つぶやき館

アクセスカウンタ

zoom RSS 夏目漱石の「手紙」と森鴎外「藤鞆絵」

<<   作成日時 : 2018/06/15 11:39   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 
画像
まず夏目漱石の「手紙」、1911年、明治44年に書かれた漱石唯一の小説で
ある。東京朝日新聞に連載された、基本的には短編小説である。1911年の
7月である。その前年、いわゆる修善寺の大患が8月にあって作品発表は、
至って低調になった。その落ち込んだ懐古趣味的な気分で1911年、明治44年
の2月20日まで「思ひ出す事など」を連載した。1912年、明治45年元旦からは
「彼岸過迄」の連載を始めているから1911年唯一の小説が「手紙」となる。

 「手紙」は短編でさしたる劇的な展開などなく登場人物も少ない。

 (『国文学 特集・夏目漱石ー世界文学と漱石』で「感想ーほとんど取り上げら
れることが少ない『手紙』という短編について)で竹盛天雄氏が論じているくらい


 「漱石の『手紙』という作品は、大患のあとのやや軽い筆ならしの印象がなく
もない短篇である。手紙という表現形式や手段は、漱石にとって比較的手慣れ
たものであったし『門』、『彼岸過迄』という問題作に挟まれた作品であるだけに、
これまで検討を疎かにしてきた憾みがある」

 とつれない解説を加えている。

 一つの特徴はH、K市と広島市、呉市をアルファベットの頭文字だけで表して
いること、主人公の重吉が人の紹介でHに就職して赴くことを、えらく辺鄙な場所
に行くと感じた「自分」、ここに漱石の東京人間らしい西日本地域への親近感の
乏しさ、ある種の偏見さえ感じられる。「坊っちゃん」で松山を「不浄の地」と蔑視
した漱石らしいイヤな部分である。でも呉市であるはずのK市は市がちゃんとつ
いていて広島としか思えないHが市貫はそれが田舎なのか、あるいは割と大きな
街で市が要らないと思ったのか、よくわからない。

 あらすじは「一時は自分の家に寝起きして迄学校に通った」重吉が、大学を出て
知人からの紹介でHに越していくことになった。その重吉に、自分の「妻の遠縁に
当るものの次女」静と結婚する約束ができていた。しかしその縁談も「片付かない」
状態になっていたため、自分がK市へ行く用事のついでにHに回って重吉にあい、
本心を確かめるというもの。手紙は、重吉に会う直前にHでひょんあことから自分が
見つけたもので重吉宛に「書き手の黒人である事が、誰の眼にも何よ先にまず映る
」という恋文であった。

 ここで書き出しが鴎外の「藤鞆絵」と共通点があることを述べる。

 「手紙」の書き出しはこうだ

   モーパッサンの書いた「二十五日間」と題する小品には、ある温泉場の宿屋
へ落ち着いて、着物や白襯衣を衣装棚にしまおうとするときに、その抽出を開けて
見たら、中から巻いた紙が出たので、何気なく引き延ばして読むと、「私の二十五
日」という標題が眼に触れたという冒頭が置いてあって、その次にこの無名氏の
所謂二十五日が一字も変えぬ元の姿で転載された体になっている。

 プレヴォーの「不在」という端物の書出には、巴里のある雑誌に寄稿の安請合を
したために、独逸のさる避暑地へ下りて其処の宿屋の机か何かの上で、しきりに
構想に悩みながら、何か種はないかとい風に、机の抽出を一々開けてみると、最
終の底から思いがけなく手紙がでてきたとあって、これにもその手紙がそっくり
そのまま出してある。

 二つとも能く似た趣向なので、或は新しいほうが古い人の遣ったあとを踏襲した
のではなかろうかという疑いさえ挟める位だが、それは自分にはどうでも宜しい。
唯自分の近頃、これと同様の経験をした事がある。


 とあって、このあと、やはり偶然見つけた手紙がこの短編で重要な役割を果たす
という予告になっている。

 一方、鴎外の「藤鞆絵」はどうか、その冒頭、

  冒険という詞は、aventureを故人、森田思軒が訳して、始めて使ったのだと、本
人の直話であった。なるほど、多くの場合には好く嵌っている。

  しかし深山に入ったり、荒海に出たりするように、危険が伴わなくては、アワンチュ
ウルが成り立たないと云うものではない。Gautierの小説に、毎朝今日こそは恋人を
拵えようと思って飛び出して巴里中を走り回る青年の事が書いてあった。それから
Maupassantだったかと思う、間違ったらごめんなさい。田舎に住んでいる、極真面目
な家の細君が、一生に一度是非浮気がしてみたいと思って、わざわざ汽車に乗って
巴里に出る話があった。


  恋人を作る、浮気相手を見つけるために巴里に出る話を、鴎外はフランスの二人
の作家の作品を挙げている。そこから枕をふって佐藤という主人公がが宴席で一人
の若い芸者から間違って声をかけられるという話が進行する。その本筋が書かれる
きっかけは「ここに書くのは、この佐藤くんが近頃経験した事実である」という一文か
らである。


 「手紙」と「藤鞆絵」は共通点は冒頭で二人のフランスの作家名が使われていること
、この二つの作品が書かれた時期は接近している。鴎外の「藤鞆絵」を漱石が読んで
、書き出しのヒントを得たと思われる。

 

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
夏目漱石の「手紙」と森鴎外「藤鞆絵」 つぶやき館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる