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zoom RSS 矢掛町は倉敷美観地区以上の風格、風情

<<   作成日時 : 2017/10/09 23:57   >>

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 今日は故郷の矢掛町、その商店街、その裏通りなどをめぐってきた。街並み整備
で表通りに面した家々、商店、商家、また住宅も見事に改築されてその醸し出す
風格は、まさに驚きである。連休二日目の午後だったが観光客は結構いた。やは
り歴史の香りを残す矢掛町の魅力、その観光発信の熱心さのたまものといえる。
ただ裏通りなどは特に街並み整備の対象でもないのか、逆に以前の風情、景観が
失われているような面も見られた。だが総体的には大したものだと、やや感歎した。
言うまでもなく日本全国で本陣と脇本陣が当時の姿、そのままに残って維持されて
いるのは矢掛町のだけである。その由緒ある風格は比すべきものがない。

 街並み整備といってそのコンセプトの実現はなかなか難しい。宿場町といって
ではここの商家、民家をどのような雰囲気で改築するか、江戸時代の商家風と
いって現実の居住形態、使い勝手も考えれば意外に難問である。だがかっての
山岡治喜町長のもと、勇断をもって実行された。

 というわけだが個々に見ると問題を抱えた家屋も存在する。現実的な障害で
街並み整備のための改築が出来ないケースである。錆びるままに放置のあの
山口陸自事件の実家はそのまま。また駐車場化にしても無粋な感じのものも
ある。だが1軒残らずもまた困難なことである。


 街並整備は在来の通りに面した家屋の改築、古風な中にも垢抜けのした瀟洒
な雰囲気という辿り着いたコンセプトがまず成功している。もちろん医院など、業
種によって応じられないケースもあるし、民家住宅も独自の新築では当然古風に
改築はできない。ただしそれらが独自に美しい建物であればいいわけである。

 ここで重要なことは

 空き家に画期的な改築を施し、効果的な観光拠点、飲食店などに一新し、町の
観光資源の飛躍的な向上のリソースとなし得たことである。

 谷山家:矢掛町交流会館

 赤沢家、竹内家など:矢掛屋

 山部家:備中家長右衛門

 杉原家:あかつきの蔵

 森下家: 改装中で完成寸前  カフェ  藤原家

  
  既に所有権が移転しているはずである。谷山家、・・・・・はかって脇本陣担当の
旧家だけに所有権移転かどうかは分からない。矢掛町に売却し、それを賃貸して
いるケースも多い。既に大半が矢掛町の所有権移転している。

 個別に語ればキリがない、その家の由来から消長、・・・・を語れば、際限がない。
それはすべてわたしの矢掛時代の思い出につながるものである。だがともかく矢掛
町はその観光資源の開発についに成功し、大輪の花を咲かせようとしている。観光
客も増加の一途である。

 矢掛を出て、もう44年になる。もう覚えている、私を覚えている人もほとんどいない。

 旧森下家の改築、旧杉原家の「あかつきの蔵」、わたしの生まれ育った家の斜め
向い、杉原のチエちゃんは幼馴染、毎日遊んでいた。この家にも毎日、上がり込ん
でいたものです。でも狭い、一階は狭い一間でした。手芸店でした。後に、化粧品も
。その隣、私の家の向かいだった森下さん宅を改築中、完成寸前か開店寸前、仕
事は親父さんが、・・・・笠張か何か、娘さんが四人かな、息子さん一人、もう完全に
空き家だったんですね。

 
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  森下家の西、井上家、筒井家

  
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 矢掛屋の温浴施設を受け持つ旧竹内肥料店

 
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 外装を一新した交譲会館

 
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 高野山真言宗 多聞寺

 
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 斎藤家、なんとも格式、歴史を感じさせる民家、保育園のとき担任の
先生がここの娘さんだった。

 
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  斎藤家  勝手口

  
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 旧山部家  備中家長右衛門、分限者!として知られた屋号「山秀(やまひで)」
の本宅、同級生の山部のテルちゃんの家でした。

 
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 脇本陣

  
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 景観が大き悪化していた斎藤家から脇本陣の裏、矢掛で最も美しいとされて
いたのに

  
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 2010年の景観

 
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  かって脇本陣担当であった谷山家は改修されて矢掛町交流会館に

 
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  元の谷山家,矢掛屋となった赤沢家ともども脇本陣を江戸時代担当して
いた旧家である

  
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 商店街華やかな頃、盛況を極めていた鮮魚店、「大久保屋」、昔と変わらぬ
姿、車には高齢者マーク、・・・・・。二人のむすめ、一人の息子、次女の「妙ちゃ
ん)は幼い頃から私をかわいがってくれました。表に立っていたら高校生の妙
ちゃん、「総ちゃん、ちょっとお菓子買ったゲルから一緒においで」高校生でなか
仲言えない出来ないこと。いいお姉さんでした。鎌倉の稲村ヶ崎におられます。

 
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   街並み整備の在来の民家、商家の改装の例
   
 坪井畳店  前と現在、前は古すぎるのであるいは建て替えでは

 
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 元町の渡辺製麺所、街並み整備の外観改装に応じての三階建て,活発に営業
していました

 
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 古い歴史の「大黒屋」もとは豆腐製造、酒屋でした。矢掛高校の生徒さんで
遠距離の方などの下宿もやっておられました。むかーし,ここの、石山さんの
長男は東京高等師範(今の筑波大)にいってバスケットの選手でベルリン五輪
にも出場、後に日体大教授に、次男が跡を継いて、もう何十年も前、なくなって
てもう孫の世代ですね。今はお好み焼き屋さん?でも派手で豪勢な外観。

 
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 多門寺からの南北の通りを降りて商店街道路、三宅の唐津屋さん、同級生が
いますが愛知県です。

  
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消え去った風景、長く続いた鮨の名店、「不二」、残念がら消失、店主も焼死
された。大久保屋鮮魚店の向かいにあった

 
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  昭和39年、1964年、中町地区の奥さん方が旅行した時の記念写真、ほとんど参加

 
  
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