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zoom RSS 芥川比呂志、宮沢喜一、酒癖の悪い同級生(東京高師付属)

<<   作成日時 : 2018/06/01 11:11   >>

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自民党のリベラル政治家だった宮沢喜一は一旦、酔っ払うと酒癖が悪く、
その点で大いに人から嫌がられたものだ、普段の姿、外見からは意外にして
もまさしく意外なことであり、いつだっったか暴漢に襲撃されたときも「何やって
やんでえ、この野郎!」とその喧嘩の強さに人は驚いたものだ。この宮沢喜一
と東京高等師範附属小学校で同級生だったあの芥川比呂志である。舞台俳優
であった。文学座、・・なのだがこれまた酒癖の悪さ、よって絡むその内容が
なんとも不快にさせるものだったそうだ。宮沢喜一は酒で身を滅ぼしたとまで
はいえないが、芥川比呂志は明らかに酒で、その酒癖の悪さで身を滅ぼした
といえるかもしれない。

 私の高校、まあ、岡山県立矢掛高校だが、入学時の校長が仙台出身?の
土蔵博司(とちくらひろし)といって東京高師卒、教育実習で芥川比呂志を教え
た指名したと懐古談で書いていたが、でも土蔵校長は矢掛町の美川地区の内
田に住んでいた、家内の母の実家、の隣か裏手の小さな家であった。・・・・そん
なことはどうでもいいのだが、宮沢喜一が広島県東部の福山を中心とする選挙
区であったが本人は東京生まれの東京育ちで地元の人の機微など知る由もな
かった。

  
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 で芥川比呂志の酒癖、絡み方がイヤミで悪い酒の典型だったと同じ文学座で
あった加藤武が書いている、・・・・・ちょっと転載いたします。

 ーーーーーー

 1952年、昭和27年4月、私が文学座の研究生として入座した時、すでに芥川
比呂志さんは押しも押されない演劇界のスターだった。芥川龍之介の長男とし
て生まれ、フランス語をよくし、演出も手がけ、才気煥発な申し分ない俳優とし
て厳とした存在だった。弟さんはこれまた音楽界で新進作曲家として活躍中の
芥川也寸志。

 芥川比呂志さんはわれわれが演技術の講義を受けた先生でもあった。あの「
欲望という名の電車」公演で私は初めて演出助手として大阪に同行した。芥川
さんは映画ではカール・マルデンが演じた労働者ミッチーの役で、痩せぎすな体
は役柄に似合わなかったが、主役の杉村春子さん相手に好演した。今でこそ、
芝居の旅にはビジネスホテルを利用するが当時は旅館だった。

 我々は屋根裏部屋の大広間で雑魚寝した。食事は広間で一斉に済ませるが、
裏方の我々は舞台の後片付けをして帰るから遅れて加わることになる。先輩俳
優たちは大方は部屋に戻っていた。一人残っておだを上げているのは決まって
芥川さんだった。他に呑み助の範囲有が何人かいる場合もある。ときには杉村
春子さんが加わっていた。彼女は一滴も酒は飲まないが、苦にされず酒の相手
をされていた。

 芥川さんはビール一本槍で他の酒を飲んでいるのを見たことがない。我々が
空きっ腹を抱えてやっと食事にありつこうとするときに、芥川さんのお膳の周り
にはビール瓶が林立していた。当時からすでに胸の具合が芳しくなかったのに、
タバコはやたらヘビースモーカーだった。グラスを傾ける間にスパスパやってい
た。声も調子が上がっている。ガハハとバカ笑い、こうなると完全に出来上がっ
ている証拠だった。普段の貴公子然としたその欠片も見られない。日常はまっと
うな人間が酒を飲むと別人に変身というケースはまま見られる。

 歌舞伎なら「魚屋宗五郎」、落語だと「素人鰻」だろうか。実は芥川さんこそ、ま
さしく宗五郎であり、神田川の金を地で行った。酒癖にはいろいろあるが芥川さん
の場合は、絡み酒。一番嫌がられるタイプだ。まず、眼が次第に坐ってくるのが
気持ち悪かった。相手の些細な言葉尻をとらえて絡み始める。無闇矢鱈に喧嘩を
売ってくる。絡まれなくても黙っててても目が合うとたちまち標的にされる。どうにも
防ぎようがなかった。

 創立時のメンバーの一人、三津田健さんも飲めば軽く一升はこなす酒豪だった。
こちらも宗五郎の口だった。かって芥川さんともろに衝突したことがあって我々は
両者を引き離すのが大変だった。私は酒飲みでないのでいいたいが、大騒ぎを起
こした翌朝の酒飲みの態度ほど、頭にくるものはない。何にも存じませんという、
シレーっとした態度、昨晩の挨拶もない。

 芥川さんから見れば芝居の教え子の仲谷昇、当時は二枚目中の二枚目で人気
絶頂であった。酔った芥川さんの仲谷への絡みは、まさに「松の廊下」の師直その
ものだった。「お前はたしかに、いい男だーん」と目をむき出して口も突き出して迫
た。その憎たらしさたらなかった。これは仲谷をますます二枚目の判官にしてしまう
。日頃の鬱積が酔うと場所もわきまえずに噴出してしまうらしい。天下の芥川比呂
志が、教え子相手にこんあ焼き餅コンプレックスを持っているのかと私は呆れた。

 渋谷に「とん平」という飲み屋があって観劇後、俳優、評論家、記者など演劇関係
者があつまって談論風発、夜を徹して演劇論の花を咲かせたが、ここでも鞘当が
文学座と民芸の双璧の芥川比呂志と宇野重吉の間で起こった。殴り合いもしょっ
ちゅうだった。よく芥川さんは殴られたせいか顔に擦り傷を作って稽古場に現れて
いた。

 だから芥川さんが飲んでいるのを見ると、誰もうかつに近寄らなかった。別に
演劇関係者ばかりではなかった。六本木の「鮨長」にはやたら各界の有名人が
集まった。芥川さんが一人で飲んでいた、そこへ美男子のほまれも高い十四世
守田勘弥丈がお出まし、女性同伴で。折しも店は立て込んでいたから守田は眉を
顰めた。これに芥川さんはカチンと来たらしく、「おまえ、勘弥だな!」と睨みつけ
た。初対面だったらしいが、守田はそのまま店を出た。小沢昭一が障子を開けた
ら一人の飲んでいる芥川さん、と目があった。昭一さん、少しも慌てず「芥川比呂
志さん、バンザーイ」と叫んで踵を返した。

 1963年、昭和38年1月、芥川さん達は文学座から脱退し劇団「雲」を創立。私
は袂を分かった芥川さんにも「雲」にも何の関心もなかった。病状も悪く、「雲」の
舞台に芥川さんが上がったっという話は聞かなかった。さらに再分裂、雲から「円」
に。そのトップは芥川さん、病気はさらに悪化、でも泉鏡花の「海神別荘」の演出
に心血を注がれていると聞いた。病院から指示を出されていたそうだ。私はその
千秋楽を見に行った。絶大な拍手の中、車椅子で舞台前に進んdな芥川さんは
ステッキでやっと舞台に上がった。そして力なく手を降ったのが精一杯だった。
あまりにの変わり果てた姿に息を呑んだ。

 私がお目にかかった芥川さん、最後の姿だっった。

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