までの生きてきた人生で一番・・・・・・」というようなコメント
を発して、まだ15年かそこらの人生で「今までの人生で・・・・・」というのも、
多少おかしい気がしたものだ。ま、それは、微笑ましい話であるが、さてと、
還暦も過ぎ、高齢者入りが見えてきた現在、正直な心境で「人生で一番印象
に残ること、残ったこと」と思い返してみると、それは自分自身の人生を決した
ともいえる、苦渋な体験に帰着してしまう。

 この年齡になると、もう何も包み隠さず人生の真実を語る以外にないとい
う心境に自然となってしまう。

 人生いろいろというもので、高齢者入りくらいの年齢で人生を振り返って、
「本当に幸せな人生だった」と素直に率直に言える人もいるし、逆に人生が悪
運に取り憑かれ、ボロボロになって生きた人生を慨嘆する人もいる。私は残念
ながら後者である。夜寝ていても、そレでうなされることもしばしば、というほど
である。

 では人生で一番、印象に残ったこと、を考える前に、普通あまり人は考えな
い命題だが、「人生で一番不幸だった年はいつか?」というものも私の場合、
「人生で一番印象に残ること」という命題に絡んでくる。

 よく高校野球、甲子園大会で史上最強のチームは?といわれることがある。
この場合、例えば柴田勲がエース、控えに日本人最初のメジャーリーガーと
なったマッシー村上がいた法政二高とか、立浪がいた当時のPL学園だとか
、論議は尽きず興味深い。そういう「史上最も・・・・・」という観点の「一番不幸
だった年は」と思いを巡らす私など、あまり「一般的」ではないのだろう。もう、
「不幸のチャンピオンクラス」の年が目白押しで競い合っている、・・・・そのよう
な人生である。人が聞いたらあきれて笑うだけのことだが。

 ここまで書けば、「人生で一番印象に残ったこと」が好ましい内容でないこと
は誰にも(誰も興味などないだろうが)想像がつくであろう。

 人生で一番印象に残ること、端的に言えば、「母親にいじめられ、虐待され
たこと」、もう一つは「小学校などで順番の朗読で言葉の障害で全然、朗読
できなかった屈辱」、ということである。昨日テレビを見ていたら「子供時代に
虐待を受けていた人ほど、ストレスに弱い」とかいう医者が出演していた。そ
れで私はストレスに弱いのかな、とも感じたが、もちろん、アハハと笑えるよう
なことではない。

 私が未就学児の頃、三歳から四歳の前半くらい、大阪に出ていた叔母の所
に長く引き取られていた。別段特殊な事情などなかったのに、という疑問もあっ
たことはあったが。現在の東淀川駅近辺のアパートに叔母夫婦が住んでいて
、随分長くいたことがある。だから地元の子供達とも友達になったりした。

 が、これも今になって考えれば、私の母が異常に私をタンスに押し込める、
手を紐でくくって監禁するなどの虐待行為を繰り返し、叔母が裏にいたときは
救いに来てくれていたものだった。あまりの虐待を見るに見かねて、・・・・・こ
れが実は真相であったように思える。でも小学校にも入って母とずっと住むこ
とになると、それは誠に地獄の生活だった。しかも子供時代、だけではなく成
長してからも、本当に徹底した厭がらせ、いじめをあの母親から受け続けた。
そのいじめは、まさに微に入り,細にわたり、執拗で熾烈で長期間に渡り、
徹底した。あの母親が人間としてこの世に生まれた何をやったかといえ
ば、子供である私をいじめ抜いた、としかいいようがない。よりによって、
母親がそのような異常性格を極めていたのは、本当に不幸なことだった。
その顔はまさしく般若の面だった。人間としての感性と情操を欠いたこの
狂気の母親と全く性格破産者の父親のなす家庭はまさにこの世の地獄で
あった。・・・・・でもそれに耐え抜いて、今の今まで生きてきたのではない
か。あのような不幸は他の誰にも味あわせたくない。社会からは全く評価
されない人間でしかない母が、あたかも生きがいのように子供のイジメ、
虐待で全ての憂さ晴らしをやったことは未来永劫の醜悪な行為である。

具体的に記すのは気がひけるのでいちいち書かないにせよ、狂人かと思
えてならなかった。私の言葉の障害すらこの母親の意図的とさえ思われる
過失、というより嘲りに起因するものである。あれさえなければ、全く違った
人生が私に開けていたのだ。もちろんあの母親にそれを悔やむ気持ちな
ど微塵もない。

  徹底した鬼畜、エゴイストだった親、家族

 家では苦労させられた、なんてもんじゃない、生まれ育った古民家は父の
兄である長男が相続、私が小2からずっと追い出しの裁判、毎日その話を聞
かされてお話にならない最下層を味合わされた。高三の時、やっと新築した
とおもったら白痴同然の父が誰もかからないような詐欺にかかって不渡り、
挙句に町では例もない絵に描いたような夜逃げ、夜逃げ先では、いじめに
目覚めた母が狂人なんてもんじゃないいじめ、長男が公務員で残っと母の
土地に住宅ローンで新築、これは神戸大時代、

 新築後、初めて帰ったら、・・・・母と長男が二人でその晩やてtきて、

 母は「この家は美里さんとよっちゃん(長男)の家なんじゃけー、あんたの
家じゃないんだから」

 長男「帰ってこれリャーせんど」

 親は子供に住居を提供するものかと思ったら母と兄夫婦の安住の家だ、お
前の帰る家じゃない、お前にいえなんかない。

 恐るべきエゴと下劣の家族で、以後実家はない。「いま、長男がでているか
ら、おらしてやるだけじゃ」どこまでも鬼畜で下劣な母だった。基本的に今も
状況は同じこと、実家はない。

  とのかく住む家では幼い頃から散々に心配ばかりかけられrた。安定した
居住環境はわずかに矢掛町に家を建てた半年間だけだった。だがその町で
は聞いたことも見たこともない「夜逃げ」もう子供が成人になろうというとき、
夜逃げ先のボロアパートでは筋違いに下劣な子供への八つ当たり、もう気
違いなんてレベルじゃなかった。その後神戸大に進み、やっと残った一箇所
の土地に母も金を出し、また一部長男の住宅ローンで新築、はじめて帰って
の対応があれだ、そこで結婚する長男なら(それも口を出して云うのは非常
識だろうが)、母親まで「この家はお前の家じゃない」、・・・・まあ、仮に心で
は思っても、こんなことを散々に心配をかけ通した子供に母親が云うだろう
か、人に話せば皆,あきれ果ててしまうがそれが現実の姿だった。

 これが、人生で今まで生きて一番印象に残る、ことではあるが、私の場合は
言葉の障害を抜きにしては語れない部分がある。小学校などでずっと朗読で
の難発的な苦しみ、これも「人生で一番印象に残った」双璧というしかない。

 今の私といえば、高齢者入りが近い、というにはなんとも異様に若々しい、
そうである。ちょっと見たら、「若者にしかみえない」というちょ大袈裟ながら、
紛れもなく若く見える。あれだけ人生で人が到底、経験できない、しないような
苦渋を限りなく経験して、老けるどころか若くなるのもちょっと奇妙な話で我な
がら微苦笑している今日このごろであるが。

 もちろん望んだ家庭環境や親ではないが、一度きりの人生でのこれが運命
というもので、なんとも苦い気持ちだが、どうしようもないことである。

  いましみじみと人生を回顧して、あの汚物の塊の鬼畜の親、家族が全て
であったと分かる。それが運命であったわけである。人生で一番印象に残る
こと、残ったこと、・・・・家族の鬼畜のような性格の悪さ、下劣さ、・・・・・・・・・
あまりに苦渋なことばかりだった。でもその母はまだ生きているし、解放され
ないものだ。

 
  今日は美観地区のアイビースクエアに行きました。そこで買ったオルゴー
ル人形、さっそく飾っています。いつまでも大切にしたいと思います。

   
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