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zoom RSS 「日曜日の散歩者」(台湾映画)、近代ファシズムに芸術至上主義での抵抗

<<   作成日時 : 2018/03/19 18:32   >>

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戦前、1930年代、日本帝国統治下の台湾、日本の有無を言わせぬファシズム
化の進展は台湾民衆にも暗い影を落とし始めていた。その詩人団体「風車詩社」
、台湾の古都、台南に集った台南の詩人たち、モダニズムをコンセプトとし、日本
語での詩を作った。そのドキュメンタリー風、叙事詩風な映画『日曜日の散歩者、
忘れられた台湾詩人たち』である。ホアン監督、・・・・・よく日本の保守派、右翼
から戦前の台湾当地は大成功だった、台湾人は日本の統治を懐かしんでいる?
絶対にそんな単純なものではあり得ない、戦前の日本近代ファシズムの圧政は
台湾は植民地故にいっそう苛烈であった。

 さて、『日曜日の散歩者、わすれられた台湾詩人たち』の概略

 1933年日本統治下の台湾に登場したモダニズム詩人団体にスポットを当てたドキュメンタリーで、台湾のアカデミー賞に相当する金馬奨で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。日本による植民地支配が40年近く経過した1930年代の台湾で誕生したモダニズム詩人団体「風車詩社」。植民地支配下で日本語教育を受け、日本留学の経験を持つ彼らエリートは、日本語による詩を創作し、新しい台湾文学の創造を試みた。日本近代詩の先駆者で、世界的評価を得ているモダニストの西脇順三郎や瀧口修造といった日本文学者たちから刺激を受け、ジャン・コクトーなどの西洋モダニズム文学に触れ、情熱を育んでいった若きシュルレアリストたちが、二二八事件、白色テロといった時代のうねりに巻き込まれていく。1年半で活動を終え、歴史に埋もれた「風車詩社」の文学を通し、当時の台湾と日本の関係や、政治弾圧という社会的な側面が浮かび上がらせていく。

 この『日曜日の散歩者』は非常に明晰な表現で、さらにシュールレアリズム(超
現実主義)の手法で描かれたなかなか画期的な映画と思える。物語を追うのでは
なく、資料をを丹念に追って、ついに彼らにはその時代的制約でなし得なかった
ことを、現代的意義で受け継いでの詩的手法、シューリレアリズムと呼んで何の
言い過ぎはない映画となっている。

 現実、戦前の大日本帝国統治下では厳しい圧政、差別また治安維持法などに
より、結局、同人誌は三号まで出して挫折してしまう。

 この映画は多くの意味を含むが、現代の日本の右翼、保守派が戦前の近代ファ
シズムに回帰し、再び圧政に日本を再現し、今度こそアメリカと組むことによって
勝利を得たい、という目的によっていることは明らかで、多くの示唆をこの映画は
我々日本人にも与えるはずである。

 戦前、プロレタリア文学は徹底的な弾圧にあった。虐殺、投獄、転向が相次ぐと
いう状況、もはや選択肢を奪われた中で台湾の台南の詩人たちは日本語でのモ
ダニズムを追い続け、シュールな芸術至上主義による抵抗を試みたのである。

 あの戦前の特高、警察の圧政下では、もはや政治的表現での抵抗は不可能で
あり、特攻安堵に理解不能な表現によっての芸術至上主義が逃避に見えて文学
が生き残る道ではあった、・・・・・ということを特段の説明鼻にも加えず映像と資料
だけでこの映画は表現する。

 戦前、日本のモダニズムは西欧から多くの思想を取り入れていた。戦争が激化
しない時期ではまだまだそれなりに豊かさと安定感はあった、これは永遠に続くと
さえ思われた。とはいえ、現実の日本は小林多喜二の描くような搾取社会、差別
社会でしかなかった。

 『日曜日の散歩者』では多くの絵画が登場する、古賀春江の『海』、これはモダニ
ズムの代表作、

  
  
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 これが描かれたのは1929年思いがけないものを構わず並置する画面構成
はシュールレアリズムである。この絵自体はまた近代科学文明の謳歌である。

 だがフランスを中心とするシュールレアリズムは近代文明、科学技術、理性と
合理主義への抵抗であった、また反植民地主義、反ファシズム、反スターリン主
義であった。基本は体制に校する精神の高揚であったはずだ。

 日本にはシュールレアリズムを幻想的、非現実的と誤解しがちだが、現実の
本質の強意的表現、真の現実と言うのが本質であろう。第一次大戦という破滅
的な大惨禍のなか、人間は所詮、理性によるコントロールは限界がある、という
のがシュールレアリズムの原点である。近代国家の暴走への抵抗だから永遠に
現代性を持つ。

  日本は第一次大戦で連合国側についてドイツの植民地を奪うという漁夫の利
を得た。それが大正の文化を支えた。モダニズム謳歌であった。

 そのモダニズム牙いともたやすく戦争協力に走り、国家は弾圧を徹底した。新
感覚派の横光利一の戦争協力はその典型である。他方、瀧口修造のように真摯
に苦悩した文学者もいる。彼は兒童記述の実験を経てモダニズムを離れ、シュー
ルレアリズムを追求した。

 特高には理解できないと思っていたら、シュールレアリズムの反体制さ、革新性
を嗅ぎつけられて、投獄され、8ヶ月も獄中生活をした、その後も厳しい監視を受け
た、画家の福沢一郎も拘置された。別に共産主義者、社会主義者ではなくとも、
かすかに国家主義に抗する香りを持てばいくらでも治安維持法は適用できた。もう
戦争協力の翼賛になるか、転向か、であるがまさしく治安維持法を真似して戦前の
ファシズム回帰が顕著なこの時代、参考になる。

 戦前の近代ファシズムを再現し、今度はアメリカとくんで必ず勝ちたい、やたら
「美しい国」を連発する、荒唐無稽な日本語であろう。

 台湾は戦後は蒋介石の独裁、自力で民主主義を獲得した。この映画はいたって
偶然な日本への贈り物でも、高い現実性に満ちている。シュールレアリズムを思うと
自由とは永遠の反抗である。自由と多様性が否定されつつある日本で『日曜日の
散歩者』は大きな意味を持つ。


 

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