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zoom RSS 『家雅見種』(かがみくさ)江戸在住の俳諧宗匠住所録

<<   作成日時 : 2017/10/11 20:11   >>

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  江戸時代においては多くの分野において人名録が写本・刊本など多彩
に世間に出回った。更に江戸時代、社会体制、制度が整備され、社会生活
が藩を超えて全国的なものになると、現存の人間を対象とした人名録も、
その代表的なものとして武鑑や吉原細見のような定期の刊行物としてそれ
が二百年も続くということもあった。江戸時代は人名録に溢れ、洪水の時代
であり、その中からユニーク極まりないものとなると、もちろん、何も絶対的で
はないが、例えば、江戸時代俳諧宗匠住所録としての『家雅見種』(かがみ
ぐさ)は興味深い。中野三敏先生の雑誌掲載論文を参考にして記しますと、

 『家雅見種』は江戸時代の中期、俳諧という文芸のカテゴリーが芭蕉により
、十分な発展、成熟をみて徐々に江戸時代を代表する文芸として存在感を
確立した時、さらに俳諧人口を頼りとなった点取り俳諧の本山というべき、
都会派の代表としての江戸在住の宗匠の人たちが、それぞれの俳系はもち
ろんだが、もうひとつ、その住み場所の遠近による集まりなども考慮して、座
や連や側(がわ)などの呼び名を使って集合し、門人、弟子の集まりやすさの
便宜を図るための便法としての住所録の刊行であった。

 最初ははっきりしており、,安永の最初の年、上野山下の花久こと、星運堂
花屋久次郎という本屋の企画であった。花久は他方、雑俳『柳多留』も刊行
しており、これは明和3年、1766年である。これに味をしめたのかもしれない
、点取俳諧の作例集『俳諧系』を明和5年から刊行を始めている。そこに
記入した各宗匠の住所付けが好評を博したことに気づき、それが住所録の
みを独立させたのが『家雅見種』である。それは毎年続刊をしようと考えて
いたようである。

 その初版、安永三年版の序文において

 「さきに著せる俳諧けいに総宗匠の住庵、寓居別号を載するといえども、転
居のたびごとに改めがあつぃ、依って今小冊子に記して毎年改正す云々」

 その内容は其角座、古来座、平砂座、古流座、宗因座、冬英座、独立、存
義側などの九座側に97名の宗匠の現住所を記している。「俳諧けいにおいて
は、明和七年刊行までは明らかに各宗匠の所付まで記載されているが、安永
二年序刊の三篇においてはすでに省かれている。凡例では「住庵の町附等
は家々見草にくわしければ、是をもって改むべし」という一項がある。そこから
考えると、本書の初編は安永三年でなく同二年から観光されていたと考える
べきではないか。従来、安永三年版が「俳書大系」に翻印されて、これをもっ
て最初としたが、刊記の部分は年記のみを埋木改刻するように仕立てていた
ようである。


    
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