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zoom RSS ハンセン病患者への断種を考える、・・・・・光田健輔の行ったこと

<<   作成日時 : 2018/05/30 16:40   >>

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日本の優生思想、その歴史を論じれば際限もない、一つ指摘できることは戦前
から存在していた日本医師会が、強制断種に何の問題もないという見解を早くか
ら出しており、戦時体制に備えての厚生省の設立、国民優生法の成立のかなり前
から」医師主導の強制断種が既成事実化されていたという事実である。実はこれが
戦前も引き継がれて厚生省、日本医師会のまさにコラボの強制断種、医師の任意
の判断で、という暴挙がまかりとおっていた。

 国民優生法の制定は1940年である、断種ははるか以前から行われていた。1915
年からだとされる。当然、法的根拠は皆無である。だが全ては既成事実化された。
ただ存在していたのは1907制定の「癩予防ニ関スル件」により、定住市内で放浪す
るハンセン病患者は全国、五ヶ所の療養所に教師画的に隔離するとされた。で最初
の断種手術は多摩の全生園においてであった。

 法的根拠がなク、遺伝病でもないハンセン病患者への強制断種について当時の
全生園、院長の光田健輔は戦後の回想において、

 「長い年月の間に相寄り、相助ける美しい共同生活、ー進んで夫婦生活ができる
ならば、その生はどんなに慰められるであろう」

 「子供さ産まずにすむならば、共同生活、或いは夫婦生活が断じてできるようにし
てやるべきである」

 と決断したと述べている。

 実際、子供が生まれても遺伝病ではないが、もらい子として引き受けてくれる外部
、一般世間の人は期待できない。また園内に親といつづけたら病気に感染してしまう
、・・・・・もうそうならば子供は決して作らず、夫婦生活だけを慰めとして生きさせてあ
げよう、・・・・である。強制断種というとなにか無茶なニュアンスがあるが、ハンセン病
患者についてはやむを得ない気もするが、・・・・・・。現実的に園内で夫婦が子育ては
親自体の健康問題、赤ちゃんの泣き声、子供への避けがたい観戦、を諸般の事情を
考慮して無理と思ったのである。

 光田は諸般の事情を鑑みてハンセン病患者には断種が好ましいと考えた。その方法
は内務省衛生局技師の氏原佐蔵が翻訳紹介した手術方法が最も適当とした、が法的
根拠がない手術であることに変わりはない。光田は告訴も想定し、牧野英一、花井卓
蔵などの法律専門家に相談し、実施に踏み切った。光田はまた、内務省衛生局局長の
中川望が、「妊娠中絶手術ではない、男性への精液へ精子遮断という簡便なもので、罪
は軽いだろう。事前に患者から承諾書をとっておけ」と助言されたとも述べている。

 光田は患者に十分趣旨を説明し、あくまでそれを承諾したものにのみ手術を行ったと
し、結果は「性欲になんの影響もなく、まったく異常はなかった」、「成年男子に施術が
一般的となった、今日では結婚の申し出はそのまま優生手術(パイプカット手術)の承
諾と同義と考えられている」、「笑い話で失敗していて妊娠させたこともある」

 という戦後の回想。だが多摩全生園の入所者に対して行った調査では光田の回想と
大きくかけ離れていた。1915年から1938年までに全生園の全生病院で行われたパイプ
カット手術を受けたものは346名に及び、希望者だけでなく事実上の強制であったこと。
独身男性患者も対象とされたこと、手術が看護長が代わりに行っていたことも少なくな
かったこと、手術の結果、障害の出たものも多かったこと、などである。

 だが指摘すべきことは、ハンセン病は遺伝病でない、とは認識されていたが「罹患し
やすい体質が遺伝する」と通俗的な衛生雑誌でも述べられていた、「体質遺伝」がまた
断種の理由でもあった。

 丘浅次郎は「病気自体は遺伝子せずとも、その病気にかかりやすい素質が遺伝すれ
なその子孫は多くがその病気に感染する、病気が遺伝したも同様である」とのべて、あ
たかもハンセン病が遺伝病とするのは正当との認識が広まっていた。

  内務省は1900年に行った最初のハンセン病患者調査において、患者数だけでなく
、「血統戸数」、「血統家族人口」まで調べている。だがこのときの「血統」の意味、範囲
は各都道府県で異なり、様々であった。なぜ「血統」を感染症のハンセン病について調
べたかといえば、ハンセン病は「体質遺伝」という認識が定着していたからである。この
調査に参加した内閣統計官の二階堂保則は「癩の伝染には一定の素質を要する。その
素質なき者はたとえ癩菌に接触しても感染しないかもしれぬ。その素質を引き継いでい
ることが即、血統を引いていることであろう」と述べている。

 したがって現実的な些末な不都合だけから断種したのでなく、明確にハンセン病を「
体質遺伝」による広義の遺伝病という認識があったからである。結局、内務省の黙認
、奨励のもとで密室のハンセン病y療養所の病院という密室で断種は行われ続けた。
ハンセン病患者は断種の実験材料ともされたのである。

 光田健輔は1925年3月31日、第25回日本皮膚科学総会で「簡単なる輸精管切除術」
という研究発表を行って、断種手術の方法を具体的に提示した。「ワゼクトミー(断種手
術)を初めて10年になる」と公言した。療養所病院での断種手術は1992年まで続けられ
たのである。

 

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