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zoom RSS メキシコの民衆画家、シケイロスのトロツキー暗殺未遂と日本文化観

<<   作成日時 : 2017/10/12 11:25   >>

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1972年、メキシコの偉大なる民衆画家、民衆芸術家のダビッド・アルファロ・
シケイロスが来日した。その作品は壁画の形などでも数多く、まことにその共同
してのメキシコ壁画運動の功績は大きい、同時にスターリン主義者、・・・単に
民族主義者でなくスターリン主義者であったことがキャリアの汚点、ましてその
トロツキー襲撃事件は、である。最後までスターリン主義者であったのかどうか、
それは考えにくいが、トロツキーの殺害をも目的とした襲撃団のリーダーであっ
たシケイロスの評価はここにおいて曇りを生じる。民衆の解放、民族の独立を不
動の信念とし、一貫して西欧の物質文明に反対する姿勢で壁画などに取り組ん
できた。


 ともかく偉大にしてスタ-リン主義者の汚点をもったシケイロスは1972年6月12
日、東京での「シケイロス展」に合わせて来日した。

 シケイロスは岡本太郎、草野心平などの日本の芸術家、作家などの大歓迎を
受けた。展覧会もまずまずの盛況であった。

 シケイロスは東京を「既成の枠にはめられてもがく無味乾燥な街」と切り捨てた
。奈良、京都を訪れたシケイロスは、法隆寺を「総合芸術」と評hして絶賛した。
続けて「これほど力強い芸術を生み出した日本人がなぜいつから小さな矮小な
芸術家になったんだ、日本の現代の彫刻家や職人は何をやっているんだ」
今日に至る日本の芸術の流れを厳しく批判した。

 さらにまた、その昔、ブル^ーノ・タウトが絶賛したという桂離宮の庭園につ
いては、錦鯉の泳ぐ池を指差し、「私ならサメを放つ」と言った。

 朝日新聞のその年、1972年7月4日では

 「美しさのたえの美しさは真実ではなく、結局、無価値なものだ。空虚なのだ
。法隆寺も平等院も焼失しようと何も損害などない」

 かって「革命的職業画家・彫刻家・版画家組合」を創設し、眼も覚めるような色
彩と民衆の躍動する巨大な壁画を生んだ偉大なる民衆芸術家のまことに、これ
また目も覚める痛烈豪快な発言であった。

 民衆の味方、圧政からの解放、搾取からの解放と正義を訴え、迫力ある力強
い芸術を咆哮するシケイロスだが、その生涯の汚点がある。スターリンから逃れ
、メキシコに在住していたトロツキーの暗殺を図ったことである。しかも襲撃グル
ープノリーダー格であった。民族解放、民衆の解放とスターリン主義の整合性で
ある。

 スターリンの圧政、弾圧、粛清の嵐から逃れてきたロシア革命の立役者でもあ
るレオン・トロツキーは長く苦しい逃亡生活の末、メキシコに落ち着いたかに見え
た。

 1939年5月、武装グループがトロツキーの自宅を襲撃した。グループは数百発
の銃弾を夫婦の寝室などに撃ち込み、孫娘のいる部屋にも手榴弾を投げ込んだ
。一家は奇蹟的に無事だったが護衛の一人が拉致され、遺体で発見された。

 この襲撃グループのリーダー格がなんとシケイロスであった。アメリカへの対抗
という気持ちからとにかくソ連共産党、スターリンに忠誠を誓ったのであるのかど
うか。

 一度目の襲撃を免れたトロツキーは巧妙に仕組まれた二度目の襲撃からは逃
げきれなかった。斧で頭を叩き割られた。スターリンの指令である。

 来日中、シケイロスは自己の蛮行は棚に上げて「民衆」という言葉を繰り返した
、では解放されるべき民衆と、「民衆の敵」として殺害される民衆との区別の本当
に正しいのかどうか、何も考えていないシケイロスであった。

 晩年はメキシコ共産党の指導者であった。


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