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zoom RSS 夢二式(竹久夢二)の誕生について

<<   作成日時 : 2018/04/29 10:06   >>

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夢二の美術館は全国各地にある。東京都文京区のものが最大で代表とされるが、岡山
にも夢二の出身地だけに岡山市と別館が生まれ故郷にある、大正から昭和にかけては
高畠華宵、加藤まさを、小林かいち、まら戦後も活躍の中原淳一などの少女画像の抒情
の極地ともいえる作家があいついだ。その中で竹久夢二はファッションアイコンとしても意
味あいも重要である。ともあれ夢二の抒情画は一世を風靡し、深く後世に多大の影響を
与えた。

 さて、夢二式の抒情画がいかに誕生し、社会に流行とも言える影響を与えたかといえば、
その時代が望む抒情的欲求を見抜いていち早く視覚化、画像化したのが夢二であった。

 いかにもという感じの夢二の描く抒情的な女性画、女性像が社会の流行として語られ始
めたのは明治43年から数年の時期である。1909年以降となる。夢二が様々な雑誌の表紙
、口絵などを描き、提供して圧倒的な人気を博して時代の寵児となったのとほぼ同時に「
夢二式」という言葉が生まれ、また「夢二式」というカテゴリニーに入る女子柄ファッション
が世間の巷にあふれていった。

 投稿画家であった夢二の才能に早くから注目していた洋画家の中沢弘光は明治44年、
1910年に雑誌「女子文壇」(7巻12号)で特集された竹久夢二論に「夢二の絵と現代の婦
人」と題する文を寄稿している。これは夢二の絵とその時代のファッションの関係を論じ
た最初の論考でもある。

 中沢はそこで

 「この頃の若い婦人の中には、髪の形、リボンの附け方、簪の指し具合、衣服の着こな
しかたなど、全て夢二式で、画中の女性に似せようと苦心されている方がいるようです。
つまり夢二さんは、平生から絶えず、現代の婦人に注意を払って、それをまた上手く、自分
の頭脳で詩的に描かれているようです」

 と述べて、現代婦人に与えた「夢二式」の影響を、髪型やリボン、簪といった装飾小物
の扱い方、着物の着こなし方を分析している。のちの帝展審査員の中沢はまた「学習院
の女生徒が夢二画集に大騒ぎしている様子を見て、当時の院長であった乃木希典が
苦り切っていて、図画教師の岡野栄に注意を与えた」ともいう。

 夢二自身が(夢二式)について述べた文章がある。

 「ワイルドの言葉に「芸術は自然の模倣である」とあるが、芸術が時代の反映であるとす
れば、時代の芸術に影響された風俗もあるわけである。夢二式の絵が現れてから、夢二
式の眼が流行したとよく人は言うし、賀川豊彦氏のある著書にもそのことが書いてあった
と思うが、この有機的な関係は私にはわからない。」

 「時代に遅れるとか先んじるなんてありませんよ。みんなその時代のあるべくしてある、
必然であるわけですから。ただ多数の・嫌味な言葉ですが、いわゆる民衆に理解されない
だけです。たとえば夢二の描く絵にしても、今から15年も前に目が大きいとか、手足が大き
すぎると言われたものです。今ではそんな女性が街を歩いているじゃないですか。」

 夢二は自らの抒情画が生み出した、目が大きく手足の長い夢二式の女性たちを関東大
震災の後、急速に都市化が進んだ街にみたのかもしれない。今から15年前は不自然であ
っったおいう夢二式の女性が実際に闊歩するようになった。それに呼応するように、大正
末期から昭和初期に夢二の文章には、当時の風俗に言及したものが見られる。

 

 

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