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zoom RSS 新宿中村屋のカレーは本当にうまいのか?インド式カリー

<<   作成日時 : 2018/06/20 16:40   >>

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うちの老母がよく天満屋の特販でしばしば何やら買い込んでいる。食品
ばかりみたい、わざわざトイレットペーパーも高い値段で、数万円は一度に
買う。その中によく見たら新宿中村屋のレトルトのカレーがある、レトルトだか
他、うまい道理はない。新宿中村屋といえばインド独立の闘士であったビハリ
・ボース、・・・・・またビハリ・ボースかといわれそうで、かって「インド語学科」に
在籍の経験のある私はあのインド国民軍の総帥、チャンドラ・ボースにいたく
興味と関心があり、それと紛らわしい中村屋のボースにも関心を惹かれている
わけであるが。

 物の本によると新宿中村屋に行くと、テーブルの上にある「恋と革命の味」
という題名の短文、インド独立の闘士、ラス・ビハリ・ボースと中村屋創業者の
娘との恋、かくて中村屋に準インド式カレーが誕生した、・・・とよく知られた話
、知らない人は知らないが、・・・・の宣伝文の紙が置かれているそうだ。

 明治34年、1901年パン屋として創業されたという中村屋、・・・まあ木村屋み
たいなものだったのか、昭和2年、1927年、喫茶部がオープンし、カレーがメニュ
ーに加わった。当時は言語の発音に似せて「カリー」と表記されていた。これ
からして他の店のカレーとは違うという意気込みの現れだったようだ。

 一つの特徴は新宿中村屋が文化サロンとして機能していたという事実である
。創業者の相馬愛蔵、黒光夫妻のもとに多くの文化人が、美術、文学、演劇
など広い分野の文化人が集まり、中村屋を拠点として芸術活動を行った。初期
、サロンを構成したメンバーは荻原守衛、高村光太郎、島村抱月、松井須磨子
というなかなか錚々たる面々、さらに日本人にとどまらずロシアの盲目の詩人の
エロシェンコ、も。

 ビハリ・ボースはもう何度も書いたから敢て述べなくてもよいが、インド上流貴族
の生まれ、反植民地独立運動に身を投じ、亡命生活に。日本に逃れてもイギリス
大使館に追われ、中村屋創業の夫妻がその身をかくまった。後にその娘と結婚し
、純インド式カリーを伝授した。

 ボースが中村屋に見をよせた大正4年、既にカレーは日本の洋食屋の定番の
メニューであった。明治19年の風月堂がカレーをだしたという記録がある。

 しかし最初日本に伝わったカレーはイギリス経由であり、本場のインドカレーと
は別物であった。イギリス式は小麦粉を使用するため、トロリとしているがインド
本来は小麦粉は使わないのでさらりとしている。イギリスは牛肉を使うが、インド
は宗教上の理由からチキンを使う。

 ボースはすでに日本でカレーが人気メニューであったことは光栄に思えたが、
しかしイギリス流にアレンジされたものであり、インド歩んらいのカレーでないこと
を残念に思った。そこ結果、中村屋が入りだしたカレーは純インド式と銘打った
ものであり、本場の味にあくまでこだわった。小麦粉は使わない。肉は骨つきの
チキンであった。スパイス、インディカ米はインドから取り寄せた。

 だがすでにイギリス式に親しんでいた日本人相手には苦戦をしいられた。まず
パサパサしたインディカ米は日本人に好まれない。そこで相馬愛蔵は、幻の米
といわれていた「殿様米」と云われていた「白目米」を復活させ、大量発注した。

 このように中村屋のカレーはインド式をいかしつつも日本人に合うように工夫
が凝らされた。当時、値段はデザート、エスプレッソがついて80銭。普通、食堂で
カレーが10銭前後という時代、かなり高価であった。それdめおインド式カリーは
日本人の人気を博し、なお中村屋一番の人気メニューであり続けている。

 それにしてもインド式カレーは小麦を使用しない。SBの赤い缶のカレー粉だけ
みたいなものだ、大学に留学できてきていたインド人がカレーを作って医局に
鍋にいれてきて、やはりとろりはなかった。

 

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