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zoom RSS 発展の真備町(倉敷市)、大水害で一転存亡の危機

<<   作成日時 : 2018/07/09 10:52   >>

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こに7月5日以降の豪雨で水害、土砂崩れなどの大きな被害が広範囲に発生
したがとりわけ岡山県倉敷市真備町の小田川の決壊、面積では27%、だがまさ
に中心部であり、全戸数の半分が浸水、多くが二階までの親水で壊滅的である。
分譲新築など主要な住宅地域が浸水被害、病院、スーパー、ホームも多くが浸
水した。

  
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 高梁川と支流の小田川が合流するくらいの地点は古来水害が多く、そのため
1893年、いまの真備町南の船穂町に柳井原貯水池が作られた、高梁川が小田
川との合流後大きく湾曲しているため、合流部付近地域での水害が発生しやす
くそのための対策であった。後述だが今秋からのバイパス工事が予定されてい
たが、小田川の治水については国が1968年、用水確保も兼ねて柳井原貯水池
を小田川のバイバスとして貯水池内に柳井原堰を建設する計画を発表したが、
「堰をつくれば基礎部分にコンクリートが流し込まれて地下水が枯れる」との反対
もあって、最終的に2002年、堰の建設が取りやめとなった経緯がある。


   本流に支流が合流する地点地域は豪雨が並外れた場合、本流の水量が
以上に増大し、もはや支流の河川からの本流への水の流入は困難となる、そ
レどころか逆日本流の河川の増水した水が支流側に逆流すし、その付近で重
大な水害を惹き起こす。今回もそうであった、確かに柳井原貯水池、河川の改
修な古来行われてきたが、

 決壊した小田川については国交省が治水対策で付け替えj工事を予定し、今
秋にも着工するてはずだっただけにタイミングが遅れた。工事がもし完成してい
れば今回のような水害は防げたはずである。

 高梁川は小田川との合流後、大きく流れが湾曲しており、豪雨による増水時
には小田川など支流への逆流が起きやすい。実際、この地域では水害がたび
たび発生している。2010年に国交省が計画を決定、合流点近くの柳井原貯水池
を小田川のバイパスとして整備し、合流点を下流に4.6キロ下げるという内容で
10年計画で完成の予定であった。

  はるか戦前から高梁川と支流の小田川の合流付近、結局、いまの真備町の
治水であるが、それには船穂町の柳井原の工事を伴う、貯水池で多くの船穂町
の民家が水没した。船穂町にしてみれば戦後の見解だが、真備町の水害の抑止
、下流の倉敷市の利水に貢献するのみで船穂町自体には恩恵はない、逆に犠牲
を伴う、というあつれきもあり、柳井原の堰は容易に着工とならず1990年代に着工
と云ったん、船穂町の振興と引き換えに、であるが結局、これ以上の倉敷の水の
需要はないということも判明して中止となった。発展する真備町、多くの商業、医療
施設の集積、新たな住宅の建設、はめざましくもあったが遅々として進まぬ治水工
事もあり、弱点を突かれたという形で致命的である。発展は頓挫した。不動産価格
の大幅な下落も避けられない。

  
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 真備町とは「吉備郡」と称されるかなり広い郡の高梁川西岸部分である。吉備
郡の中心部に「総社市」戦後出来たため、周囲に飛び地の三ヶ所の離れた「吉
備郡」が生じる結果となったものだ。横溝正史一家が疎開した岡田村も戦後の
合併で真備町に組み込まれた、箭田村、呉妹村などなどとともに。中心地域
は箭田(やた)である。

 戦後長く発展もしなかった真備町は倉敷市の水島コンビナートの大拡張など
の影響で恰好のベッドタウンとして着目され、それ以後、商店、スーパー、病院
、などが県内でも例を見ないという集積度で立地した。人口自体は2万2千という
くらいで驚くほどではないが商業施設、福祉医療施設の立地の密度は例を見な
いくらいである。また新たな住宅建設、団地の建設が相次いだ。ただいたって
排他的な土地柄で外部から入ってきた人を「団地の人間」として露骨な差別を
行う封建的な部分がある。

  真備町の岡田地区、旧岡田村はかって横溝正史の家族が疎開し、ここで
川辺本陣を舞台とした「本陣殺人事件」、また「獄門島」などを執筆、金田一
耕助発案の家にして初登場初仕事の場所、清音を降りて川辺橋を渡り、・・・
川辺村、岡田村などにはいった金田一耕助、その関連イベントも毎年一度、華
やかに行われていたが。

   
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  真備町岡田地区(旧岡田村)の横溝正史疎開宅、白壁の塀の間の玄関は
歴史的記念物として整備される時に作られたもの、見越しの松は当時からあ
った。

 
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 発展する真備町、合併話は総社市や倉敷市から持ち込まれたが二転三転し、
結局、倉敷市と合併した。歴史的地域的には同じ吉備郡の総社市に近い、が
倉敷市の発展拡大が目覚ましいので。というより真備町の発展はあくまで倉敷
市の発展に依存したベッドタウン化そのものであり、倉敷とのつながりは吉備郡
の総社市のつながりより遥かに大きい。また船穂、玉島地区とのつながりも強い
。倉敷市との合併は妥当であったが、・・・・・・試練である。

 そこで発生した大水害、堤防の決壊であるからその影響は甚大だった。9千戸
の中、主要というべき4600戸が浸水、多くが二階まで浸水という壊滅的被害であ
る。

 ただどう考えても夜間から未明に二階まで、浸水、或いは屋根まで浸水だから
二階のない家屋、高齢者は真備も多い、そのまま一階で水没死亡した例が少なく
ないのでは、という懸念である。誰も彼もニ階の屋根に逃げおおせたとは思えな
い、。とんでもない被害がなお隠されている。水は今日の段階で引いてはいるが
ドロだらけ、一階部分は全てダメである。備品から電装品から家具まで。・・・・・・
今後高齢者を中心に水没家屋から数多くの遺体が発見されることも予想しなけ
ればならない。

 実際、平屋などに住む人の消息はなお不明であるケースが多い。今は救助、避難
におわれている。想像を超える被害、新興の住宅地が軒並み浸水した。着の身着
のまま、すべてを失ったに等しい。もう二階まで浸水の家など再利用は出来ない。
被害の結果は、道路の破壊破損、諸施設の全損、・・・・・・一体生活の再建ができる
のかどうか見当もつかない。まずは泥の洗い流し、水没して全てダメになった家具や
電化製品、など数多くの廃棄物の運搬運び出しだがこれも想像もつかない規模であ
ろう。生活再建以前の膨大ななすべき処置が多すぎる。

 人気の女性市長、倉敷市長の伊東香織さんももう全力で当たらねばならない。
私の故郷の矢掛町の西隣だし矢掛高校の学区でもあり、知人、同級生は多い。
倉敷市だが玉島とはまた縁の深いのが真備町である。玉島の乙島小学校にも
真備からの被災難民で今日は休校である。

 倉敷市に編入ということで優先的に新たな施設が設置されていた。特別支援学校
なども、でも挫折である。今後の復興は至難である。

  はっきり言えば高梁川、小田川の治水を長年、放置してきた岡山県政の責任であ
る。長野長期県政は苫田ダムには執念を燃やしても、この治水にはまるで熱意も関心
もなく、石井県政もなすところはなかった。全て手遅れとなってしまった。

 なお皇太子ご夫妻の岡山県ご訪問は中止となり、矢掛高校、矢掛町訪問も
中止となった。

 夜を徹して救助活動、正面は箭田中心部にある真備陵南高校

 
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 井原線の高架、吉備真備駅もホーム寸前まで浸水

 
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7月12日、真備町有井、まだ水がひかない

 
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