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zoom RSS 帝国文庫(博文館)への発禁処分

<<   作成日時 : 2018/04/21 22:04   >>

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まず博文館とは、その出版した帝国文庫とは何かを端的に述べれば

 博文館:博文館(はくぶんかん)とは、東京都の出版社。明治時代には富国強兵の時代風潮に乗り、数々の国粋主義的な雑誌を創刊すると共に、取次会社・印刷所・広告会社・洋紙会社などの関連企業を次々と創業し、日本最大の出版社として隆盛を誇った。2016年現在、博文館グループの株式会社博文館新社(はくぶんかんしんしゃ)および株式会社博友社(はくゆうしゃ)として存続している。戦前においては圧倒的な存在感。

 帝国文庫:1893年―1897年博文館発行の文学叢書(そうしょ)。毎月2冊発行し全50冊。軍書,稗史(はいし),人情本,黄表紙,洒落(しゃれ)本などを網羅(もうら)。《真書太閤記》は特によく売れた。博文館はさらに続帝国文庫50冊を刊行。文庫と言って今の文庫ではなく重厚な書籍。

 その博文館の帝国文庫、が発禁処分を受けたという歴史的事実である。
なんにしても言論出版の自由に欠けていた時代である。

 博文館が1893年3月から刊行を始めた『帝国文庫』とは、江戸時代の歴史、
小説、歌舞伎、浄瑠璃、随筆、紀行文などを収録した全五十巻であり、後に
続編五十巻が出版され、計百巻となった。当時としてはまず類例のない大規
模な出版であり、その後の書籍の大量廉価販売の先駆けともなった。この種
の叢書類の出版の経験は積んでいたが、文庫本のような安っぽいものではな
く、四六版、革背、クロース、本文総ルビ、各冊千ページ前後、それで一冊が
50銭はなかなか画期的なものであった。

 いたって好評のうち、多くの人たちに歓迎され、刊行を重ねていた帝国文庫
ではあったが、出版開始の翌年1894年に早くも災厄が降りかかった。その年の
5月、6月に刊行した『西鶴全集』上下巻が風俗紊乱を理由に発禁処分、発売
、頒布が禁止されたのである。

 この『西鶴全集』は尾崎紅葉、大橋乙羽による校訂で「好色一代男」、「好色
一代女」、「日本永代蔵」などの西鶴の主要な作品がほとんど網羅されていた。

 そのうえで、収録作品の底本提供者を「〜氏所蔵」という具合に、本分冒頭に
記し、あらかじめ風紀上問題になりそうな部分は○○というふうに伏字としておく
用心深さはあった。それにもかかわらず発禁処分を受けてしまった。この発禁
事件は新聞紙上でも取り上げられて、『読売新聞』は翌日「西鶴死す」という見
出しで報じた。さらにその後、政府の処分を批判する「西鶴全集の発売禁止」を
G・R生の名義で掲載した。

 此の発禁処分について博文館はただちに「発売禁止に着き謹告す」というい
う広告を新聞に掲載し、その中において同書の発行は好評を博し、初版を売り
尽くして再版に映ろうとした矢先の出来事であると述べ、「然れども西鶴の遺著
尽く風俗を害するものにあらず、あに一部の貯めに其の全部を埋没するに忍
びんや、故に他日其・・・・・・」と将来の再出版を約束している。これは1903年の
8月の『校訂西鶴全集』の上巻刊行で実現したが、これまた発禁処分を受けて
いる。

 『西鶴全集』は博文館のとって最初の筆禍であった。発売禁止の時点で初版
は売りつくしていたから、実質的にほしい読者には何とか行渡っていたと思わ
れる。平田禿木から西鶴全集二巻を借用して熱心に読みふけった樋口一葉
は「之があると本当に心強い」と述べている。

 『西鶴の書誌学的研究』の滝田貞治はこの『西鶴全集』を評して、「小説の
ほとんど大部分を結集したのはまさに西鶴復刻史上の画期的事業であった。
それが発禁の災厄にあったので、ますます紙価を高からしめた」と書いている


 続いて「帝国文庫」の発禁は「西鶴全集」にとどまらず、その五年後の1899年
10月「続帝国文庫」の第16巻『脚本傑作集』上巻も発売禁止となっている。この
巻には鶴屋南北『お染久松色読販』や並木五瓶の「五大力恋緘」も含まれてい
た。全て脚本である。さらに発行から20年近くたった1911年7月には第十巻の
「梅暦・春告鳥」が風俗紊乱のかどで発禁となっている。

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