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zoom RSS 「にんじん」(J・ルナール)に見る、子供でも骨身にしみる生きるつらさ

<<   作成日時 : 2018/02/27 22:49   >>

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 ジュール・ルナールの「にんじん」は極めて有名な作品で、戦前デュヴィヴィエ監督の
映画がまた有名である。

  
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 惨めな話である、ーフランソワ少年は、赤絵gで顔中そばかす、誰からもまっとうな名前
では呼ばれず、蔑称でしかない「にんじん」と呼ばれている。フランソワ少年は作文を書
いた。「家庭というのは、気の合わないものが一つ屋根の下に無理やり押し込められた
場所です。」とても子供が書くような内容じゃない。・・・・・・

 子供でも家庭内の苦労はある、ありすぎる場合も珍しいとはいえない。私のような人間
などは「にんじん」を読むと身につまされる、といいたいが、「私に比べたら甘いな」とは正
直感じる。私の家庭のような惨憺たる苛烈さはないが。

 この世で生きる、憂き世で生きるのはなかなか難しくもあり、つらい。子供でも、小学生
でも憂き世の辛さは変わらない。子供ならではの苦しみがある。子供でも苦労人は結構
いるものだ。子供時代の苦労は一生、頭に焼き付いて離れない。

 それを描いた小説は探せば多いだろう。フランス文学、ジュール・ルナールの「にんじん
」は特に有名だ。基本はルナール自身の少年時代がそのモデルである。文庫本などにも
掲載されるヴァロトンという画家の挿絵は有名、ただ赤毛でなくハゲチャビンだ。

 「にんじん」という赤毛そばかすの蔑称、「赤毛の子供は根性もひねくれている」という
風潮なのに、母親自身がわざわざ自分の子供を「にんじん」と呼ぶ。「それが平気で通用
している」というのだ。

 そんな立場の「にんじん」はつらい。だがその母親は何かというと、「にんじん」につらく
当たる。手を出す。

 「にんじん」には兄と姉がいる、でも守ってくれない。母親からの攻撃を防いでくれない。
常に母親のイジメの矢面に立たされる。

 どこの家庭でも父親の存在は大きい、父親がしっかりしているかどうかで家族の幸福は
決まると言ってよい。だが「にんじん」の父親のルピック氏は仕事で家にいないことが多い
、母親による「にんじん」へのイジメ、虐待は知らないのかどうか。

 それをうったえる「にんじん」にルピック氏は「あきらめろ」、・・・・・

 遂に「にんじん」も母親に反旗を翻す時が来る、もう終わり近く。

 母親は当惑する

 「母さんが夢でも見てるかしら、・・・・?何ごとだろうね?こりゃ、お前、生まれて初めて
母さんの言うことをきかないつもりだね」

 母親はルピック氏と兄に後始末を頼んでその場を去った。

 n「にんじん」はルピック氏に

 「父さん、僕、今まで長い間、言い出せずにいたけど、いいかげんに決着をつけようと
思うんだ。僕、本当に母さんが大嫌いになったよ」

 自殺まで考えたという「にんじん」の言葉

 「どんな運命でも僕のよりはましさ、一人の母親がいて僕を愛さない。僕もその母親を
愛さない」

 現実のルピック氏は病気苦にその後、猟銃自殺を遂げた。母親といえば井戸に落ちて
死んでいるのが発見された。


 母親による「イジメ」が結局、「にんじん」のテーマなのだろうか、・・・・ある日本の文庫
の翻訳者は岸田國士の常識的解釈を排している、・・・・・「にんじんは母親を憎んでい
ない」、・・・・・・そうとも思えない。書いてあるとおりだろう、「日記」も参照すれば明らか
だが。

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