つぶやき館

アクセスカウンタ

zoom RSS 江戸時代の養生法の素晴らしさと貝原益軒

<<   作成日時 : 2018/06/26 11:42   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 
画像
 私は長く、というか15歳で重病にかかり、以来、それを引きずって生きてきた。ある
近所の婆さんが言っていた「健康以外は贅沢じゃ」はたしかに真実であろう、と思う。
医学は発展したというが、熱に近藤理論を持ち出すまでもない、病気を治すのはどこ
までも本来人に備わった自然治癒力である。ベンジャミン・フランクリンが「醫者は金を
取り、自然は病を治す」は未来永劫、変わらぬ真実である。近代医学のない江戸時代
の養生法、その中の貝原益軒の養生法は今なお全く古くなってはいない。耳を傾ける
べき叡智であろう。

 江戸時代の養生法、養生論は今なお健康を維持し、病を治すための基本的な生活
の知恵に満ちていると思われる。その根底にある考えは

     養生は人が本来有している自然治癒力、健康回復力を発揮させること

 である。そこには現代の不自然な薬物に汚染された世界はない。あるなら和漢薬の
世界である。

養生とは日本語独特のものかどうか、逸れは医学的な病の治癒の方法とは別に、
病を未然に防ぎ、健康な生活を確立し、長寿を獲得するための生活上の留意点、
ともいえる。別に養生という言葉にこだわらずとも人類は普遍的にそれを求めてき
たはずである。

 その中で著書として完成したものとして貝原益軒の「養生訓」が有名である。だがそ
れ以外でも古代から近世にいたるまで数多くの養生法を述べた本が存在する。日本人
は古来養生論が好きであった証拠である。

  東洋医学は近代西洋医学の徹底した分析的手法とは異なる、病を治癒させること
のみを目的とせず、未病というべき病に至らずとも、健康に生きる知恵、生活のすべを
説いてきた。

 『養生訓』には

 「聖人は未病を治すとは、病いまだ起こらざる時、かねてつつしめば病なく・・・・・・・
病のいまだ起こらざる時、勝ちやすき欲に勝てば病起こらず/・・・・これ未病を治す
るの道なり」

  端的に云えば、日常の生活で欲を慎む節度ある生活こそが病を未然に防ぐとい
う『養生訓』の根幹の思想である。

 先行する中国からの健康思想、現存する最古の日本の養生書は平安時代の『医心
方』は中国の書物からの引用が多く、衛生、医療技術から房事まで網羅されている。
鎌倉時代に入ると丹波行長の『衛生秘要抄』が書かれ、『千金万』、や『養生要集』とい
う本から数多くの引用がなされている。

 日本の漢方医学は極めてレベルが高く、江戸時代には相当な医学者が輩出した
が、その先駆者として近世初期の医師の田代三喜とそれを継いだ曲直瀬道三がいた。
宋学の影響が大きかった医学は、観念的に過ぎて実践的でない。その弊害を取り除き、
『傷寒論』や『素問』のような古典に帰るべきという古医方の考え方が17世紀後半から
現れた。

 このような長い歴史と背景の中で貝原益軒『養生訓』は生まれた。この本は益軒が
1713年、正徳三年、83歳で没する一年前に京都の本屋、永田調兵衛から出版された


 益軒は医学の素養もあり、また儒学者であった。朱子学はもちろん、伊藤仁斎にも
師事していた時期もあった。『千金万』も批判的ながら取り入れており、道教的不老長
寿説から、宋学の理気説も踏まえている。その意味ではそれまでの日本、中国の養生
についての考えの集大成でもあった。

 初版後は何度も版元を変えて増刷、再板され、江戸期をつううじて最もよく売れた養
生についての本となった。現代でもなおよく読まれるという点で驚異のロングセラーと
言える。

 益軒箱の中で「不老長寿」の薬はないと断言している。だから天地の「元気」を受けて
これを減らさないことこそ重要としている。気を悪くするものは「欲」であり、人生は恣に
するのではなく、忍ぶことが重要であるという。食事は腹八分、かそれ以下であるべき
であり、生活全般において抑制を基調徒手べき考えで貫かれている。現代風にいうな
らば自己に内在の免疫力を高めて、また邪な欲を抑える、体のみならず人格の陶冶に
も気を使うべし、それがひいいては社会全体の健康さにも通じるとする。ある意味、儒
教的であるが、心身が一体の健康の重要さを説いている。

 さて、房事についても「接して漏らさず」は有名は言葉である。

 「四十以上の人は、交接のみしばしばにて、精気をば泄すべからず、・・・・・・この
法を行えば泄さずして情欲はとげやすし。然れば是気をめぐらし、精気をたもつ良法
なるべし」

 「接して漏らさず」ばかりが一人歩きであるが、決して単純に「接して漏らさず」と言っ
てもいない。言葉はそのとおりだがニュアンスが違うのである。ポイントは「四十以上」
というところである。当時の「四十以上」は今の六十以上くらいかそれ以上であったは
ずである。一定年齢を超えた男性はやたら精気をほとばしってはいけないという戒め
である。

 「晩節を汚すな」とは益軒が何度も云う言葉であったが、それは身体論のみならず、
欲にかられた醜さを撒き散らす老人になるなという意味である。もっとも益軒自身も
若い頃はよく遊んだ、学を修めるために行った京や江戸では遊郭通い、挙げ句に
淋疾を得てしまった。これらへの自省をこめての考えであろう。

 「医は仁術」とは本書の言葉であり、そのまま現代に通じるものである。『養生訓』は
現代の科学的な考えからは否定されそうな部分もあるが、全体を流れる基調の心身
の「気」を養うという考えは誤りではない。

 養生の理想は、なにか仙人になるようなことだが、普通はまず無理である。儒教的
な理想人になるのも至難である。だから何よりも現実的な人の生活に即した内容を
ふんだんんい取り入れて、容易に実践できる方法に変えていた。漢学者であっても
その文章は読みやすい。「益軒十訓」のような処世術や人生訓を展開してきた実績
から、可能な限り仮名交じり文で読みやすくしていた。当時としては83歳という長寿
を実現し得たという点で説得力もあった。淋疾もあり決して丈夫な体質でもなかった
益軒であるがその節制に基づいた生活が長寿をもたらしたといえるだろう。

 学者としては二流以下で、思想上は確固たる地位はないにせよ、近世ではよく
本が売れる学者のトップで有り続けた。

 健康以外は贅沢だ、との言葉もあるように人にとってもっとも重要なことは健康であ
る。理屈でなくそれは極めて実践的なことに酔って実現される。しょせ人の体を分析
的手法で解明し尽くし、その結果で健康を得るのは、医学者の夢でも現実、災さえ
もたらしかねない。全ては中庸で良識ある、自分自身に内在する健康への力をいか
に引き出すことが最重要なのは云うまでもあるまい。『養生訓」』気を充実させての
節制による節度を保つ生活が何より実際の健康をもたらすのである。

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
江戸時代の養生法の素晴らしさと貝原益軒 つぶやき館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる