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zoom RSS 政治批判者としての夏目漱石

<<   作成日時 : 2016/06/02 21:22   >>

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夏目漱石を政治批判の作家とさほど見なす風潮はないとも言えるが、
実際は漱石は単に文明批評、批判を行っただけではなく、暗に当時の
絶対主義的天皇制の言論、思想、社会運動への仮借ない弾圧に厳しい
批判を行っていたこと、・・・実はあの「坊っちゃん」の真意が決して個人的
痛快小説でなく、すぐれて政治批判の意図があったとは最近、初めて知っ
たのである。石川啄木の葬儀には漱石も参列している。その啄木の「時代
閉塞の現状」

 「強権の勢力は普く国内に行亘って」、「青年を囲繞する空気は今や少し
も流動しなくなった」

 そう思えば、思い当たるフシはあった。中学生の時読んだ、夏目漱石の
「三四郎」、その中で上京する三四郎が車中で広田先生と会話

 広田先生『・・・あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がない
でしょう。今に見えるからご覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより
外に自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔から
あったものなんだから仕方がない。我々が拵えたものじゃない』

 三四郎は日露戦争以後、こんな人間に出遭うとは思いも寄らなかった。
どうも日本人じゃない様な気がする。

 三四郎 『然し日本もだんだん発展するでしょう』
 
  と三四郎は弁護した、すると、かの男は、すましたもので

 「亡びるね」

 と云った。ー熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲(なぐ)られる。わる
くすると国賊取扱いにされる。

 以上は引用だが、確かにこれは戦前、近代天皇制イデオロギーの神国
日本の絶対の教化の世界では、ある意味、勇気ある表現である。天皇制
イデオロギーの「神国日本が亡びる」と喝破した洞察、単に稀代の文明批
評家ではなく、政治批判の作家の実は先駆でもあった、のではないか。

 「それから」1909年、明治42年において、・・・この翌年、「「大逆事件」は
一斉逮捕となったのであるが、・・・・

 幸徳秋水の社会主義の人を、政府がどんなに恐れているかという事を
話した。幸徳秋水の家の前と後に巡査がニ、三人ずつ昼夜張番をしてい
る。」

 「日本国中どこを見渡したって、輝いている断面は一寸四方もないじゃ
ないか。悉く暗黒だ」

 1910年6月1日、幸徳秋水は湯河原の天野屋旅館で勾引、逮捕された。
「無政府主義者の陰謀」として6月5日、記事が解禁となった。

 今年2016年の「世界5月号」において赤木昭夫氏(元慶応大教授)は「
漱石の政治的遺言」(下)において

 『「坊っちゃん」という寓話は、煎じつめると、赤シャツに代表される二重
道徳を風刺する。彼は教育勅語が説く道徳を生徒に押し付け、、また一方
で小鈴という芸者と遊ぶ間柄にありながら、他人の許嫁(マドンナ)を奪い
にかける。嘘をつくと嘘を重ねなければならないのと同じで、二重道徳はニ
重道徳の積み重ねを招く。マドンナの婚約相手、英語教師の裏なりの追放
を画策し、それを数学教師にの山嵐が咎めると、次には彼をも追放するた
め、補充として坊っちゃんを採用する。だが坊っちゃんの諧謔と滑稽によっ
て山嵐との間に協力関係が生まれると、赤シャツは非道徳を曝露されるの
を怖れ、彼らを嵌めて他校の生徒と乱闘させ、新聞に書き立たせ。辞表を
書かざるを絵なkス焦る、ついに怒った坊っちゃんと山嵐は、赤シャツと提
灯持ちの野だが、芸者と夜を過ごした宿から出てきたのを捕まえ、背徳を
糾すため、最後に鉄拳と卵で制裁を加える・・・・』

 『政治風刺小説を、果たして漱石は書こうとしたのだろうか。創作は外的
要因と内的要因の相互作用によって生まれる筈だ。

 書かずに入られないほど、確かに政治的状況は逼迫していた。それが「
坊っちゃん」を書かせた社会的動機だった。だが、弾圧される危険を冒し
てまで,発禁を避ける手立てまで尽くして、あえて踏み切るだけの文学的動
機が、漱石の心中に醸成されていたかどうか・・・・』

 ★ 「私の個人主義」

 『これと同じような意味で、今申し上げた権力というものを吟味してみると
、権力とは先刻お話した自分の個性を他人の頭の上に無理矢理圧しつけ
る道具なのです。・・・・・そんあ道具に使い得る利器なのです』

 『・・・・個人の自由は先刻お話した個性の発展上極めて必要なものであっ
て、・・・・・どうしても谷影響がない限り僕は左を向く、君は右を向いて差し支
えないくらいの自由は自分でも把持し、他人にも附与しなくてはなるまいかと
考えられます。それが取りも直さずわたしのいう『個人主義』なのです。俺の
好かない奴だから畳んでしまえとか、気に食わない奴だからやっつけてしま
えだとか、悪いこともないのただそれを濫用したらどうでしょうか。・・・・・・・・
単に政府に気にらないからといって警視総監が巡査を私の家を取り巻かせ
たらどんなもんでしょう。・・・・・・』

 この下りは、「それから」の幸徳秋水への警察の張り込みと直結している。

 まず個人の主体にこそ社会の根源を見出す漱石が、個の圧殺を当然と
する近代天皇制のファシズムへ深い絶望を抱いていたことは明らかであ
る。

 桂軍閥政府が西園寺内閣の「暗殺」以来、社会運動の徹底弾圧、思想、
言論への弾圧を行い始め、

 石川啄木が「俄に驚くべき熱心を表して、其警察力を文芸界、思想界に
活用し、・・・・一切の新思想を根絶せしむとする」態度は「明治文芸の重大
なる文明史的意義を否定するにも似た』行為であると未完の断章で厳しく
批判している。

 個に優越する全体主義、これは近代化と同時に「王政復古」という矛盾
でスタートした明治が、ただ近代ファシズムになる以外になく、弾圧を繰り
返すのがその本性であると見抜かれていたのである。広田先生に「亡び
るね」と言わしめた矛盾に満ちた明治以降の日本の姿があった。

 漱石は時代、天皇制イデオロギーの容赦無い弾圧の日本に呪詛の念
を抱いていた。漱石は日露戦争当時、「従軍行」という戦争賛美の新体詩
を発表したことへの心の咎めもあり、文学的動機となる名誉回復願望があ
ったと考えられる。
 

 

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