つぶやき館

アクセスカウンタ

zoom RSS 尾竹紅吉(尾竹一枝)と平塚らいてうとのレズビアン

<<   作成日時 : 2018/06/03 22:28   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 多分、2000年頃に新刊で発売された「青鞜の人・尾竹紅吉」(渡邊澄子著・不二出版
社)の広告文にはこうある。『「青鞜」は尾竹紅吉なしで『青鞜』たりえなかったー、近代
女性史に金文字で刻印される女性解放誌『青鞜』を象徴する一人であり、新進の女性
画家として自ら得た賞金で『番紅花(さふらん)』を創刊、陶芸家・富本健吉との結婚との
結婚を経て性差別の呪縛とたたかいながら、「道作り」の人として多くの女性の後進を
支え、励まし、近代日本女性史を身体ごと生き抜いた女・紅吉・尾竹一枝、名のみ高か
った紅吉の初めての本格評伝!」

   
画像


 このような女性であるが、「名のみ高い」といって知らない人もまた多い。

 1893年(明治26年)4月20日、富山市に生まれる。父の尾竹越堂は日本画家、尾竹
三兄弟の長兄

 1899年(明治32年)4月、祖父母宅に身を寄せ、東京の根岸小学校に入学。8月に富山
で大火があり、、両親も上京。

 1906年(明治39年)10歳の時、大阪に転居、大阪府立島の内高女に入学

 1910年(明治43年)東京の女子美術学校日本画家選科に入学、翌年退学

 1912年(明治45年、大正元年)19歳  1月に青鞜社に入社、4月、第12回巽画会展
に入選、同月、いわゆる「五色の酒事件」、「吉原登楼事件」が表面化、12月青鞜社
退社

 1914年(大正3年)21歳、3月より雑誌『番紅花(さふらん)』を発行,10月陶芸家の富本健吉
と結婚

  よく言われるように、尾竹紅吉が青鞜社をやめたのは、平塚らいてうとの「同性愛」の
スキャンダル、吉原登楼などの世間的な悪評による「引責退社」とされる。双方からの説
明歯あるが結局、平塚らいてうの説明が「歴史的事実」とされてしまう。とはいえ、らいてう
自身の考え、言動も揺れ動いている。

 平塚らいてうと尾竹紅吉との初の出会いは1912年、明治45年2月19日、『青鞜』」創刊
の半年後のことである。1月に青鞜社社員となった尾竹紅吉は上京した翌日、友人に
連れられて本郷曙町のらいてうの家を訪ねた。らいてう26歳、紅吉18歳。

 らいてうが襖を開けて入ってきた瞬間、紅吉は頭をまっすぐ上げて眼を合わせたが、す
ぐうつむいた。らいてうの美しい眼差しが自分に注がれている、と思うだけで身体は震え
、つま先まで固くなった。らいてうは紅吉の憧れの女性だった。『青鞜』の巻頭の言葉「
元始、女性は太陽であった」を紅吉は毎日声に出して読んでいた、聖典であった。この
感動は23年もあとになった1935年、昭和10年にも続いていた。富本一枝の名で書かれ
た「痛恨の民」の中で引用している。

 「私達女性もまた、一人残らず潜める天才だ。天才の可能性だ。只精神集中の欠乏
の為、偉大なる能力をしていつまでもむなしく潜めせしめ、終に顕在能力とすることなし
に生涯を終わるのはあまりに遺憾に堪えない」

 この「天才」とはらいテウが生み出した「元始、女性は太陽であった」の中核の概念で
ある。

紅吉とはじめて会った日のらいてうは日記に

 「Kは子供の無邪気と、少年の好奇心と情熱を有っているらしい。得易すからぬ女性
であろう。自分の想像とは違って少しの厭味な処がないのはうれしかった」

 ときわめて好感を抱いたことを記している。

 紅吉は入社前に、会う前から何度も手紙を送っている。入社すると「自己というものを
忠実に発揮できる」という小林の言葉を信じて、自らの性衝動も綴った。それを読んだ
青鞜の同人達は「大阪から来た変な人」と興味を持った。らいてうも紅吉の文章の妙な
エロチックな雰囲気に「あまり良い感じはしなかった」と述べてはいる。

 しかし現実に眼にした紅吉は、実にのびのびと活発で、大きな子供のようであった。
らいてうは

 「私は何かしらこの女に偉大なものが潜んでいると思わずにはいられなかった。久し
く自分の心に持っていた或るアイデアに今目の当たりに出会ったような心持さえした」

  4月9日に紅吉は家族とともに上京、引っ越した。青鞜社の事務所や、らいてうの部
屋に頻繁に顔を出す。編集などの仕事を手伝った。久留米がすりに袴、角帯に雪駄と
いう男装の紅吉は同人の人気者となった。

 5月13日、青鞜の会合、ミーティングが中根岸の紅吉の家で行われた。同人がほとん
ど帰り、らいてう他二名が残った。この夜は二人の忘れられない日となった、らいてう
は「紅吉を自分の世界の中なるものにしようとし」て熱烈な抱擁とキスをした。らいてう
は26歳でも男性経験は少ない。主導権はらいてうが握った。

 紅吉は同性愛に燃え上がった

 「私の心は、全く乱れてしまった、不意に飛び出した年上の女の為に、私はこんな
苦しい想いを知りだしました。少年のように全く私は囚われた」

 だがその同性の恋も半月もしないで閉ざされた。らいてうの豹変である。

 らいてう

 「私はあなたを抱くことを、接吻することを欲している、けれど孤独の楽しさ、深林の
静けさを更に欲している。さらば、さらば」

 と手紙

 紅吉は

 「子供は遂に死にました」

 と返事を書いた、6月3日。

 この後、「五色の酒」、「吉原登楼」が発覚し,問題となり、青鞜への攻撃が始まった。
その責任をとって紅吉は青鞜を去った。



 

 

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
尾竹紅吉(尾竹一枝)と平塚らいてうとのレズビアン つぶやき館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる