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zoom RSS 自民改憲草案「人として尊重される」は意味をなさない

<<   作成日時 : 2018/03/27 17:23   >>

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  改憲と騒ぐ勢力、日本会議や自民党だが、ではなぜ改憲、改憲というのか、
真の目的は何か?一般論としての「憲法改正」では説明がつかない、時代の趨勢
に合わせるために、しかし「憲法の条文」に書くということに意味のない事項、すで
に特別法で整備されている災害時の緊急事態の諸法律が存在して、なぜ憲法に
緊急事態条項を加えたいのか?本音こそが問われるべきである。「教育無償化」
もなみ憲法に規定する必要のない事項で、本当にやるなら法律整備で済む話であ
る。憲法は統治機構の基本原則、また国民の権利義務の理念を示すべきものであ
る。何かの目的のために「改憲」を利用したい、だけであろう。その何か?である。

 それはまず国民の権利義務についての自民党憲法改正草案をみれば一目瞭然
である。権利の補償については、あきれるほそ、微細な部分まで権利を認めたくない
、抑制したい、という邪心に満ちて姑息なまでの表現の改悪が見られる。

 ここで「全て国民は、個人として尊重される」が「全て国民は、人として尊重される」

 という条文が重要である。

 「個人として尊重される」という意味は明瞭である。

 その所属する国家機構の一員、であるなど団体の構成要素としての歯車として
人を捉えるのでなく、一人の独立した存在しての一人の人間として尊重されるという
ことである。国家、団体に従属する存在でなく、一人の人間として尊重されるというこ
と、日本が国家神道のファシズムに暴走しても、その共同体規制に一人の人間が、
決して従属すべき存在ではない、思想信条の自由をも含んでいる
 だが「個人として尊重される」という全体主義に真っ向反対の表現がどうしても保守
派、右翼は気に入らない。個人から「個」を取り去りたいのである。それが改憲草案で
もある。

  一人の人間が「全体の構成要素」としてでなく、あくまで徹頭徹尾「一人の独立した
人間」として尊重される、そこには個人の個人としての良心、思想の自由という概念も
含まれるはずである。

 当然、日本の保守派、右翼改憲勢力にすればこの条文は気に入らない、根本的に
全体主義に真逆である。全体に、国家に従属する従順な人間像こそが期待されるの
である。なんとしても「個人」から「個」を取り去りたい、・・・・・


 その結果が「すべて国民は、人として尊重される」という「個」抜きの奇妙な条文が
出来た理由である。

 では「人として尊重される」はいかなる意味を持ちえるのか、憲法の条文として、権
利保証の理念として、である。

 いうまでもなく自民党保守派(今は自民と全体がそれに染まっているが)、その背後
の日本会議のコア思想が「伝統」の美名に隠れた民主主義の否定、明治以降の強
権全体主義国家への回帰である以上は、一人としての人間がどこまでも一人として
の人間ではいけないことはその最も根底にある思想が全体主義国家である以上、こ
れ以上の本音はないはずである。

 改憲論議であまりでてこない国民、というより日本の居住する人の人権保障のあり
方についての論議は、現実あまり反対派からも出てこない。しかし、人権保障、言論
、表現の自由などの保証、近代民主主義思想の根幹であるが、これを否定したいの
が、また日本会議などの右翼的保守派であることは言うまでもない。

 そこで自民党改憲草案は隅々まで姑息な人権抑圧の小細工が行き届いているに
にせよ、その根底の条文は「個人として尊重」という条文の否定である。

 「個」をとっただけではないか、と強弁するかもしれないが、全体の構成要素として
の人間に導きたい保守派は「個」の否定にやっきである。

 「人として尊重される」にどういう意味が見いだせるのか

 ことは憲法の人権保障の理念である。「個」を削除ではまるで意味が変わってしまう
、というより意味を見いだせない。

 「人間」としてというのが、猿でも豚でもない、という意味にも取れるがそうではない
というだろう。だが「個人」から個を取った「人間」としてへの自然な意味、意義の移行
がそこには認められない。「個人」を「人間」に変えた邪悪な魂胆だけが露呈している


 「人間として」が豚でも猿でも犬でもない、というなら当たり前で憲法の人権保障の
理念としては唾棄すべきである。

 条文の移行、変更のように見えて全くの荒唐無稽な条文の変更、移行である。あま
りにも不純は魂胆だけが見え透いている。「個人として尊重される」こそは近代憲法の
民主主義理念の最も中枢の表現である。その表現を、なにか維持したようで、実は
全く意味をなさない「言い換え」で「個人として尊重」のz全体主義否定を否定している
許されない邪悪な魂胆であると言わざるを得ない。

 好意的にこじつけ的に解釈するなら、「人間」は本来自由で思想も自由な存在であ
るべきだから、「人間として尊重」は民主主義理念の表現、・・・・・・だといえるであろ
うか、・・・・・言える道理はない。あまりにも無内容で稀薄な表現である、わざわざ「個」
を取り除いたという邪心のみが強く表現されている。

 民主主義の理念の根底が全体主義の否定であること、究極の価値が全体の中の
構成単位としてでなく、一個の独立した人間自体にある、・・・・・であるから、とうてい
許される変更ではないはずである。この手の悪質な人権の抑圧の思想が自民党改憲
草案には露骨である。


 自民改憲草案が下野時代、日本会議の右翼論客などを中心にまとめたものでもある。
何お国民的議論も合意もそこにはない。

 もっと議論され、批判されるべき条文の改悪である。

 

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