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zoom RSS 池田林儀(いけだしげのり)の優生思想

<<   作成日時 : 2018/06/20 00:06   >>

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  日本の優生思想は上からの、官僚、日本医師会などによるものとリベラル勢力
の社会改良、社会政策的な観点による優生思想が混ざり合ってその協力によって
長年、形作られた、・・・・・・いたって概括的に云えばそうなる。ここで上からの優生
思想といえば池田林儀(しげのり)がもっとも深い影響を与えたといえないこともない。
その人物評、活動歴を」概観すると,

 池田林儀は1892年、秋田県の現在は仁賀保町生まれ。東京外国語学校シャム
(タイ)語科を卒業し、大日本雄弁会講談社で雑誌編集に携わり、その後、報知新聞
社に、そこで大隈重信専属記者になった。1920年第一次大戦後のベルリンに特派員
で派遣され、その在任中、1925年、日ソ基本条約締結に際してモスクワにも派遣され
ている。その年に帰国、学芸部長兼論説委員、ここからそのかたわら1926年雑誌『
優生運動』を創刊した。

 その優生思想はドイツ在任中の経験により所が多い、がそれ以前、池田林儀は
皇国史観による「日本民族中心主義」、「皇室中心主義」を主張し、「日本国民の
根本理想はなにであるかと云えば、日本民族の世界的発展である。決して他国
民族の陵辱圧迫に屈せず、超然として世界の上に生存するにある、必ずしも世界
統一を理想とはしない、ただ、それ大日本帝国をして世界の上に冠絶しむるので
ある」、「日本民族主義遂行の前に横たわる暗礁障害は、すべてこれ正義人道に
背くものである。それが外より来るものであっても、内から来るものであっても、す
べて正義人道に反するものである。外から来るものに対しては戦争がある、内から
来るものに対しては制圧がある」

 ここに日本ファシズムの戦争と弾圧との正当化が明確に主張されている。事実、
その後、日本はそのとおりに進んで結果は焦土化した。

 そこでドイツへの派遣であるが、池田は「ドイツの再興は疑いない」、と確信した
。大戦後の国際関係は「英米仏等戦勝国側」、「ドイツの方面」、「露西亜の流れ」
などに現れた三大潮流を軸に展開すると考えた。「ドイツは再び戦い得る国となる
」と断言した。平和は長くは続かない、戦争は必ず起こる。

 そのドイツ再興、戦争の理由は池田は「フランスに比べ、出生率が高い、敗れた
が出産は減らない、人口は殖える、大怪我をしても独逸はまた余力がある」と述べ
「独逸よ、頑張れ」と激励した。

 池田の優生思想に大きく影響したものは独逸再興の基本に「ワンダーフォーゲル」
運動があることであった。ドイツ民謡をうたいって、ドイツの自然に親しむ運動は、「
これは肉体的にも精神的にも非常に良い試みである」ワンダーフォーゲルはその理
念を「民族魂の振興」、『自然に接して太陽を浴びる」、「伝説俚諺の奨励」、「風土地
理習俗の習得」、「団体生活の訓練」などとし、このワンダーフォーゲルの思想が結
果として池田林儀の優生思想に大きな意影響を与えた。
 
  第一次大戦は日本を帝国主義大国としての発展させることに絶対的な大儀を
与えた。その後のドイツ派遣時代はその確信を更に強固にさせた。池田は来るべき
次の大戦に備えるべく、祖国と郷土を愛する心身の健康で強靭な人口の増殖こそ
が必要と考えた。

 ここにおいて戦争への備えとしても優生思想、内部での制圧弾圧が芽生えていっ
た。

 1925年、帰国した池田は7月7日、ドイツ滞在体験を持つ軍人、外交官、文化人
らでつくるリンデン会の第二回会合で「足の会」と称しての日本でのワンダーフォー
ゲル運動を実行することを決め、その宣伝、普及のための活動を開始した。ただ
「足の会」は池田の病気などの事情で発展しなかったが、その後の優生運動の活
動の拠点となった。

 1926年から池田の優生運動は活発化する。講演、出版がその手段であった。

 「優生運動には、積極的即ち建設的運動と、消極的即ち制限的運動の二方面
がある」、「建設的運動」に「優生者の結婚率を増加させること」、「これらの結婚に
よる出産率を十分得ること」、「制限的運動」は「劣生者の結婚率を低下させること
」、「これらの結婚で生じる出産率を減少させること」、

 その「劣生者」とは「遺伝欠陥を持った人々」である。具体的には「遺伝による
精神薄弱者」、「遺伝性の精神病者」、「癲癇」、「先天性の生理的虚弱者」、「先天
性の畸形者」、「八ッチンソン舞踏舞踊病のような由々しき遺伝的疾病素因」、「生
来の盲目、聾唖、特殊感覚の障害者」、「慢性犯罪者、酔癖者、売淫婦、貧窮者の
ごとき怠惰階級」

 これらをすべて「制限的優生学の対象」としたのである。そこから「劣種禁婚法」
や「外科手術(断種手術)」を認めたのである。その後、更に強制断種の外科手術
の必要性を強調するにいたった。

  「制産手術とか避妊法というものには、国家当局は極めて神経過敏であるが、
これを容認せずして、この社会に理想的結婚を実現せんとすることは不可能であ
る」、「欠陥者や不良者を保護することはもちろん悪いことではないが、彼らに生殖
の機会を与えて、その子女までが不幸なる生を経験させる必要は毛頭ない」、「こ
れらに断種手術をほどこすことは、新しき時代の道徳になるのではあるまいか」

 さらに産児制限運動を展開するリベラル、キリスト教勢力との違いを強調し、
「人間として、、種族としての優良分子であるか否かがその基準である」とし、社会
改良家による産児制限運動との違いを強調している。
 

 池田林儀の思想はそのまま日本ファシズム、戦後の日本まで支配したといえる。


 

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