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zoom RSS 五・一五事件、幻のチャップリン暗殺計画

<<   作成日時 : 2017/10/04 05:08   >>

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いうまでもなくチャーリー・チャップリンはイギリス人である。アエリカに渡って
映画俳優となったが、イギリス人であることに変わりはなかった。だがイギリス人
とアメリカ人という区別はある意味、日本人、戦前の日本人にはわかりにくかった。
ましてチャップリンでは。

 1932年、昭和7年、チャーリー・チャップリンは神戸港に到着した。初来日であっ
た。そこで初めて日本人接したチャップリンは失望に似た感慨を味わった。

 「私が接して、そして見た日本人の歓迎ぶりには、噂に聞いた神秘性も慎み深
さも全く感じられなかった」

 やたら日本を神秘化、理想化したラフカディオ・ハーンの著作に接していたチャ
ップリンにすれば、殺伐たる落胆だった。それ以上に世界の喜劇王をひと目でも
見ようと殺到する日本の群衆には、かなり失望、幻滅を味合わされた。

 神戸到着後、すぐに東海道本線の特急「つばめ」で東京に向かったチャップリン
は犬養毅首相の長男、犬養健と相撲の観戦中に首相が海軍軍人らに殺害される
という「五・一五事件」発生の報を受けた。いっしょに相撲観戦のその人の首相で
父親が殺害だからチャップリンに与えた動揺も大きかった。

 チャップリンは「自伝」によると、すぐに犬養健を宿泊の帝国ホテルの自室に連
れていき、ブランデーを飲ませた。その二時間後、犬養健とともに首相官邸、事件
の現場に駆けつけた。

 さらに「自伝」によれば、

 「血溜まりの大きな塊が、まだ生々しく乾くことなく畳の上に残っていた。新聞記
者やカメラマンたちが数多く詰めかけていたが、なぜか現場の写真を撮ろうとし
ていなかった。だが私を捕まえて、事件について感想を求めようとした。事件はこ
の家族と国家にとって大きな損失、悲劇であるとしかいえない、と答えた」

 実は翌日16日にチャップリンは犬養首相と面会し、公式歓迎のレセプションに
出席の予定であった。来日後、、春画の押し売り、宮城遥拝の強制、などの不快
な出来事も、何か事件と関連していたのかと思えた。

 とこrがである、ここでその後チャップリン暗殺計画があった、と知らされたので
ある。

 『五・一五事件陸海軍大公判記』によれば事件の被告人である古賀清志海軍
中尉は以下のように陳述した。霞ヶ浦海軍航空隊所属。

  
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 「首相官邸でチャップリンの歓迎会が開かれるとと新聞で知り、政府首脳が集
まるというので襲撃のいい機会と思えました。また同時にチャップリンも殺れば
日米関係に何かを与えるだろうと思い枚sたが、肝心の日取りが分からず断念
しました」
 

 チャップリンはイギリス人だがアメリカで活動しているので、その判別すらつか
なかったのだろう。「自伝」でチャップリンは暗殺後「これは失礼しました!」という
ことになったのでは、と皮肉っている。

  
  来日の折、市丸姐さんと

 
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