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zoom RSS 高野虎市、立花事件と実松譲、開戦前、海軍対米諜報の壊滅

<<   作成日時 : 2018/06/11 11:52   >>

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1996年の12月12日に94歳でなくなった旧日本海軍大佐、実松譲(さねまつゆずる)
某新聞記事では「実松氏は元旧日本海軍大佐であり、戦後は戦史研究家、真珠湾攻
撃当時は海軍武官補佐官としてワシントンの在米日本大使館に勤務していた。その
体験から『アメリカへの開戦通告の覚書は、事前に大使館に届いていたのに放置され
ていた可能性が高い』と述べて論議を呼んだ」

 映画史研究家の牧野守氏が実松氏にあった際に、日系二世でチャップリンの秘書で
あった高木虎市にまつわるスパイ事件を聞いたところ、全然はかばかしい回答は得られ
なかったという。だがこの高木虎一事件は実松譲氏にとってもなにか忘れられない痛恨
であったとその著書から伺い知れる。高木事件で開戦前夜の日本海銀の対米情報網は
壊滅的な打撃を受けた。だがこの筋書きは全てアメリカ海軍情報機関とFBIの仕組んだ、
おとり捜査であり、まんまとひっかかったのである。

 実松譲氏は1902年佐賀県武雄市に生まれた。海軍兵学校51期、海軍大学を卒業。卒
後、プリンストン大学留学、帰国後、艦艇勤務を経て海軍省入、米内光政海軍大臣在任
中に副官兼大臣秘書を務めた。その後、在米海軍武官補佐官としてワシントンに駐在、
主に米海軍の情報収集を担当した。

 実松氏自身は海軍でも知米派であり、陸軍が推進した日独伊三国同盟に海軍が反対
するようの奔走した。真珠湾攻撃後、捕虜交換船で帰国、海軍大学校教官、海軍参謀
として戦地に赴くことなく終戦を迎えた。戦後はその特異な体験から戦史研究家として
執筆に勤しんだ。

 実松氏の書く立花事件

 「6月6日(昭和16年)のことだった。

 ロサンゼルス駐在の立花止中佐は、この日の朝、サンピドロに入港しや日本海軍の
特務艦を訪れ、同艦の寄港中の行事、在留邦人の歓迎会や乗組員の上陸見学など、
の打ち合わせを行って宿舎のホテルの戻った。

 その時既に、FBIのGめんが立花のホテルに入り込んでいた。Gメンとは犯罪捜査に
あたる特別局のことである。

 『あなたは日本海軍の立花大佐ですか』

 『イエス』

 即座にGメンは逮捕令状を示し、手錠をはめて連行した。同時にその所持品は全て
証拠品として押収された。

 立花はなぜ捕まった?

 その一ヶ月ほど前、5月中旬、彼はワシントンの海軍武官質を訪ね、それまでの情報
収集の状況と今後の見通し、計画について詳しく語った。

 『さきに米国海軍巡洋艦フェニックスの夜間射撃訓練の結果についての情報を入手
できた。今度は戦艦の射撃成績が入ります。それには5000ドルほどの資金が必要です
、スパイは、米海軍太平洋艦隊司令部下士官である」

 武官室はこのスパイの信頼性に疑念を抱いた、逆スパイではないのか。だが立花
はそれを強く否定した。絶対に信用できる人物と太鼓判を押した。

 『それな他やってみたまえ、でも十分注意しないと」

 こうして立花の計画は進められたが、・・・かれは5000ドルの資金wの手中にして、ま
もなく入手できそうな米海軍の機密情報を夢見ながら、ワシントンをあとにした。

 だがやはりそれは立花を陥れる罠であった。

 絶対信用できるスパイも、しょせんはアメリカの仕組んだオトリでしかなかった。

 間もなく立花は起訴された。検察側は確実な証拠を掴んでいると自信満々。それは
逆スパイを使って用意周到に計画されたものであった。まず有罪は避けられない、そう
なると20年くらいの刑が下ることは確実であった。・・・・・・何としても立花を救おうと海軍
武官室はやっきとなった」

 外交官でなく公用の資格での滞在であった、外交官のような多くの特権はない。外交
官なら好ましからざる人物として国外退去で済まされるが、公用での滞在では通常の
裁判で罰せられてしまう。一般囚人と同じく刑務所に服役しなければならなかった。

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高野虎市、立花事件と実松譲、開戦前、海軍対米諜報の壊滅 つぶやき館/BIGLOBEウェブリブログ
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