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zoom RSS オウム事件、七個の棺桶、さらに加わる六個の棺桶、時代錯誤の大量死刑執行

<<   作成日時 : 2018/07/08 13:46   >>

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オウム事件は大量の死刑判決を呼び起こした。だから死刑執行は当然、とはいか
ない。先進国と日本を思うなら、あまりに異様な同時大量死刑執行である。明治末期
の大逆事件の、そのほとんどは全く無関係な人物まで「天皇制の恐ろしさを知れ」と
言わんばかりの同時大量死刑執行に続くもので、世界を仰天させている。EUは事実
上、死刑制度廃止を加入の条件としているし、ロシアも制度は存続で現実に執行は
停止している。大規模テロだから死刑は当然という意見は強いにせよ、死刑制度廃止
は世界の潮流である。さらに日本という国が国家の威力をみせつける手段としての
死刑執行が伝統的の存在する。近代天皇制の恐怖を味合わせる、言葉には出さなく
ても、大逆事件と名付けての冤罪の大量死刑執行という国家のDNAを持ち続けている
と言って差し支えあるまい。

 松本死刑囚の執行だけが私には限界と思える。世界的な死刑廃止の潮流を考えた
場合、13名に死刑判決が出たから執行するは常識のようで実は非常識である。政治
犯、大逆事件は大逆と国が名付けての国家の、天皇制の恐怖と力を冤罪の被告多数
を死刑執行するという暴虐は世界的な大きな驚きと批判を巻き起こした。だがそれを
日本という国の悪しき資質とするなら国民は無批判であったはなるまい。

 明治の大逆事件は国家的な冤罪への死刑執行であるが、オウム事件は悪質巨大
テロ、としても死刑をもっては何ものをも解決するものではない。まず時代錯誤の、
大量死刑執行ということで日本の国際的信用の失墜、世界の潮流に反する国家主義
に死刑制度を絡めた怖い国という印象を与えてしまうのは当然であろう。

  このような国家行動への国民からの批判がまた極めて不十分である、のがまた
日本らしいところである。大逆事件の死刑執行に反対を表明した旧制一高での徳富
蘆花の熱弁、「謀叛論」ではないが、このような悲憤慷慨がこの21世紀にもなっての
大量死刑執行に国民から湧き上がらないのはなぜなのであろうか。

 大逆事件について被告と接触の機会を持った文学者は弁護人として秘密裁判に
加わった平手修、蘆花、さらに公判初日に特別傍聴席に姿を見せた森鴎外、そして
偶然、路上で被告たちを護送する囚人馬車を目撃した永井荷風である。

 この体験は永井荷風に『花火』(「改造」大正8年12月号)に結実した。

 「明治44年慶應義塾に通勤する頃、私はその道すがら折々市ヶ谷の通りで囚人馬
車が五、六台も引続いて日比谷の裁判所の方向に走っていくのを見た。私はこれ迄
見聞した世上の事件の中でこの折程云うに云われない厭な心持ちのしたことはなか
った。小説家ゾラはドレフュー事件について正義を叫んだ為国外に亡命したではない
か。然し私は世の文学者とともに何にも言わなかった。私は何となく良心の苦痛に堪
えられぬような気がした。私は自ら文学者たる事について甚だしき羞恥を感じた。・・・
・・・・・・」

 もちろん明治政府のフレームアップを重ねた冤罪の大逆事件と犯罪が明確なオウム
事件を一緒にするな、とは言われるであろうが、政治犯的側面の強い被告を13名に死
刑宣告、国家は当然のごとく大量死刑執行という世界から見るとあまりに異様な姿で
ある。大逆事件は結局12名の死刑になったがオウム事件はそれを上回る13名である


 だが大逆事件とオウム事件のし系進行には共通点がある。それはこっかのご都合
主義である。共通点のまず第一は極めて官僚臭の強く、自らの冷血性を隠すという
ことである。

 大逆事件は執行に反対する国際世論が沸騰していたが、日本政府はあえて無視し
ての強行突破に国家の利益を見出した。

 さらに法廷で幸徳秋水が持ち出した「南朝論争」で北朝系というが実は南朝革命の
産物の明治天皇の素性が知られるのを恐れての口封じという意味での急いでの死刑
執行、さらに「治安上」奪還を防ぐ、さっさと片付けるということ、これはオウム事件の
死刑囚と共通である。警察の行動を見ても顕著である。

 ともあれ平成時代に死刑執行を終えておこうという政府なりのご都合主義で官邸の
意向である。上川などデコ人形に過ぎない。

 すまり天皇制とのリンクが死刑執行時期の前倒しと重なるわけであり、明治以降変
わらない近代天皇制警察国家の本性と言えよう。

 大逆事件は一日で東京監獄での死刑執行が図られたが管野須賀子だけは翌日と
なった。

  
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 その死刑執行の模様は監修を務めた菅野丈右衛門のよると、手錠、腰縄付きの
死刑囚に編笠をかぶせて、絞首台の前まで連れて行く。なかなか歩こうとしないから
押したりして無理やり絞首台まで連れて行く。

 絞首台の手前で編み笠を外し、今度は目隠しをしてすっぽり黒い頭巾をかぶせる
。手取り足取り、絞首台の階段を駆け上がらせる。死刑囚を四畳半ほどある床の真
中に立たせる、天井から吊るした太い麻縄の輪の「桎梏」を首にはめておいて、足
をしばる。落下の衝撃でおこる脱糞の汚れを防ぐために、あらかじめ手ぬぐいを股間
にいれておく。

 指揮者の典獄が手を挙げると、それを合図に、看守がハンドルを引いて死刑囚の
立っている床の羽目板が、パタンと下に落ちる。足場を盗られた死刑囚は、首に太い
麻縄を書けたまま、コンクリートで固めた二階式の地下室に落下する、その強い衝撃
で首の骨が折れてだらりと胸にくっついてしまう。死刑囚の体はグルぐる回る。

 しばらくして、、死体の首から麻縄を外し、頭巾をとって鼻汁をたれているのできれい
に顔を拭く。立会の検事が首実検を行う。医師が脈を見て死亡の時刻を記入する。

 幸徳秋水の場合、看守は小菅礼次郎であった。ハンドルを引いたのは看守の高橋
初太郎であった。大草医師が脈拍を見て死亡時刻は午前8次6分であった。


   この死刑執行の様式は明治も今も基本的に同じである。だがこのような国家的
行動が世界で現在、異様に見られているのは事実である。まして例を見ない大量死刑
執行、その時期選定に「天皇制」が絡んでいるのが日本らしい。

 大逆事件の十二の棺桶、オウム事件の十三の棺桶、この国の国家構造は変わって
いないということであろう。

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