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zoom RSS アラン・ブース、西郷隆盛と延岡

<<   作成日時 : 2017/10/06 00:03   >>

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  延岡市、宮崎県延岡市は旭化成工場群のある企業城下町として有名だった。
かってはバレーボールチームが延岡に置かれ、南などが主将あった。でも1970年
にバレーボール部は岡山県の水島に移り、凋落した。私が昔、関西でアルバイト
をやっているとき、「延岡学園」をでたやつと仲良しになった,いいやつだったが、
妙に喧嘩早い、延岡学園では野球部で控え当主としてベンチ入りして甲子園で
は試合中、投球練習をやっていた、という。

 その延岡市を1877年、明治10年8月15日、政府軍から延岡の奪回を試みだが
、失敗に終わった西郷隆盛以下、私学校門下生ら、の薩軍は鹿児島に向かって
の退却を始めた。1993年に刊行されたアラン・ブース『西郷隆盛の道』において
、その西郷の薩軍が退却した109年後、1986年、一人のイギリス人がその延岡か
ら全く同じルートで、同じく徒歩で鹿児島に向かった。当時アラン・ブースは41歳、
1986年、昭和61年8月の延岡はどのように見えたのだろうか。

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 同著から引用すると

 「神社、今山八幡宮、から暑さにうだっている延岡の街を一望の下、見渡した
。この街を流れる四本の川の河口の靄がかかった浅瀬。キラキラ光る沖合に
浮かぶハマチの養殖場。ゆったりと単調に浜に砕ける波。バイパスの橋を猛烈
に飛ばして走るトラック、樹脂製品、原料、化学肥料,製薬、合成繊維などから
なる工場群の赤と白の煙突」

 「アーケードに沿って設置されているラウドスピーカーは日本人歌手の歌う
ポール・アンカを流し続けている。開いている店といえば、スイカを売っている
店とパチンコ屋、農機具を売ってる店、プディックくらいなものだ」

 要するに、日本中、どこにでもありそうな日本の地方都市の光景に目をそらし、
ブースは薩軍、西郷の撤退の道を辿り、山にはいった。だが山道で迷い、疲れ
はて、堂々巡り、足を痛めた。西郷らの苦難を身をもって味わおうとしたのだ。
だが原題の日本人、ブースの出会った日本人でそのような真似をしようという
者はいなかった。西郷、薩軍撤退の道はもう誰も通ろうとしない。もう忘れてい
る。第一、そんな長い距離を歩くなんて考えもつかない。物好きな西洋人を憐憫
と軽蔑の半々という目で日本人は見ていた。その不愉快な視線を浴びながらブ
ースは歩き続けた。孤独な辛い歩みだった。

 「西郷は9月1日の夜半に鹿児島入りした。ぼくは18日前、延岡を出発して約
480キロを踏破して、3日、鹿児島に入った」

 「ぼくは西郷の終焉の地を訪れた。小さな石碑があった、ーーー木々もヤブも
根っこも記念碑も掃き清められた形跡はない。厚い灰に埋もれていた。

 1970年、最初は能の研究で来日したブースだったが、日本各地をルキ続け
た。だが1993年、癌で逝去した。その前年、日本の永住権を取得したばかりで
あった。

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