つぶやき館

アクセスカウンタ

zoom RSS 力道山はなぜ木村政彦を殺さなかったのか?

<<   作成日時 : 2017/03/28 23:02   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 
画像
1954年12月22日の俗にいうところの「昭和の巌流島」対決、力道山
に対する木村政彦の試合、ここで結局、力道山は別に空手チョップで
なく相撲仕込みの張り手の乱打で木村政彦を昏倒させた。この試合、
事前に八百長的な約束があったのにセメントを行った力道山が汚い
、という木村政彦の主張はその後、日本社会に受け入れられている
ようである。だから、「事前の約束に反して格闘技の興行でセメントを
行った力道山を木村政彦は短刀で命を付け狙った」、・・・・・

 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかった」

 かという題名の本が、あたかも真実をうがった本のごとくディープな
内容の本を評価される所以である。でも随分と、あの当時どころか昭和
30年代さえ知らないような若い人が書いている。

 まず言えることは、力道山とは一種の異常性格者であり、極度に粗暴
でババに言わせると「人間的には何一ついいところはなかった」人間で
あった、・・・・・あったが、一つだけ言えることは、こと格闘技、プロレスと
いうものに対する情熱は比類ないものがあったということである。

 昭和37年、ムースショーラックとスカル・マーフィーの反則攻撃で右肩
亜脱臼の負傷した力道山はすっかり空手チョップの精彩を欠いてしまっ
た。アジアタッグ防衛戦でもパートナーの豊登が怪訝に思うほど、空手
チョップに精彩を欠いた。

 「死ぬのが怖くてこんな危険な商売ができるかい!ちょっとタイミングが
狂えばあの世行きよ、ワシも本物のポンコツにならないうちに引退せに
ャ」と力道山は呟いた。「空手チョップがふるえない力道山なんか」。

 では木村政彦との試合、いかにも格闘技の興行の枠内での勝負、と
いう木村政彦の思惑を打ち砕いたのは力道山の掟破りのセメントだっ
た。張り手の乱打に飛び道具のない木村政彦は昏倒し、惨めにリング
の上で完全に失神の醜態を世間に晒した。

 前座の芳の里と市川登との試合を木村政彦が見ていれば、覚悟も
できて対応も違っていたはずだが、本気の力道山には太刀打ちできな
かったであろう。

 大相撲を廃業し、力道山に直訴してプロレス入りした芳の里は、試合
前、繰り返し、力道山に「市川を殺せ」と命じられていた。数十発の張り
手を市川登に叩き込んだ芳の里、そのため市川はその打撲の後遺症
で重篤な障害が残り、1967年、そのために亡くなった。

 そこまで本気で相手を殺すとしたその日の力道山であった。これを
興行で仕掛けた卑劣な暴走、というのはたやすい。・・・・・だがそう、果
たして言い切れるであろうか。

 その戦後の混乱の時代、あらたにプロレスを興行として立ち上げる
には、力道山のまさしく、異常性格くらいのまさに以上さが必要では
なかったのであろうか?あの時ありきたりの、馴れ合いの興行を行っ
て、新しい時代が切り開けたか?である。

戦前、「木村の前に木村なく、木村の後にも木村なし」と柔道王として
名声を極めた木村政彦を殺すことでしか力道山は新たな時代を切り
開けなかったのである。

 あの試合、木村政彦が力道山に殺されずに済んだのは、柔道家と
いうことに起因する木村政彦の打たれ弱さのためであった。市川登の
ように打たれ強ければ、芳の里に何十発も張り手を食らって重篤な脳
障害が残ったはずだ。

  だから「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか」は、滑稽である。
興行で殺してもいい、というセメントを仕掛けた力道山は汚い、しょせん


 木村政彦は力道山の前では永遠の負け犬でしかなかった!

 木村政彦応援団は重厚である。実際を知るはずもない若い世代からし
てである。だが時代が必要としたのはもはや木村政彦の名声ではない。
異常な力道山の掟破りでも新しい時代を切り開く暴走であった。これを
理解せずして力道山側の掟破りを批判しようとも、しょせん何も理解して
いないのである。

 あの試合で力道山はさらに追い詰めて木村政彦を殺せたのだ。芳の
里のように数十発の張り手の乱打を倒れた木村相手に打ち込めたの
だ。

 真の正しい命題は

 「力道山はなぜ木村政彦を殺さなかったか」

 である。

 「真相」は力道山側の掟破り、だがその異常さがなければあの
時代の日本に熱狂を作り出せたであろうか。やはり人間的には
最悪でも、力道山は偉大であった。時代が必要としたのは、そこ
までの力道山の異常さであった。

 この試合で熊本の木村の取り巻きの右翼から力道山はつけ狙われた
。力道山も命がけだった。だが「本気のセメントをやりやがった」という
木村はその醜態から何も説得力は持ち得なかったのである。時代の変
遷の木村の幸運は手柄にはならないのである。

  結局、力道山と木村政彦の試合は前座の芳の里と市川昇の試合と
全く同じである。張り手を数限りなく叩き込んで、殺してもいい、いや、殺
すというセメントであった。それを非難する人は多くあたかも正論のように
なっているが、ーその後長く格闘技界、日本を支配したのは力道山であ
る。「あんな柔道で強くても喧嘩になったらホントは弱い」と見破られたか
のような印象を与えた木村政彦は取り返しのつかない失墜となった。た
だ、それだけのことだ。後になって「裏舞台」を、まことしやかに話してそ
れに付随して本が出ようと、力道山之前に昏倒した木村政彦の姿が全
てだ。理屈でも善悪でもない、時代の壁をこじ開けたは力道山だった。

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
力道山はなぜ木村政彦を殺さなかったのか? つぶやき館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる