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zoom RSS 「草森紳一の右手」彷書月刊2009年10月

<<   作成日時 : 2018/05/02 18:35   >>

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もう亡くなったなんともユニークな文化人、評論家と言うべき草森紳一である
が、その経歴をみて一つエッと思うことがある。高校が帯広柏葉高校であること、
個人的なことだがFacebookでたいへん親しかった女性が帯広柏葉高校、彼女か
ら「中島みゆき、吉田美和は高校の先輩です」と聞かされて、いささかど度肝を抜
かれたことがある。されど、さらに上の世代にあの超ユニークな文化人、草森紳一
がいると知っては、まことに端倪すべからざる高校と再認識したわけ、・・・・・なの
であるが。あまり論じられない領域をユニークな視点で論じまくるという感じである
。私自身、草森紳一の存在を知ったのはこの古書的な「彷書月刊」2009年10月号
を読んでからである。その語るテーマはニッチ的なものをいたってエグく論じるとい
う風情である。また古書収集家、蔵書家でも知られている。本は重いからあまり過
剰な過大な蔵書は家が傾く要因にもなりかねない。

 その自筆の原稿、また出来上がったものへの校正の写真が掲載されている。そ
の例で「家風の永代蔵」初出は「ユリイカ」(1997年3月号~99年1月号)


 ・・・・「私は平生草稿をつくるに必ず石州製の生紙をえらんで用いている。西洋紙
にあらざる私の草稿は、反故となせば家の塵を掃うはたきを作るによろしく、揉み柔
げて厠に持ちて行けば浅草紙にまさること数等である」

 永井荷風は、随筆「十日の菊」(大正十二年)の中でこう書いている。草稿など反故
と決意すれば、細く切って裂いてはたきにしてしまえばよいと、うそぶいている。

 毛筆でかく原稿用紙は文房四宝に凝る家風らしく「石州製の生紙」を用いている。
上等の和紙だから、高級なはたきに化ける。どうだ、結構な廃物利用にもなるだろ
うと自慢しているがが、やはりそれもケチの精神と云うより、一種の贅沢である。

 もとより荷風は文飾の徒である。すべてを信じつつ、すべて信じないという、すれ
っからしの姿勢で読まないと一杯食わされる。・・・・・・

   
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  また漫画も論じる、ペイネについて

 ・・・・・ペイネは利巧なマンガ家である。

  ペイネは偽瞞のマンガ家である。

  日本人特有の早呑込みの恩恵を受けてペイネは、日本でただ一人の有名な
外国のマンガ家となった。したインベルグの有名さは知識人の範囲内似すぎず、ある
製菓会社の宣伝に一役買ったペイネには、とうていおよぶはずもない。

 といってペイネの利巧sさ、偽瞞というものは日本の精神風土ー、きわめて風通しの
いいジャングル地帯ーにたまたま潜入したために起こった特殊状況なのかもしれない


というわけだが、草森が異常なまでの蔵書癖があり、その仕事も「資料モノ」と称
される、その本の内容の紹介に私見を述べるというものである。その死後の蔵書の
行き場は地元帯広の教育機関だが、まだ膨大すぎてその整理が進行中という現実
がある。それに専念の閑人ばかりではないから、最終的に蔵書がどうおちつくやら。

 1992年 『NOMA−PS』485号

    読みさしの舶来の本の

    手ざはりあらき紙の上に

    あやまちて雫したる葡萄酒の

    なかなかに浸みてゆかぬかなしみ


 啄木の詩だが、かって「本」に対して抱いた戦慄するような感性のときめきが
今の私にはまったく失われている。

 蔵書の始末をつけようと思ってから、三年になる私は本を売ったり、捨てたりした
ことはない。つまり増えるばかりだ。東京にはそのような気がきいた空間などない。
北海道の実家の庭の片隅に書庫を作らせてもらうことにした。十五年くらい前のこと
である。

 蔵書の始末という問題が、哀しいかな、書庫を立てた時からかえって、わが念頭に
しばしば去来するようになった。今はいいが、いずれ両親がこの世を去る時には、土
地財産税金がかかってくる。その面倒を避けるためにも、書庫を撤去せばならぬと
思うようになったのである。

 自分の蔵書が、何冊あるのか、これまで数えたことはない。友人などは、わが書庫
を見て、まあ三万冊はあるともいう。東京にも、ほぼそれに近い蔵書があるから、六
万か、まさかおそらくそんなにはない。一年に五百冊増えるとして十年で五千冊この
ペースになってから、かりに三十年で一万五千冊、まあ、二万そこそこだろう。個人の
蔵書はたかがしれている。

 想像していたより少し早く、母と父が順に死んだ。父の葬儀が終わると、書庫の本
だけは始末しようと、、自分でもびっくりするほどスパット決心できた。

 とりあえず、使う必要に迫られていない本だけが北海道の書庫に送り込まれていた
ので、あきらめがつけやすかったのである。いつ再び使う時が来るかもしれぬという
未練をきりやすかった。

 人間何事につけ、決心するまでは大変だが、しかし決心してからも、実はたいへん
なのである。一体どう始末をつけるのかという問題である。

 私はすでに述べたように本は売らない主義である。二束三文で買い叩かれるのが
いやなのである。では東京に贈り戻せば、よいか。それを収める空間を作り出すこと
は絶望的に難しい。欲しい人に差し上げるとか、ノーだめだ。自分が欲しい本しか、人
はもらいたくない。

 よし、それなら、公の図書館に寄付するというのはどうあろうか。ここにも多くの困難
が立ちはだかっている。

 受け入れるだけの書庫がない。私の蔵書は一般所から洋書まで多岐に渡っている。
大学の図書館は、どうか。だめだ、ほとんどの本が重複している。貴重本しか受け入
れない。

 先日、古本屋に行って書棚を覗いたら、店のオヤジと大学教授らしき男が会話して
いる声が耳に入った。

 ある教授は、一億円の金を出して、自分の蔵書をようやくある大学に寄贈させても
らったという。大学はそれを受け入れるために、新しい収納の施設を作ったのだが、
そのためにはその資金を要求してきたという。小さな公共図書館では、寄付した本で
も、時が来れば街の古本屋に流してしまう。

 本は不幸の時代を迎えている。ただほど高いものはない。大袈裟ながら私は「人生
の一大事」につきあたっている。いつまでも書庫をそのままにしておくわけにはいかな
い。そろそろ時間切れである。ひたすら途方にくれている。

 啄木の誌を読みながら、十代のころを懐かしむ。寝転がり、みかんを食べながら本を
読んでいると、ミカンの汁が開いた頁にピッと飛び散り、黄色い玉の粒を浮かべた。そ
んな日のことが思い出される。少年の私にとって本は黄金であり、いつもエメラルドの
宝石のように輝いていた。

  



    
 

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