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zoom RSS 日本ペンクラブ初代会長、島崎藤村の消せぬ汚点と南米行き

<<   作成日時 : 2018/04/19 22:34   >>

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確かに島崎藤村が日本文学史上の、まさしく文豪であることは確かにして
も自分の姪(兄の娘)と関係を持ち、子供まで生ませて一旦は渡仏し、帰国後も
性懲りもなく関係が再燃という醜態を演じ、その関係を清算のため「新生」なる
私小説を書いて、実際、顰蹙を買ったのも事実である。陸軍に依頼されての「
戦陣訓」作成に関与、一般市民は何も死ぬ必要はない,投降だってすればいい
わけだが、たかが陸軍の通達でしかない戦陣訓の悪影響で命を落とす羽目に
なった非戦闘員はあまりに多い。なんとも功罪半ばの島崎藤村である。その作
品にどれだけの価値があるにせよ、罪のほうが大きいと言いたくもなるだろう。

 さて、島崎藤村は1937年だったか?日本ペンクラブの初代の会長に就任して
いる。他方、姪の島崎こま子は苦難の日々、ちょっとウィキから引用させていた
だくと、

 こま子は解放運動犠牲者救援会(現在の日本国民救援会)を通じて救援活動に奔走した。1929年には夫が尊敬していた山本宣治が右翼に暗殺されたため、こま子は宣治の葬儀に参列している。夫が出獄後、1933年に娘の紅子(こうこ)をもうけるが、離婚することとなった。

上京して運動を続けるが、警察に追われ、また赤貧のため子どもを抱えたまま肋膜炎を患い、東京都板橋区の養育院に1937年3月3日に収容された。このことは、同月6日、7日付東京日日新聞記事で島崎藤村の「新生」のモデルの20年後として報じられた。また林芙美子も、同月7日『婦人公論』記者としてインタビューをしている。林は皮肉を込めて「センエツながら、日本ペン倶楽部の会長さん(注:島崎藤村)は、『償ひ』をして、どうぞこま子さんを幸福にしてあげて下さい」という趣旨の記事を書いた。この記事を受けてのことか分からないが、藤村は、当時の妻静子に50円を持たせて病院を訪問させている(当時、銭湯の料金が6銭。郵便料金は葉書2銭、封書4銭。米60kg(1俵)が約13円である)。静子はこま子に会うことなく、守衛室に金を預けて帰った。藤村は息子に「今頃になって、古疵に触られるのも嫌なものだが、よほど俺に困ってもらわなくちゃならないものかねえ」とぼやいた


  その日本ペンクラブ会長の島崎藤村が1936年、神戸から南米のリオ
デジャネイロに旅立った。

 正確には1936年7月16日、南米行きの大阪商船の「りおでじゃねいろ丸」に乗船
して神戸から出航した。

 その船には蒼茫じゃないが、ブラジル移住のための日本人800人余りも乗船
していた。だが島崎藤村の目的地はアルゼンチン、日本ペンクラブ初代会長と
してであり、ブエノスアイレスで開催される第14回国際ペンクラブ大会への日本
としての出席のためであった。

  この時点で藤村は64歳、今の感覚では64歳なんか若いが(個人差はあるが)
当時としては完全な老境であった。だがら乗船の前、大阪北浜の宿から芭蕉の
終焉の地・久太郎町を訪れ、「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句碑に花を
手向けている。以前の渡仏ではまだ40代前半であり、それが今度は赤道を越え
ての、南アのケープタウン周りの50日以上の船旅なのだ。

 そもそも日本ペンクラブの創設は、その前年、1935年11月であった。外務省とそ
の外郭団体の国際文化振興会の依頼だった。

 その発会式で藤村はこうスピーチした。

 「実に長い間、私達は全く孤立の状態に置かれていました。・・・・・明治以来、この
国には幾多の文学上の天才を出しましたが、・・・・・いずれも早く惜しい生涯を終え
たというのも、ひとつはこの全くの孤立からだと近頃私はそのことに思い当たります


 されど孤立は文学者だけではなかった。国際連盟からの脱退、ロンドン軍縮条約
からの脱退と日本は国際社会からの孤立を深めた。藤村が南米に向かった1936
年には二・二六事件、11月には日独防共協定、このような惨憺たる状況の中で、
世界の40カ国が参加の国際ペン会議への出席が良い雰囲気で行われる道理もな
かった。

 実は藤村には此の会議で提案すべき議題があった。それは「建国2600年」の194
0年、に東京で開催される予定の東京五輪と連動して国際ペン会議を東京で開催
できないかというものであった。

 「一方的に国際連盟を脱退し、他方、文化面で他の諸国と協力しようとは、それ
自体が困難」(東京朝日、昭和12年5月)

 という藤村の慨嘆であった。だが意外にも国際ペン会議の東京開催は認められ
、1940年は東京五輪ともども東京での開催、・・・・・・のはずであったが日中戦争の
激化の一途ですべては、夢まぼろしと消え去ってしまった。

 

  

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