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zoom RSS 「わが愛の記」山口さとの〈1940年〉戦争美談で済まされるか?

<<   作成日時 : 2018/06/04 11:48   >>

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1940年、昭和15年に金星堂から出版され、映画化もされた「わが愛の記」
、出版前から話題となって新聞雑誌て大きく取り上げられた。『聖愛の白衣を
脱いで戦いで下半身を失った傷痍軍人の処女妻となった、山口軍曹夫人の
夫婦愛手記』主人公が入院中に作詞した「白衣魂」にメロディーをつけられて
歌曲ともなった。1942年6月には38刷となった。

 帯には「軍事保護院推薦」、「諸家激賛・愛の聖典」とあり横光利一や林芙美
子の推薦文。

 中国戦線でに脊髄に銃弾貫通した傷病兵と病院で知り合って結婚した著者、
看護婦が、結婚からその後の生活を日記風に書き綴ったもの。もとは小説家を
志望していた夫を通じて二人を知った横光利一が彼女に日記を書くことを勧め、
出版も斡旋してくれた。巻末の書評には、横光利一、林芙美子に加え、川端康
成、伊藤整、伊東廣の名前がある。

 川端康成は「いまの戦争が生んだ多くの作品の中で、おそらく不朽の名作で
あろう」とまで述べている。

 軍事保護院は「銃後一億の国民の精神的団結を図ると共に、軍人の遺族家族
、傷痍軍人、帰還軍人等に物心両面の支援協力を行い、前線将兵の後顧の憂い
を断つ」を目的としたから、この二人の結婚、世間への宣伝周知は重要だった。

 その戦争推進機関ともいえる保護院の後押しで豊田四郎監督で映画化もされ
た。

 映画で主役の傷病兵を演じたのは遠藤慎吾、ウィーンの国立演劇学校で学んだ
演劇評論家、演出家であった。

 遠藤慎吾の著書『夢と現実』(昭和17年5月)では

 「陸軍恩賞課長の藤村大佐が軍事保護院の三島副総裁と参観に来られた時、
豊田監督が撮影の進行が予定より遅れているので完成も延びるとしきりに強調
している。保護員としては10月3日から始まる『銃後奉公週間』にぜひ間に合わせ
てほしい意向らしい」

 原作者たちも撮影現場を訪れた

 「僕が妻役の女優をどなりつけて発作を起こすところの撮影時に山口ご夫妻が
来られて、なんとなく気が咎めた」

 映画で主人公が作ったさおいう作詞は歌となったが

 
    国の情けに 泣きながら

    男死に場所  戦線に

   二度と建てない俺達が

   附けた十字にゃ血がにじむ

 『わが愛の記』は観光された1940年、から17年後、1957年、昭和32年12月同じ著者
で『愛に生きる』が出版された。そこにはほぼ戦後の混乱が収まりかけた1953年、離
婚したと書かれている。

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