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zoom RSS 山窩小説の偽造者?三角寛、真の山窩小説はどこに

<<   作成日時 : 2018/02/16 19:34   >>

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 山窩という流浪の被差別民の存在は文学や民俗学の分野では結構、
大きな領域を占めてはいる、いるけれど一般には馴染みがないのは事
実である。被差別民といえば集住の被差別民しか思いつかないだろう。

昭和25年当時の三角寛

  
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 山窩は先日というべきか、横溝正史の「真珠郎」に於いて真珠郎の
母親が山窩の出身であった、というある種の山窩小説の性格をこの「真
珠郎」が持っていることを述べたが、要素としてはそれだけのことで、さし
て山窩に斬りこんだ内容はもっていない。

 で、山窩小説といえば新聞記者出身の三角寛となるが、その書き上げた
「山窩小説」は大きな批判にさらされている。

 三角ひろしのご子息の三浦大四郎さんへのインタビュー記事がある

 三浦:オヤジの山窩研究はね、書いているうちに自分でもフィクションと現実
   がゴッチャになってしまったんじゃないでしょうか。基は新聞記者ですから
、実際に歩いて情報を仕入れることはあったと思います。それを針小棒大、虚
々実々といいますか、同じウソを三回つくと自分でもそれを信じてしまうところ
があって、そうやって「山窩の世界」を創造したんです。

 それはそれですごいことでしょうが、現実に山窩がオヤジの書いたような人
達であったかどうかは分かりません。山窩のような人たちは実際にいたわけで
すから、虚実が曖昧であったということは、例えば山窩の言葉、「ウメガイ」、「
ヤゾウ」など、は山窩独特の言葉だとオヤジはい言ってましたが、・・・福田蘭童
さんが山窩小説を書いた時、その言葉を仲に使ったので、オヤジが「あれはわ
しの創作だ、創作を勝手に使うな」と出版社に怒鳴り込んだんです。福田さん

「山窩が使っていると言って実は創作だったとは、研究でも何でもない、捏造じゃ
ないか」とカンカンに怒ったそうです。

 その時は永井龍男さんが間に入ってなんとか収拾したんですが、創作であると
いってまた「わしが死語を復活させた」とか言いましてね、何が真実なのやら、さ
っぱり分かりません。語彙は豊富で、言い方はうまい、山窩小説は俺のものだ、
という独占欲がありました。山窩の写真だってみんなヤラセですから。写真を撮
ると言って自然の姿ではなく、オヤジの演出でした。私達家族はそれを知ってまし
たから、もう全て眉唾と思って軽蔑してましたよ。

 ・・・・・・・・・

 質問:三角寛とは結論的にはどんな人物でしょうか

 三浦:私にとって三角寛は一言で言えば「巨怪」、巨人にして怪人、動物的な
嗅覚が働くんです、一を聞いて十を知る、理屈でなく一瞬で理解してしまう。洞
察力とかでなく、もっと本能的な勘でしょうね。鋭い人でした。私も警察に二度も
訴えられたり、あの手この手でいじめられましたが、「すべては恩讐のかなた」
です。ま、悪いところばかりではなく、いいところもあった。オヤジは親父なりに
人間として存在した。それは認めてあげようというところです。

 ★文学ジャンルとしての山窩小説、民俗学としての山窩

 朝日新聞の記者であった三角寛が1926年から1929年まで世間を震撼させた
、いわゆる「説教強盗」の取材中に担当刑事から聞いた「サンカ」というものを
聞き、山窩の研究に取り組み始めた、という知られたエピソードがある。

 三角寛の山窩小説は多くの批判にさらされている。あくまでフィクションとしての
山窩小説であるから研究としての山窩とはまた別である。三角寛は、1930年6月
から翌年8月まで『婦人サロン』に『昭和毒婦伝』、(山村秋次郎のペンネームで)
作家としての本格的な活動を開始、1932年から『怪奇の山窩』、『情炎の山窩』、
『純情の山窩』の三部作を発表、文学ジャンルとしての山窩小説を確立し、山窩
小説の第一人者としての地位を不動のものとした、が。

 だがいかに三角寛の独占欲が強くても専売特許ではない。椋鳩十の『鷲の唄』
(春秋社1933)や『山窩調』(自費出版、1933)などじつは数多い。

 ところが椋鳩十の山窩小説は発禁処分となった。それについて鳥越信は

 「発禁となったのはセックスや残酷な描写が表向きの理由だったが、取り締ま
る側の本音は、統制や管理におよそ馴染まない山窩の自由奔放な生き方こそ
が問題であったはずだ」

 と書いている。だが当局が嫌がって押さえ込もうとしたエロとグロ、何より自由
の希求が読者の人気を博して山窩小説はブームとなった、これは現在では理解
しにくい事情である。

 椋鳩十の山窩小説が自然への賛歌が軸で、山窩の生活を描ききったのに対
し、三角寛は冒頭で

 「この物語は、昔の山窩諜者国八老人よりの聞き書きである」と述べている。
「腕斬りお小夜)において。基本的に三角はすべて第三者からの聞き書きという
体裁を取っている。が、リアリティを前面に出して実話性を保証している。とにか
く山窩と一般社会との接点を見据えた点に特徴がある。それだけにエログロの
度合いは椋鳩十より更に高い。

 マイナス面を含めて三角寛の山窩小説を体現した作品が『犬娘おちよ』であ
る。1936年。急死した母親の腹を父親が山刀で裂いて生まれ、山犬の乳で育
ったという山窩の娘お千代と、地主の息子の大学生との恋愛を中心に日本ア
ルプスの山麓から東京へと舞台を移しての波乱万丈な物語、お千代誕生の
グロテスクな経緯や山窩青年とお千代が繰り広げる活劇、お千代の醸し出す
エロな雰囲気などよ見どころ満載。東京に来たお千代が素早い動きで妖怪と
間違われたときに、妖怪博士として名高い井上円了が登場するなどフィクショ
ンに実在名を出す虚実皮膜、作品の実話性を補強するテクニックも見事であ
るが。

 女の腹を切り裂き、胎児を出すという猟奇趣味は三角のお気に入りであっ
た。この趣向は他の作品にも見られる。

 山窩小説を戦前、量産した三角、それらはいくつかのパターンに分類できる
。山窩少女と普通青年の恋、掟に翻弄される山窩の物語、新しい価値観と伝
統を守ろうとする世代の衝突、山窩絡みの警察沙汰。

パターン化されてはいるが、マンネリズムと切り捨てることもできない。三角
寛の山窩小説は同じパターンの繰り返しではなく山窩の生活,生態と一般人と
の交流という大きな枠組みの中で、基本的な何種類かのパターンに従って、常
に微妙な違い、工夫をこらして縮小再生産に陥ることなく、常におもしろい物語
の創出を行い続けることに成功した。基本的な類型、パターンのもとに微妙に
シチュエーションを変える、工夫をこらして飽きさせない、という手法は通俗小説
の世界といえるであろう。

 しかし類型の元の再生産という手法から、時に思わぬ傑作が生まれる。その
代表が『山窩血笑記』である。よそ者として村人から差別的な扱いを受けている
青年を愛するようになった山窩の娘が、青年や山窩の仲間とともに、第一次大
戦による絹糸景気に沸き返る村人を相手にして大掛かりな罠を仕掛ける物語
は、アメリカ映画『スティング』を思わせる騙しのテクニックであり、山窩の知恵と
行動力を全面に押し出した傑作と言える。

 三角寛の山窩小説は魅力に富むが興ざめを起こしかねないのが文中に時に
教訓めいた文章が交じることだ。あるときは学問の重要性を説いて、またある時
は労働と離職の重要性を訴える。山窩の野性味あふれる活躍をメインとしてその
中にこれらが入ると、その教訓めいた文章は短くても、非常な違和感を与えてし
まうのである。「犬娘お千代」で戸籍を持たないお千代が「ニホンシンミンになりた
いわ」としんみりいう場面では、山窩を否定的にとらえるのか肯定的にとらえるの
か、そのスタンスが不明確になっている。

 

 

  
 

 

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