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zoom RSS この世に生まれ得なかった者たち、強制断種、強制不妊、中絶

<<   作成日時 : 2018/06/24 13:43   >>

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  最近、戦後の優生保護法のもとの矯正不妊手術の横行がやっと問題になっているが
、実際、主導権を以て推進したのは国であり、同等の責任は日本医師会、また精神科を
主体とする医師たち、一切無批判以上に優生政策をけしかけ続けた日本のメディアにも
認められる。・・・・・理由は原因はなんであれ、この世に生まれ得なかったものはあまりに
多い。

 大学時代、解剖実習でその実習室を前半は歯学部学生が実習に使い、後半は医学部
が使っていた。実習室の後ろには標本が多数雨あり、そこにアルコール漬けで保存され
ている胎児、といって生まれたのでは?と思われるほどの大きさ、目隠しはしているが、
この世に生は享けても生まれ得なかった者の悲しみが漂っていた。

 もうかなり前の新聞記事だが、朝日新聞2006年8月26日

 「国立ハンセン病療養所で標本としてホルマリン漬けにされていた胎児を供養する慰霊
祭が25日、青森市石江の松丘保養園であった」

   
画像


 これだけの短い記事だが、現実にアルコール過ホルマリン漬けにされて保存されている
胎児はこの世に多い。医学部には非常に多いはずだが、ハンセン病施設にもある。

 「厚生労働省によると、保存されている胎児は全国の療養所6施設に115体ある、その内
ニ体が松丘保養園のものであった」

 自治会長は挨拶で以下のように述べた。

 「今日の慰霊祭は、二人の御子の慰霊と同時に、戦前から断種、堕胎を矯正され続けた
入所者の無念の思いを鎮魂するものであります」

  ハンセン病施設の入所者の作品を集めた『楓の風』

 その題字と序文は元朝日新聞副社長、日本放送協会会長を努めた下村海南氏。

 「私はここで型にはまった文句を並べるよりも、青森県松丘保養園遊草から十首とり
いでてみた。ときは昭和23年夏、戦犯容疑者の肩書はとかれたがまだ追放の身であっ
た。」

 下村海南氏は太平洋戦争下の1943年、日本放送協会会長に就任、45年4月成立の
鈴木貫太郎内閣では国務相兼情報局総裁になり、8月15日間近、陸軍強硬派の妨害
をもろともせず「玉音放送」を成功させた。

 だが戦犯容疑者ともなり、追放中に下村は松丘保養園に滞在していたようである。

 「八甲田山を仰ぐ津軽野に悠々と一ヶ月近く滞在できたことも追放されたお蔭であっ
た。・・・・・毎日、園内をそぞろあるきをして病友と語り合った。患者たちの診察から解剖
までを見学した。・・・・・・それもこれも追放のお蔭であった。

 下村は佐々木綱信門下の歌人でもあった。

  いつの日にここへは入りましたかとたづねられ  海南といへば皆これはこれは


  下村海南は1952年4月にライ予防協会会長となった。これも、一ヶ月養ってくれた
ことへの恩返しだったのであろうか。

 ハンセン病文学全集はその第10巻が子どもたちの作品である。

 だが生まれたものの苦しみ悲しみだけではなく、そこにはどこかに生まれ得なかった
者たちの悲しみが漂っているはずであろう。

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