つぶやき館

アクセスカウンタ

zoom RSS 貝谷八百子、戦後バレエ人気の最大の貢献者

<<   作成日時 : 2017/10/08 22:06   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 
画像
私事になるが、この8月はバレエ発表会にまつわるトラブルに巻き込まれた。
全く思いもよらない不快な経験をした。後々まで響くダメージとさえなった。そん
なトラブルのもとともなり得るバレエだが、その学校は数知れず、バレエ人気
はある意味すさまじい。その戦後のバレエ人気、興隆を築くことに大きく貢献し
たのが貝谷八百子である。

   

 端的に言えば、戦後バレエブームへの最大の貢献者、バレエ・ブームを作り
上げたのは貝谷八百子といって何の過言でもない。それは昭和21年、1946年
、日本で初めて「白鳥の湖」全幕を公演し、さらにロングラン記録を作ったという
功績である。貝谷八百子は身長が166cmと当時の日本女性として長身であり、
そのスマートな肢体を活かした見栄えのするスケールの大きな踊りは画期的
でもあり、その後の日本のバレエ界に大きな影響を与えた。

  大正10年、1921年に福岡県大牟田に生まれた貝谷八百子、父親は銅山王
とよばれていた名家の末娘であった。その彼女がバレを始めた理由が未熟児
として生まれ、ガリガリの痩せ細た体を鍛え、健康にしたいという目的で母親が
勧めたものだという。三歳で踊りを始め、13歳で上京し、文化学院に通いながら
日本に亡命していたロシアのパブロワに師事することとなった。パブロワの指導
厳しく熾烈を極めた。もう失神、気を失うまでシゴカれ抜いた。気を失って倒れる
とバケツで水をかけられ、「オキロ、オキロ」と怒号を浴び、ハイヒールで蹴られた


   アンナ・パブロワ  瀕死の白鳥

  
画像


   

 この筆舌に尽くせない猛練習の結果、文化学院を卒業の昭和13年、1938年
、17歳で早くもプリマバレリーナでデビューした。当時、歌舞伎座を舞台に三日
間、「瀕死の白鳥」を踊り、満員盛況であったが、それは同時に嫉妬も呼び起こ
し、中傷を受けることも多かった。

 1954年、昭和29年「白鳥の湖」を斬新な演出で公演、さらに創作バレエにも
果敢に挑戦、昭和30年にはガーシュインの「ポーギーとベス」の初公演、従来
の古典バレエの枠を踏み出した創造的作品を次々と発表した。

 その「ポーギーとベス」で八百子の相手役を勤めた6歳年下の門下生にして
外務省勤務の高典太と結婚、昭和32年のことである。夫の協力も仰いで、昭和
40年、1965年にはバレエ後継者育成のための貝谷芸術学院を設立、66歳で
現役バレリーナをリタイアした。1991年69歳で逝去した。

 

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
貝谷八百子、戦後バレエ人気の最大の貢献者 つぶやき館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる