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zoom RSS 饅頭本(追悼文集、遺稿集)における文壇人たち

<<   作成日時 : 2018/05/07 22:06   >>

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 まず饅頭本という名称が一般に使われておらず知られてもいない。大抵の方が知らな
いはずである。葬式で饅頭が配られるからという理由で追悼文集、遺稿集を饅頭本と
半ば軽蔑的に言うらしいのだが。基本的には各界の著名人、有名人について作られる
饅頭本、追悼文集だが、概して全然面白くない。結局の所、饅頭本は饅頭本なのだ。

  大企業の創業者ともなると、まあ例えば阪急の小林一三、東急の五島慶太、松竹の
白井松次郎の追悼文集、饅頭本がいかなる意味でも有意義でも面白ろかろうはずはな
い。歯の浮くような一方的な賛美、お決まりのヨイショ志向の追悼文を並べたもの、大学
の同期生や政治家などがでてきたら最悪だろう。どんなダメ社長でも立派な経営者、どん
な放蕩ジジイでも理想の夫、乗っ取りも二号の話もできてきそうにない。時として出てくる
こじつけ的な過剰なローカル色、故郷を否定し続けた川島雄三を無理やり下北半島と結
びつけるという、など、芸術と郷土なんか関係はなさそうだが。

 個人的にはかって岡山県の名知事といわれた三木行治氏、その追悼文集、表題が
「私なき献身」生涯独身で日本のガンジーとも称された清貧ぶり、水野肇さんは山陽
新聞での対談記事で「その生涯はまさしく追悼文集の表題『私なき献身』そのものでし
た。・・・・・・ただ惜しまれるのは亡くなられたのが早すぎたことです。私は今まで三木さ
ん以上の方にお目にかかったことがない」

 ところで饅頭本なる名称の名付け親は関東ではなく関西の古書店関係の人物だとも
いう。元来、東京にスキヤキなる名称はなかった、「牛鍋」であった。

 で文壇関係の追悼文集、饅頭本は数限りないが、噂によれば追悼文集の傑作は、
「わたしの吉川英治、ーその書簡と追憶」、「牡丹の花、ー獅子文六追悼録」だともいう
し、著明ともいいがたいが、明治7年、京都生まれの増田龍雨の「龍雨遺稿遠神楽」だ
ともいう。

 昭和24年7月、9月号に掲載された久保田万太郎の小説「市井人」は龍雨がモデルとも
いわれる。

 増田龍雨の最初の句集「龍雨句集」の序文、久保田万太郎によるが。

 「白状すれば、私はしばしば龍雨君を私の作中に使っている」

 俳句の歴史で言えば、明治26年、新聞『日本』紙上で展開した正岡子規の俳諧から俳
句ねの革新の運動を世人は「日本派」、「新派」といった。それに対して正岡子規が「月並
」と攻撃したそれまでの江戸派を「旧派」と呼ぶ。

 江戸、ー東京には芭蕉の門下の其角、嵐雪の2つの系統が延々と続いていた。嵐雪系
を雪中庵という。昭和5年6月、増田龍雨は十二世雪中庵を継いだ。昭和9年12月3日、そ
の龍雨が61歳で逝去、その通夜の席で久保田万太郎は涙ながらに吟じた一句、
 
  すこしづつ 夜のあけて来る寒さかな

 俳諧師、龍雨は万太郎によって俳句の道に導かれたのである。

  戸板康二、追悼録は『戸板康二ちょっといい話』という表題だった。

 矢野誠一「戸板康二の歳月」は誠に貴重な戸板康二研究資料だが、そこにこうある。

 「先日、新橋の某酒場で顔を合わせた山本容朗からこんな話をきいた。

 戸板先生が長い間探し求めていた増田龍雨の『龍雨俳話』を山本が玉また二冊所有
していた。一冊はある古書店から意外な安値で購入でき、その一冊を戸板に送ったら
丁重な礼状と、明治屋の葡萄酒が届けられた」

 これは要は戸板康二の東京人らしいマナーを述べているわけである。

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