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zoom RSS 高齢期は自分の人生との対決、されど絶体絶命

<<   作成日時 : 2018/03/22 22:30   >>

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 高齢期クライシスとはよくいう、経済的な生活基盤を失う崩壊の危機が高齢期に
は迫る。それは多くの書籍、雑誌、テレビなどで報じられ、論じられているとおりで
甘くはない。・・・・・・甘くはないが、もう一つ、内なる危機が、この危機こそが真に
深刻なものなのだが、残りの人生の期間、単に時間でなく、活動的に思惟し、行動
するに足りる時間は一層短く制約は著しく決定的である、また高齢期の孤独である


 更級日記の作者の最終章に近い部分の切々と語られる老年の孤独、皆に住み
別れ、その寂寥に毎日泣きながら暮らしている、たまに訪れた子供に

  月も出でで闇にくれたる姨捨に何とて今宵訪ね来つらむ

 この姨捨と更科、で更級日記と呼び習わされたのせよ、全く高齢期、老年期の
寂寥、孤独は癒しがたい、老年者に好き好んで近づく若者はあまりいるはずもない


  をいどもなど、ひと所にて、あさゆふ見 るに、かうあはれにかなしきことと のちは、所々になりなどして、たれも 見ゆることかたうあるに、いとくらい 夜、六らうにあたるをいのきたる に、めづらしうおぼえて、  月もいででやみにくれたるをばすてに  なにとてこよひたづねきつらむ とぞいはれにける。

ねむごろにか たらふ人の、かうてのち、をとづれぬに、  いまは世にあらじ物とや思らむ  あはれなくなく猶こそはふれ 十月許、月のいみじうあかきを、 なくなくながめて、  ひまもなき涙にくもる心にも  あかしと見ゆる月のかげかな 年月はすぎかはりゆけど、ゆめの やうなりしほどを思いづれば、心ちも まどひ、めもかきくらすやうなれば、 そのほどの事は、まださだかにも おぼえず。

人々はみなほかに すみあかれて、ふるさとにひとり、 いみじう心ぼそくかなしくて、 ながめあかしわびて、ひさしう をとづれぬ人に、  しげりゆくよもぎがつゆにそぼちつゝ  人にとはれぬねをのみぞなく あまなる人也。

 世のつねのやどのよもぎを思やれ  そむきはてたるにはのくさむら


 また今までの生きてきた人生、自分の生きた人生の意味をいやでも問わねばな
らない、それがいかに順風万帆にせよ、不遇災難を極めた人生にせよ、人生とい
う本質にはさして変わりはないというべきである。

 過ぎ去った時間は長く、残りの時間は短い、老化による劣化を思えば絶望的であ
る。若い時代のような将来幻想も持てない。円錐形の人生は可能性をますます減じ
ていき、円錐形の頂点である死の寸前は「死ぬ可能性」を残すのみである。

  「年月は過ぎ変わりゆけど夢のようなりしほどを思いいづれば、心地もまどい、
目もかきくらすようなれば、まださだかにも覚えず」

 過ぎ去った人生に満足できる人はまず少ない、人生は苦渋であり、その限りある
時間ではかないこの悲観論に与しない非精神的な人間にこれもまた無内容な高齢
期を生きるしかない。それほど人間に与えられた運命は苛酷なのである。

 刻々と過ぎてゆく時間、残り少ない劣化する時間、・・・・・もし伴侶を先に男が失え
ば、往々にして悲惨なケースが見られる。

 前も後ろも絶体絶命、過ぎた人生を振り返っても苦々しい悔恨、残る老年期は、お
よそしらけた絶望に支配されている、・・・・・

 もちろん人それぞれでもあり、最後まで生き生きと生涯青春、一生勉強で貫く人も
いる、もちろん、そうありたい、それでなければならない、ならないが現実は厳しい、
まず経済的、孤独、健康面、精神面での危機から逃れるのは難しい。

 将来幻想に支えられた若年期、壮年期とは根本的に異なる、有無を言わさず自己
の人生と対決、対峙しなければ一瞬たりとも時間を過ごせない、高齢期、・・・・・といえ
な何ら言い過ぎではない。漫然と高齢期、を生きることの愚である。

 生きるだけなら条件が整えば生きられる、だが生きることの意味を見失えば生きる
事はできない、若い頃は惰性のようでも可能性という生きる意味があった。生きるこ
とが周囲の迷惑になるだけで、孤独に陥って老醜では、・・・・死んだほうがましとなる
のも当然だろう。

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高齢期は自分の人生との対決、されど絶体絶命 つぶやき館/BIGLOBEウェブリブログ
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