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zoom RSS 「ウリハッキョ」映画、金明俊監督の熱い思い、道は無限 2017年

<<   作成日時 : 2018/03/03 11:22   >>

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ともかくこの日本はネトウヨ、嫌韓ベースの愛国の乱舞である。大人たちも諭す
どころか便乗して火に油、ちょっと頭を冷やすべきだが有力政治家はことごとく、
ヘイト団体、右翼団体と関わりを持つ。ともかく愛国、右傾化のベースが嫌韓、イ
デオロギーではなく、最も根源的なイジメ、差別に由来しているからことは深刻で
ある。すなわち日本に生きる、在日との存在のあり方が矢面に立つ、在日をテーマ
にした映画は京都の朝鮮学校を舞台とした日本映画「パッチギ」がある。実際これ
は「イムジン河」のエピソードをまず題材としている。・・・・・が韓国映画としての在
日を描いた「ウリハッキョ」、北海道の朝鮮学校の三年間をドキュメンタリーとして
まとめたもの。その金明俊監督のこの映画を制作したその熱い思いのインタビュウ
ー。

  
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 〈ウリハッキョ〉

 金明俊監督と朝鮮学校の出会いは2002年3月であった。将来を嘱望されていた
監督の若手映画監督、チョウンリヨン監督のカメラマンとして東大阪朝鮮学校の
卒業式を取材した。4階講堂に上がった金明俊の前には巨大な朝鮮民主主義人
民共和国の旗と金日成父子の肖画、「ここのは『北』なのか、と反響教育を受けた
世代の私は何か恐ろしかった」

 全体式の後、クラスごとに分かれて三年間を振り返る。「ある女子トンム(生徒)
が日本の学校に転校すると言って、泣きながらトンム(友人)たちに感謝を述べる
んです」

 耳馴れない朝鮮語を聞くうちに、ファイダーを覗く目からは涙が溢れ、徐々に不
安と警戒心がとれていった。

 「日本で懸命に朝鮮人として生きている生徒たちの存在を実は私は全く知らな
かったんです。申し訳無さで一杯と恥ずかしさの涙でした」

 約1年間、各地の朝鮮学校を二人で回り、その中で趙監督は企画書を書き上げ、
朝鮮総聯中央教育局に提出した。

 「そうしたら総聯の教育局が『これからは電話一本で全国どこの朝鮮学校でも
取材できるようにします』との返事」

 趙監督の真摯さが遂に一線を超えたのである。

 寄宿舎のある朝鮮学校に絞って、北海道の朝鮮初中高級学校を選んだ。そ
の中で二人は恋に落ち、結婚した。

 決定的な場面があるという。

 「放課後、初級部の子どもたちが運動場でボールを蹴って遊んでました。その
中で一人太っていてサッカーが下手な子がいたんですが、なぜか他の子がその
子を目がけてパスを回す、その結果、彼がゴールを決めると全員で大喜びする
。そうhしたらクリスチャンの妻(趙監督)が『ここには神の国は必要ないのね』
、と。韓国なら下手なものにパスは回らない、下手だとイジメの対象になるかも
しれない。でもここでは皆が一生懸命、下手な彼にゴールを決めさせてそれを
喜び合っている。たしかにここには神様はいらないと感じた」

  神がいらないのではなく、そこに神がすでにいたのであろう。撮影が本格化
したが、その矢先2003年4月、趙監督が事故死した。

 「彼女の思いをなかったコトにできなかった」
 
 残されたものの熱意が本作のスタートラインだった。妻の超監督との思いが
詰まった寄宿舎での暮らし、それは底なしの奈落に金明俊を突き落とした。だが
子どもたちは金明俊を慕い、寄り添ってくれた、「ウリハッキョ」を満たす「愛おし
さ」はここらに発しているのではないか。

 ★ 修学旅行で分断を実感

 この映画の魅力は金明俊と生徒たちの「距離感」

 「最初は生徒たちがカメラを意識して、でも友の過ごす時間が長くなるとその
身構える緊張感も溶けました。生徒たちの会話を理解するため私が日本語を
懸命に勉強する姿に親しみを持ってもらいました」

 だが埋められない分断を実感したのは朝鮮学校生徒の祖国への修学旅行

 「私自身密航も考えましたが無理でした。仕方なく、その出航風景を撮影し
ようと港に行って」

 船がよく見える場所で三時間待ちました。

 「船の外に顔を出してほしいと云っていたんですが、驚きでした。生徒たちが
大声で私の名前を呼び、身振りでLOVEを表現していました、なぜ同じ民族で
同じ言葉を使う我々がここで別れなければならないのか、切なくて悔しくて号泣
しました。そこで本当に『分断』を実感しました。逆に生徒たちが韓国を訪問も
容易ではない、生徒たちの存在が『なぜ統一は必要なのか』を示してくれました


 伝えるべきことに触れた不安と恍惚を胸に秘め、編集に入った。

 「観客がこの子どもたちに逢いたい、と思える作品にしたかった」

 公開後一年で韓国で200箇所で自主上映された。

 「最も多い感想は『知らなかった』、『本当に無知だった』というものです。また
子どもたちの表情です。私も含め、韓国での学校の認識は競争の場ということ
です。正直、私も学校にいい思い出がない。。だがら朝鮮学校の生徒たちの目
の輝きは驚きに映ったんです。自主上映に協力したのは教員が一番多かった」

 金明俊はこの映画が人を魅了する力をこう力説する。

 「先生はもちろん、保護者も全力で学校を支える。その姿を子供たちは見て
いる。そこは自分が自分でいられる場です。北海道の朝鮮学校は編入した生徒
が多いんです。日本の学校でイジメにあったり、で編入で最初の表情は暗く沈ん
でいる。でも一年も経つとまるっきり変わる、自分と同じ境遇の友達ばかりで名前
や出自を隠す必要がない。そこまで生徒や先生が応援します。『一人は全員のた
目、全員は一人のため』の精神でしょう」

 本作以後、何人もの韓国の映画監督が日本の朝鮮学校にカメラを向けた。いま
や韓国の映画の一つのジャンルだ。

 「より多くの朝鮮学校の映画が作られるべきです。さまざまな目でより深い作品
が生み出されます。ただ『民族学級』や『日本の学校』に通う同胞も取り上げてほし
い。大半の子供は日本の学校に通う。そのような子供の内面を探る映画も必要
でしょう」

  ★大震災で被災した朝鮮学校の韓国からの支援活動

 映画制作公開後、金明俊は朝鮮学校への韓国からの支援団体「モンダンヨン
ピル(ちびた鉛筆)」の結成に参加した。契機は東日本大震災だ。テレビに映し
出される東北の惨状に焦りをつのらせたが電話が通じない。

 「やっとわかったのは東北の朝鮮学校が壊れ、寄宿舎に同胞が集まって朝まで
ネずに過ごしていることでした。それで韓国の俳優、権海孝(クオンヘヒョ)さんに
電話して『支援しましょう』といったら『待ってた!』って」

 震災支援を超えた活動は続き、コンサートなどで北と南の同胞を結びつける
保守政権では監視対象だったが、ヨンピルの会員は550人に増えた。もっとも
力を入れているのは行事を通じて韓国市民と朝鮮学校関係者との交流を促す
「ソブン(遠足))である。

 「事前学習としてまず反共、反北教育を受けてきた人々に『なぜ朝鮮学校は
北に近いのか』を歴史的に説明する。次に在日同胞をめぐる取り巻く差別と迫
害、抑圧それとの闘いを学びます。そして三点目は、限界を踏まえてもらうこと
、闘いの主体は韓国にいる私達ではなく、日本にいる同胞と彼らの友人である
日本人なのです」

 ヨンピルの趣旨に賛同した鄭美英は2013年8月、会員となって韓国と日本を
往復した。初めて訪問した朝鮮学校は広島だった。

 「朝鮮人として生きようと頑張る子どもたちの姿を見て涙が止まらなくなって
、・・・・・・・生まれて初めての感動でした。ウリハッキョ(私達の学校)をまだ知ら
ない人たちに知らせる方法を模索し、歴史の勉強や日本語学習をします。
朝鮮学校との出会いは私の人生を変えました。植民地時代という歴史の証で
ある子供たちは、北と南の子どもたちにはない力があると感じました」

 金明俊は参加者に東大阪朝鮮中等学校を訪れたときの自分の姿を重ね
る。来歴を違える韓国人が朝鮮学校の意義を即座に理解する姿を私も見て
きた。

 「なぜでしょう?」

 と聞くと金明俊は答えた

 「その答えを見つけるまで私はやめられないんです」
 

 

 

 

 

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