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zoom RSS 「死仮面」横溝正史に見る金田一耕助はどこまで吃りだったか?

<<   作成日時 : 2017/10/01 18:22   >>

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  「八ツ墓村」が『新青年』に1949年5月から12月にかけて連載されていたが、それに
あたかも平行するかのように、中部日本新聞が当時発行していた雑誌(ローカル誌)に
連載したのが「死仮面」、・・・・・・デスマスクである。ところが、この作品、遂に長く書籍
化、単行本にも文庫本にもなることなく幻の作品と云われ続けてきた。その理由という
のはよくわからないが、ただ何となく、かもしれず、「死仮面」という題名自体があまりに
陰惨な印象を与える、ということに起因しているかどうか。だが読むと筆致は全く明るい
、内容も変化に富み、着想は面白い、・・・でもトリックに無理がある。

 中日新聞系の地方誌「物語」に8回れんさいされいその中で第4回分(8月号)だけが
その雑誌が見つからず、後年、書籍化しようとして困り果てた。その欠損の回をあらた
めて横溝正史に執筆を依頼したが、「悪霊島」の連載中でままならず、その終了後、あ
らた馬手欠損部分の執筆に取り掛かったが、正史自身1981年12月亡くなってしまった。

 やむなく補作したのは中島河太郎氏だった。中日新聞創刊の「物語」は1946年12月
に創刊されたが、当時は出版物の流通は混乱を極め、地方誌の入手は至難であった
という。「物語」は特にマイナーでまずお目にかかれるものではなかった、という。したが
って「死仮面」という作品自体への情報も極度に不足し、「中絶して未完で終わった」も
のと思われてきた。ところが角川文庫で横溝正史作品が空前のブームとなり、そこで
中島河太郎氏が、気になっていた「死仮面」について再度調査したところ、国会図書館
においてその「物語」が所蔵されていることを発見し、連載30年後になってやっと「死仮
面」が陽の目を見たかに思われた。ところが第4回、8回連載の中の大4回を収録の
「物語」昭和24年8月号だけが国会図書館でも欠けていた。「八ツ墓村」と同時並行の
連載であるのに、「八ツ墓村を解決した金田一耕助」という矛盾した設定で、解決の帰
りに岡山県警の磯川警部のところに立ち寄って奇妙な事件を聞くという筋立てである。
金田一耕助シリーズの発見はもう大手柄だったが、いかんせん、8回の中の1回が欠
落では、と関係者を大いに嘆かせた、「妖婆の悲憤」、「校長の惨死」は中島河太郎氏
が、原作が見つかるまでの、ということで補作し、そのまま角川文庫などで発刊された
が、遂に未発見だった「物語」8月号が発見され、完全な形で春陽堂から刊行されたが
、現在は絶版である。

 ストーリー:岡山駅近くの闇マーケットで美術商を営む野口慎吉は、ある日、正体の
知れない女を拾って同棲した、闇マーケットの住居においてである。ほどなく女は病で
死んで野口はそのデスマスク、死仮面を女の遺言にしたがって東京で女子学園を経
営の川島夏代に送られた。死体は腐乱し、悪臭はマーケットを覆った。警察に逮捕さ
れた野口は精神鑑定をうけることになったがすきを見て逃亡、旭川に飛び込んで行方
不明となった。東京に戻った金田一は夏代の異父妹の上野里の訪問を受けた。この
デスマスクは更に下の異父妹、山内君子のデスマスクだという、。さらに学園で惨劇は
続く、正体不明の跛っこの男の跳梁、夏代が殺される。野口は本当に死んだ?君子は
どうなった?夏代の養育する生徒の白川澄子の活躍が始まった。


 岡山駅前の謎の美術商、野口慎吉と思われていたのは教師で夏代の容姿の川島
圭介であった、女は君子でもなんでもなく岡山のパンパンであった。皇子は実は学園
の地下室で夏代による折檻で死んでいた、その深層を隠蔽するためにわざとその
地下室で夏代らが君子のデスマスクを作ったのであった。財産は全白川澄子にという
遺言を夏代は残していた。スミコは地下室でデスマスクの原型を発見するという手柄
もあった。里枝と圭介らによる猿芝居であった。

 トリックとしてみれば野口慎吉が一時的岡山に来ていた川島圭介、というのは無理
を通り越している。作者が最初、事実らしく書いたことがすべて虚妄だった、ということ
でトリックになりきれていない。・・・・導入部や、まあ、話としても面白いが、いかにも
「作者による自作自演」の猿芝居でしかなかった、わけで高い評価、推理小説として
およそ高い評価は出来ないが、・・・・・・

 ★「死仮面」の最大の意義は金田一耕助の風采、癖などが細かく表現され,金田一
耕助がドモリであったことが明確に表現されていることだ。


 たしかに金田一耕助たたの作品でもボサボサ頭、よれよれの和服、そしてドモリがち
、とはでているケースが多いが、ことドモリで、この「死仮面」ほど露骨にドモラせている
作品は他にない。

 川島夏代の下の妹、里枝が訪問してくる前とその時の描写

  
画像


 『 さらにはじめてのい依頼人の後悔と自責の念をあおるのは、この部屋のあるじ、
金田一耕助なる人物の風采だ。小柄で、貧相で、雀の巣みたいな、もじゃもじゃ頭、
おまけに垢に薄よごれたよれよれの着物に袴といういでたちだから、その人物から
 「そ、そ、そ、そうです。ぼ、ぼ、ぼくがお訊ねの、き、き、金田一耕助ですよ」
と吃り吃り名乗られった、だれでも一度はきっと一度はは、舌を噛み切って死んで
しまいたいと思うのである』

 『「そして、お妹さんは山内君子さん、・・・・・ご姉妹三人ともちがった姓を名乗って
いられるんですね。・・・・・

  「姉妹といっても、みんな父がちがっているものですから。」
  「あ、な、な、なるほど」
  
 相手の気まずそうな顔を見ると、耕助は気の毒さが先立って思わず吃った。
 「そ、そ、そのほかにご兄弟は・・・・・・?」                    』

 ではこの吃り、ドモリは金田一耕助に何か影響を与えているかといえばあくまで
人物造形の手段であり、それを金田一が苦にしているなどという意味あいはさらさ
ら見られない、単にいい加減な風采、垢抜けのしない、外観、素振り、それが自由
闊達な精神に通じる、という意味合いでしかドモリはもちいられていない。

 横溝正史が探偵の人物造形に意図的に冴えないイメージを吹き込もうとした考
えは正解であった。このキャラクターあればこその金田一耕助となり得たのである
から。

 ドモリの程度はひどくない、興奮したらひどく吃りやすいという平明な意味合いで
ある。

 「死仮面」に於いても吃っているのは最初だけで、正史自身がドモリ造形をもう
忘れたかのように、金田一は普通にドモラず会話している。それを見れば正史は
吃りを至って安易な形でしか使っていないのではと、考えざるを得ない。
 

 

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