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zoom RSS 月亭可朝さんを偲ぶ、忘れられない「融紅鶯(とおるこうらん)」とのデュエット

<<   作成日時 : 2018/04/09 21:50   >>

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月亭可朝さんが広く売り出されたのは1970年、大阪万博の直前くらいだった。それまで
別に知られた存在ではなかった、もちろん知る人ぞ知るだった。三代目林家染丸師匠に
入門すれども素行はいいとはいえず、女性問題で破門された。それを桂米朝に拾われた
かたちで落語会に残った、・・・・だが落語それ自体で大きく台頭するタイプでもなく、本領
は後年遺憾なく発揮された天才漫談家の語り口、ウィットの絶妙さであった。

  大阪の城東工業高校卒。

 大阪万博の開始前、吉本は「吉本三人男」として月亭可朝、笑福亭仁鶴、桂三枝を売り
だした。これは実に組織的であり、ここから全国的に、関西中心であったにせよ、一気に三
人の知名度は上昇した。皆、レコーディングを行ったが目覚ましかったのは、歌らしさでいえ
ば仁鶴さん、「おばちゃんのブルース」などペーソスあふれる歌をだみ声で歌いまくって大い
に売れた?かもしれない。また個性的という点で、音楽性には欠けるにせよ、月亭可朝の
例のボインの歌とか、・・・・「でてきた男」、また傑作な点でいえば女性画家の人生相談家
でもあった融紅鶯さんとのデュエット「あんさん、別れなはれ」にとどめを刺す、・・・・といいた
いが、どうも月亭可朝さんの素行、私生活には問題があった。ギャンブル好きで競輪だった
か、大勝して「せっかくなら有意義に使おうとそのかねで仏壇を購入したらそのロウソクが倒
れて自宅が全焼、福岡のホテルでスポーツ新聞を読んでいてフト思いついた参院選挙出馬
、政見放送では例のカンカン帽をかぶって登場「可朝は食いついたら放しまへんで」とはい
っても無残に落選、当然にしても。その後、11PMに出演していたがその中でコント、漫談を
行うたびにそのあと司会の藤本義一さんが「何を考えて参議院にでたんや」と毎回言ってい
たものだった。

 ギャンブル好きで賭博で逮捕されたり、女性問題でストーカーで逮捕されたりで、・・・・・・
だがその漫談家としてみての語り口は追随を許さないものがあった。落語は下手ではないが
、どこか集中力に欠ける印象があった。落語は登場人物で語り口を変える必要があるが、何
か漫談口調になってしまう。

 弟子として月亭八方、そこから孫弟子も生まれたが、・・・・歌う漫談、落語家、あまり落語は
やらなかったがギター抱えての漫談はその魅力は素晴らしかった、でも常に知りが落ち着か
ない。

  西宮市にずっと住み続けた、全焼した家も西宮市だった。まだ80歳家、・・・・・でも限界だ
たのは事実、家族もなく孤独で酒に浸るという男一人の生活の不健康さがやはり最後はたた
った感じがする。

 でもこれほどの個性的な芸人ももうでないかもしれない

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