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zoom RSS ホームより在宅という選択の意味

<<   作成日時 : 2018/05/21 10:00   >>

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介護付き老人ホームをどう見るかである。まず基本的な大問題は何歳までという
寿命の期限がないケースが大半だから、その毎月の高額な介護料をどう負担できる
かである。本人に億以上の預金があるならそれはまず問題ない、だがそのようなケー
スは多くない、私の身内にはいるが。その身内はその上、女性だけど長年、被服工場
に勤務していて厚生年金もある。13万以上あるというからかなりの部分これでいける。
平均的には基本料金は15万円程度、さらに数々の追加料金が発生し、実際はまず20
万円はかかる。さらにはるかに高額なホームも多い。

 では同負担、子供だって若くもない、自分の老後資金の準備、また子供が遅かった
場合はまだ教育費がかかるケースも珍しくない。兄弟の数が数人いて平等に負担な
ら数万位以下の一人あたりの負担だろうが、兄弟の数など多くはないものだし、まして
負担となると拒否するものもいるだろう。

 だが現実、多くの人がホームに入所している。費用負担はどうなっているかは様々
だろう、本人の預金だが二千万程度では心もとないし無理だろう。女性は年金が基礎
年金だけという人が多く、アテにならない。毎月の料金は15万と思いこんでいたら、
実際は数々の追加料金が発生し、払えず追い出されるケースも見られる。

 ここで私はホームより在宅、もちろん住居が確保されていればだが、独居でも在宅
を選択すべきと考える。ホームに入って完全に精神が腑抜けになるケースはよく見ら
れる。病気で寝たきりとは云うが、寝たきりになって生きる意味はどこにもない。可能な
限り、独居でも在宅を選択肢、一人でやりくする努力が必要である。何から何まで依存
では、これはある意味自殺である。先日、高齢者の合唱団をテレビで紹介していたが
その中で99歳が二人、いずれもひとり暮らしで在宅である。トイレにもいかれない、お
むつになってまで生きる必要もない。

 だがこの数日、私の母だが、すかkりアルツハイマーと云うべきかボケ痴呆、私は
認知症という病名が生活実感とかけ離れた空疎なものとしか思えない。しょせん、
精神疾患に何ら特有の病理像は存在しない、仮説みたいなものだから生活実感に
乏しいものは排除すべきと思える。

 ボケ症状では被害妄想が膨らむとはい云うが、私がローンをくんで建てたコーポが
「知らぬ間に母からわたしの変わった、東建が母はうるさいので勝手に渡しに名義を
変えた」という荒唐無稽をタクシーで警察署に行って訴えたのである、以前から妄想
的な思い込みでよく警察に電話して迷惑がられていた。ちょっとお金を置いて帰った
らすぐタクシー代に使って、警察まで!

 まったくのアルツハイマーだがもともとの異常性格が基本的にある。それに加えて、
であろう。だが、そうだからこそホームの集団生活は不可能である。ひとり暮らしで話
相手がないなら私達より長男夫婦と話せばいいのだ。1月は3万円も通話料を使って
いるくらいだ。話があうのである。

 暴論かもしれないが、「ホームに入って他人の世話になって生きよう」と持った瞬間
、人生は終わりである。何から何まで、も難しいにせよ、とことん自立の気概がなけれ
ば生きる意味などはなからない。

 

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