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zoom RSS 満州事変の導火線となった佐分利貞男駐華公使の怪死、陸軍の謀殺

<<   作成日時 : 2017/09/28 23:12   >>

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 満州事変は1931年、昭和6年に勃発し、それは中国との全面戦争という泥沼
になり、あげくに対米戦争の世界対戦化、日本焦土化の最初のステージであった
。が、その最初のステージの導火線となったのが中華民国駐在公使、佐分利貞男
の怪死である。中川一郎も怪死と云われた、自殺と発表されたがあまりの不自然
さ、やはり他殺であった。自殺を装わせて殺害するという常套手段がこの世には存
在する。

  
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 1929年、昭和4年11月29日、箱根宮ノ下の「富士屋ホテル」第一号館二階の97
号室で、ピシトルを右手に持った男の血まみれの死体が見つかった。浴衣の肩口
には血糊がべっとり、こびりつき右手の大型のコルト拳銃は頭部に向けられたまま
だった。両目は見開かれて天井を見つめているかのようだった。

 その遺体は帰国中の佐分利貞夫駐華公使、50歳であった。早速、同日深夜、さ
らに翌日も法医学解剖が行われたが、もう三日目には警察当局はj自殺と断定し
、捜査は打ち切られた。

 その自殺の理由として警察当局は当時の佐分利の私的な生活感情をその動機
として挙げた。その一つに小村寿太郎の娘である妻の、最愛の妻の文子に先立た
れたことだという。佐分利は1924年、大正14年、北京で開催された支那関税会議に
随員で同行したが、呼び寄せた文子が北京につくやいなや、病魔に襲われ、死亡
したのである。同じく随員だった重光葵はその時の佐分利の悲歎は限りなく、あま
りといえばあまりであった、という。佐分利の部下として働いていた重光は佐分利
を評して「常に孤独を好み、瞑想に耽る癖のある佐分利氏は、一人でゴルフをやり、
、舟を漕ぎ、山野を跋渉して空想に耽った」などと。

 だから、そのような性格の男が最愛の妻を失って悲観の極に達して自殺、は逆
にあり得ないのではないか。人格の矮小化である。

 自殺と思えばあまりに不可解な点が多い。自殺?に使われた拳銃が入手先不
明というか、まず入手できないはずの大型の軍用ピストル、コルト八連発であった
こおt,左利きの佐分利が右手に拳銃を持っていた、全く駐華公使である佐分利が
一切遺書も何もない、日常、服装には極めて注意を払っていたサブリが浴衣で、あ
られもなく自殺するはずがない、・・・・佐分利はその富士屋ホテルに11月28日深夜
に到着しており、しかも深夜12時近かった。佐分利は馴染みのホテル従業員の磯
崎恵次に部屋に紅茶とゆで卵を持ってくるように言って、その後「明日は早朝に上
京するから6時半には起こしてくれ、また7時には床屋を呼んでくれ」と所望している
。・・・・・・およそ自殺を決意した人間の言動ではない。

  小田原警察での検死では、死後10時間とされ、死亡推定時刻は11月29日午前
零時すぎである。佐分利は部屋に入って紅茶とゆで卵を食べた直後に自殺、まず
あり得ない行動である。

  陸軍による佐分利貞男の謀殺の可能性が最も高い

 全ては当時の日中関係に置かれた佐分利の存在意義に求められる。日中関係
は既に険悪の度を深め、関東軍の跳梁は増すばかり。この謀殺事件に先立つ
その年の8月、佐分利は駐ソ公使に任命された。ところが条約局長以来、昵懇の
間柄であった幣原喜重郎外相(57歳)に熱望されて、急転直下に駐華公使に任命さ
れたのである。幣原喜重郎はその柔軟性、国際協調から戦後、総理大臣にも就任
したが、その当時、国際協調と内政不干渉を掲げる幣原外交は常に軍部から軟弱
外交と罵倒攻撃されていた。その国際協調、平和主義は昭和5年にロンドン軍縮条
約を締結に貢献したほどである。

 幣原喜重郎による駐華公使に佐分利貞男就任は協調外交として国民政府から
は歓迎された。佐分利は公使就任で南京に到着し、蒋介石、宋子文、王正廷らと
会談を重ね、平和裏に満州を解決することのあるていどの回答を得た。

 だがその後、満州を訪れた佐分利はまさに一発触発ともいうべき緊張状態に
驚愕した。すでに昭和4年、関東軍幹部らは満州各地を視察して軍部の力で満州
を完全な日本の属国化、さらに中国全土の満州化を目指す不穏な動きは顕著で
、事実上、満州事変は始まっていた。佐分利の苦悩は増すばあkりであった。

 ここで関東軍を中心とする陸軍は佐分利を排除すべき人物とみなし、暗殺を行
うことを決定した。大臣クラスのような警固は存在しない。自殺に見せかけた殺害
は容易と見た、いかにも暗殺は好ましくない。

 富士屋ホテルと共謀した陸軍は事前に刺客を部屋に忍び込ませていた。だが
左利きということまでは知らなかった。

 佐分利排除に成功した関東軍は一気に満州事変へとなだれ込み、傀儡国家の
満州国を独立さたのである。ここに第二次大戦の発火点が生じたのである。

 

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