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zoom RSS 小樽文学館の小林多喜二デスマスク

<<   作成日時 : 2018/06/22 23:24   >>

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小樽文学館はちょっと変わった、というかアナーキーな雰囲気を漂わせた文学館
、付き合い方にはちょっと注意を要する気がしないでもない。いぜん、一度訪問した
ことはある。小樽の文学者といえば小林多喜二、伊藤整、・・・とそれからマイナーにな
るが岡田三郎とか。小樽文学館はその二人の巨星を中心にしている、といっていいの
かどうか。

 さて、その中の小林多喜二、1933年、昭和8年2月20日正午ころ、東京築地署の特高
に検挙され、そこから約三時間におよぶ激しい拷問を受け、午後7時45分過ぎに絶命し
た。その変わり果てた遺体は翌日夜、遺族に送り届けられた。そこには鹿地亘る、千田
是也、山田清三郎、立野信之、壷井栄、宮本百合子、原泉、上野壮夫らが待っていた。
全身に熾烈な暴行の跡が顕著で皆息を呑んだ。佐土哲二、千田是也などがあわただしく
デスマスクを取った。・・・・・・・そのデスマスクが遺族から小樽文学館に預けられている、

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  その小樽文学館に遺族から貸与されている小林多喜二のデスマスク、その事情を
学芸員の玉川薫氏が述べている。

 (文学館内の本と資料は貸し出されると述べた後で)けれでもただひとつの例外があり
ます。それは小林多喜二のデスマスクの石膏の原型です。

 小樽文学館ではブロンズ製の複製は常時展示していて、手で触れられます。こちらは
貸し出しのご要望があれば貸し出しも行います。けれども石膏のデスマスクの原型は、
館内の耐火金庫にしまいこんでいて、特別の趣旨のケース以外は館内展示も行いませ
ん。(右翼の破壊行為が予想されるため?)

 それはそもそもこのデスマスクの石膏原型は小樽文学館の所有ではありません。小林
多喜二のご遺族から館が責任を持ってお預かりしているものであり、当然、その管理に
は万全を期しております。

 その詳しい事情は『市立小樽文学館報』第19号(1999年3月)に「言っておかねばならな
いこと」と題して書いています。えらく気負った文章ですが、これは遺族から石膏原型を
預かった当初の重いが率直に現れています。

  (ご遺族から自宅で大切に守ってきたデスマスクであるが、みな年老いてきたこともあ
り、しかるべき所に預けたいということになった、と相談を受け、それなら東京駒場の日本
近代文学館が適当ではないかと申し上げた後)

 その後、数日間,私は多喜二のデスマスクについて考えた。デスマスクは、惨殺された
多喜二の遺骸に直接石膏を当ててかたどり採取された。極度に切迫した状況の中での
作業で多喜二の顔面から剥がされた石膏の印象は数片に割れたという。デスマスク制
作の意図は、目的は私は知らない。

 そうであっても惨殺された同志のデスマスクを採取するという仲間たちの心情は察す
るにあまりある。その採取制作されたデスマスクはそのまま遺族に渡された。遺族は
それを66年間にわたって守り続けてきた。これは「文学資料」だろうか。

  駒場の日本近代文学館は、日本近代文学の関係資料の収集、保存、整備を目的
として設立された。また日本近代文学に関する啓蒙普及のための展覧会、文学講座
を主催してきた。その後各地に設立された文学館も、対象こそある地域、あるいは個人
の作家に限られたものであれ、その目的と機能は日本近代文学館と同様なものに尽
きるのである。小樽文学館も例外ではない。

 しかし20年余もこの文学館の仕事に携わってきて、私には「文学館という場所」が
先のような説明だけでは腑に落ちないものと実感されてきた。それは「逝った者と残さ
れた者の思いが錯綜して沈殿していく特別な場所」という実感である。私は多喜二のデ
スマスクは小樽文学館でこそ預かりたい、と考え直した。調査研究の為に預かるのでは
ない。公開展示するつもりもない、多喜二のデスマスクを小樽で預かるのは必然なので
ある。これこそが小樽文学館の本当の存在理由である。

 私は小笠原館長の了解のもと、小林多喜二のデスマスクを小樽文学館で預かると
遺族に申し出た。ご遺族からは重大なことなので熟慮したいとの返答であった。それか
ら半年ほど過ぎた1998年秋、ご遺族から次のような申し出があった。

 小林多喜二のデスマスクは小樽文学館に預けたい、これは遺族の総意である。修復
すべき所があればそうしてほしい。小樽文学館に一任する。

 だから多喜二のデスマスクは小樽文学館に寄託されたが決して寄贈されたものでは
ないということえある。どこまでも永久にご遺族の所有なのである。

 29歳という短い生涯はすさまじい暴力で断ち切られた多喜二である。多喜二をめぐる
状況は死後も極めて厳しいものであり、遺品を守ってこられた遺族も命がけであったろ
う。原稿や書簡を含むそれらの遺品がさまざまな人の手にわたり、分散したのもやむを
得ないものであった。それらは日本近代文学館や北海道立文学館に所蔵されている。

 だがデスマスクだけは違う。これが伝えるあまりの痛切さは母や姉、妹、弟に所属す
る。民衆の為にあるわけでもなく、学問、芸実の為でもない。あらゆる「為に」をこれは
拒絶するのである。


   
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